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船の章

 そういって大笑する狸の体は、更におぞましい変化を遂げていた。


 顔面に新しく出来た三つの目は、全て拷問で焼き潰したにも係わらず、今度は七つの眼が顔面の新たな場所に再生していた。引き抜いた筈の舌は、更に長く延びて、先端は蛇の如く二又に分かれていた。

 全身に、焼きごてを隈無く当てた体表には、あの暗褐色の不潔な体毛はまばらにしか残っておらず、残る皮膚には例の病的な斑点が、豹か錦蛇のごとく広がっていた。手足は間接と言う物を完全に忘却したらしく、先端に指の付いた触手と言った形状に変わっていた。

 図体は、更に大きくなって、もし直立する事が出来たならその全長は、優に八フィートを越えたであろう。そして、睾丸が人の頭よりも肥大した陰嚢には、それぞれの睾丸にあたる場所に大きな眼が開いていて、唖然とする一同を嘲りの視線で見渡していた。

 とどめに、兎が自ら切り取って、再生しないように傷口に焼きごてまで当てた性器は、その数を増やして再生しており、そこだけが別の生き物の様に活発に蠢いていた。


 流石に顔色を無くした兎は、怒りに任せてこの不届きな狸を斬り殺そうと、剣を握る手に力を込めたが、すんでの所で思い止まった。最早、青銅の剣も、炎も毒も、この邪悪な獣を完全な死に至らしめるのは不可能だと悟ったからである。

 この狸は、最早只の獣では無い。かつてコモリオムを蹂躙した、あの呪わしき罪人と同じく“何かの”血に依って、その血のルーツである存在に近付きつつある“半神”とも呼べる存在であり、あと少しのきっかけで、完全に神となる存在であったのだ。


 こうなれば、只の人間に出来ることは何もない。後は、かつてのコモリオムの住人の様に、何もかも捨ててこの村、ひいては国を逃げ出さねばならないだろう。

 しかし、まだ兎には試していない奥の手があった。我が身を狸への生け贄として捧げて住人を救う前に、最後の手段を用いても遅くはない。しかし、もしも失敗すれば……。兎はその場合に待ち受けるであろう運命に戦慄して、思わず身震いしたが、やがて覚悟を決めて狸に挑戦した。


「私にも課せられた使命があります。そう易々と貴方に下る訳には行きません。私は明日、貴方に最後の戦いを挑みます。その勝負に負けたなら、潔くこの身を貴方に捧げましょう。二言はありません。煮るなり焼くなり、お望みのままに」


 その言葉を聞いた狸は、膿汁の様な涎を撒き散らして、尊大な態度で笑いながら言った。


「このまま、ここの人間ども即座にを皆殺しにして、お前を(さら)っても別に良いのだが、お前が儂に屈服し、惨めに命乞いをする姿を見てからでも遅くはあるまい。よかろう。(判読不能)の子は、父と同じく寛大であるからな。お前の挑戦を受けて立とう」


 やはり、コモリオムの罪人に比べて頭は弱い……兎は、心の中でほくそ笑みながらも顔には出さず、狸に感謝の言葉を述べた。


 やがて日が昇り、運命の日を迎えた。その日は朝から強い風が吹き、空には厚い雲が立ち込めて、日中であるのに明かりが必要な程の暗さであった。兎と僅かな生き残りの兵が数人、それに怪物と化した狸は山の麓に広がる湖までやってきた。


「さて、儂はどうすれば良いのかな?」


 湖畔まで足を使わずに、思いも寄らぬ速度で転がって移動してきた狸は、退屈そうに兎の一行に質問した。兎は無言で二隻ある、村人が魚を獲る為の小さな漁船を指差した。そうして兎が片方の船に乗って櫂を漕いで湖に出るのを見ると、狸もそれに倣ってもう一隻の船に乗り、櫂を使わずに手の先端を鰭状に変化させて、器用に湖面を掻きながら兎に続いた。


