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毒の章

 無惨に焼け爛れた姿をしていたが、下卑たニヤケ顔と大きな陰嚢は、まぎれもなくそれが狸であることを示していた。しかし、それ以外の部分が大きく変容していた。


 焼け爛れた皮膚は驚異的な速度で、みるみる内に再生して行くものの、そこから新しい体毛は生えて来ず、真新しい生白い表皮には例の黒と黄色の斑点が、不吉な皮膚病の様に広がって行く。

 毒の投げ矢で潰した両目は、再生しなかった様だが、顔面の有り得ない箇所に新たな眼が開いていた……それも三つ。

 両腕は更に長くなって指先が地面に触れる程になっており、全体的な体型がナマケモノのそれに近づいていた。そして特徴的だった太鼓腹と陰嚢は更に大きく膨らみ、事に陰嚢には短剣で刺した筈の場所には傷跡さえ残っていなかった。そして粗末だった男性器は、まるで(たこ)の足の様な奇怪な形に変わって、股間でとぐろを巻いてのた打つ様は、見るものに嫌悪と吐き気を催させた。


 しかし、それよりも兎は、狸の手足の付け根と関節の位置に、何とも言えない違和感を覚えた。


 それは、まるで元の姿を思い出せなくなった不定形の生物が、とりあえず元に近い形を取る際に、適当に手足を再生して見せただけの様な……


 狸が村へ近づいて来るのを見て、村人達は悲鳴を上げて逃げ始めた。弓兵達も浮き足だって、後ずさり始めたが、兎が一喝して彼らを引き留めた。狸は兎を見つけると、また好色な笑顔を浮かべながら両手を上げて降伏の仕草をした。


 兎は弓兵に狸の捕縛を命じた。最初は怯えを隠さなかった彼らも、狸が本当に抵抗しないのを見て取ると、ありったけの縄を使って狸の巨体を厳重に縛り上げた。狸は弓兵達のされるがままになっていたが、兎を見ると涎を口から流し、醜い顔をますます喜色で歪めながら、兎に馴れ馴れしい口調で囁いた。


「兎ちゃん逢いに来たよ。後で二人きりでお話しようか。昨夜のお礼をじっくりとしたいしね。そう、じっくり……とね」


 兎は狸を無視して、弓兵達に村外れの一番頑丈そうな土蔵に、狸を閉じ込める様に命じると、見張りを残して、今後の対策を練るべく村長の家に向かった。あらかじめ古文書で下調べをしていた兎には、今や狸の正体がハッキリと解ったのだ。


 村長の家に入った兎は、家の中で家族と震えていた村長に、今は捕縛してあるから心配ない、とだけ言って、居間に預けてあった自分の荷物から人革で出来た古い巻物を取り出して、テーブルに広げた。

 それは遥か昔、大都コモリオムが僅か一日で廃墟になった顛末を記した、ある死刑執行人の遺言書の写しであった。そこには、ヴーアミ族なるエイグロフ山脈に棲む堕落した獣人の血と、別の何かの血を引いた罪人が、数度の斬首を経る度に、醜く変異した姿で甦る……といった恐ろしい話が詳細に綴られていた。


 兎は、この遺言に描かれた異形の罪人と、狸がほぼ同一の存在である事を確信した。違いは、狸の方が昔の罪人に比べて“何か”の血が薄い事と、知性が低いので、まだ対処はしやすい……と言ったあたりだった。

 しかし、死んでも異形の度合いを強めて復活する点では、両者は共通している様で、何度も殺害を繰り返せば、狸も益々力を付けて、最後にはコモリオムの二の舞になってしまうだろう。


 そう思って、危険を冒して(判読不能)の炎で狸を焼いたのだが上手く行かなかった。これが、星の巡りの悪さか、魔術師の未熟さに依るものか、はたまた神の御加護が足りなかったのか、狸に加護を賜る“何か”の力が上回ったのか、それとも……別の神による干渉なのか……その辺は兎にも判別が付かなかった。


 ともあれ、同じ手を用いるのは危険が多い。度重なる呼び出しに、今度はこちらが神の不興を買って焼き殺される事もあり得る。ならば、別の手段を講じるしか無い。それには幾つかの準備が要るが、その間に狸が脱走しないとも限らない。準備が済むまでは生かさず殺さずで、絶え間無い拷問で弱らせるしかないだろう。


 そう確信した兎は、村人に寝台や火鉢等、必要な機材を持ってこさせて、土蔵を即席の拷問部屋に作り替えた。そして兵士に交代で見張りを付けて、決して目を離さない様に厳命すると、準備が整うまで、兎は連日狸の拷問を自ら行った。


 鞭打ち、針責め、火責め、水責め……専門の機材が無いので、出来る手法は限られたが、兎は可能な手を尽くして狸を責め苛んだ。傷口が再生しない様に、そこには辛子と様々な毒草を練り合わせた猛毒の膏薬がべっとりと塗られ、狸はその都度、血も凍るような絶叫