 狸の小舟は、何度も沈む寸前になりながらも、巨体の重量に良く耐えた。そうして湖の中心近くに到達すると、兎が櫂を漕ぐのを止めたので、狸もそれに合わせて船を止めた。そのまま兎は何かを待っていた様だったが、何も起こらないので、苛立った狸は兎に問いかけるのだった。


「いつまで、こうしてるつもりじゃ? 儂の忍耐は、寿命と違って限りがあるぞ。何が狙いじゃ? この湖に、儂を喰い殺せる水棲恐竜がいるとでも? それとも今度は“水”の力にすがるつもりか? ハ! 連中の力は、果たして内陸のこのちっぽけな湖に及ぶかな?」


 うつ向いたまま沈黙を続ける兎に、狸は尚も勝ち誇って喋り続けた。


「仮に完全な姿で儂を襲っても同じことよ。今の儂は(判読不能)そのものじゃからな。たとえ奴等が触手で細切れに引きちぎっても、更に強大な姿で復活するだけの事よ。さあ、もう解ったじゃろう。これ以上、悪あがきをした所で時間稼ぎにもならんよ。儂とて慈悲はある。お前が従順な奴隷になると誓うならば、あまり惨くは扱うまい。そして共に仔を……」


 不意に、異様な気配を感じた狸は、お喋りを止めて周囲を見渡した。いつの間にか強風は止み、湖面は鏡の様に静まり返っていた。その湖面をみた狸は水面に何かが写ってるのを見て、思わず顔を上げて……


 ……それを見た。


 同時に、再び対岸から吹き始めた風に乗って呪文が聞こえたときに、狸はこの船出の意味と、下を向いたままの兎の意図を、遅まきながら察したのだった。


「成程、ここは“いあいあ山”の近くの“いあいあ湖”であったか……」


 そして雲が割れて、そこから(判読不能)が明暗を反転させながら(十四文字、判読不能)。そして、そのヴェールの下には、いくつもの(七文字、判読不能)球体と金属の様で、未知の(三十文字、判読不能)……が、等間隔、あるいは不規則に、拡散とも収縮ともつかない(二十文字、判読不能)……故に、あまり直視を(以下二百余文字、判読不能)。


 不意にその煌めく体が、密に……あるいはかなりの間隔をもって膨張しはじめたので、気配を察した兎は急いで船を漕ぎ出した。それを見て、狸も慌てて腕で水を漕ぎ出したが、急に体勢を変えたせいか、ついに小舟はばらばらに壊れて、狸は水中に投げ出された。

 はたして兎の狙い通り、泳ぎに向いてない体型の狸は水面に浮きはするものの、泳ぎがままならず、急いで水中に適した姿に変わって(判読不能)から逃れようとしたが、もはや後の祭りであった。


 (判読不能)に引き込まれ、次第に空中に持ち上げられて行く狸は、遠ざかって行く兎の船を見ながら、湖中に響き渡る大声で、切れ切れに絶叫した。


「後生だ! やめてくれ! 血の加護の届かぬ次元に飛ばされでもしたら儂は……! ……何故、そこまで儂を拒む! 醜い化物だからか! ……しかし、儂は……初めて……あの夜……お前を見たときに…………何が悪い! ……ああっ! 遠くなる! 糞! 惚れたが……」


 それを最後に、狸はこの惑星……あるいはこの次元から消滅した。同時に空一杯に広がっていた(あるいは一ヶ所に固まっていた)神格も一瞬で消え去って、空には雲一つ無い夕暮れの空が広がっていた。どうやら空間だけでは無く、時間も少し狂っていたみたいで、さっきまで朝だったのがもう夕刻になった様だった。


 どうにか難を逃れた兎の船は、村の対岸……すなわち、こちら側にたどり着いて、これほどの恐怖の真下にいながら……さすがに少し青ざめてはいたが……落ち着いた様子で船を降りた。そうして、全てを見届けた私の姿を見つけると、冷たい微笑を浮かべて、一言だけ呟いた。


「酷い汗をかいたわ」


 こうして村は、そしてこの国も、あるいはこの惑星も、狸の脅威から解放され、皆が平和に暮らすことが出来ました……とさ。


 めでたし、めでたし。

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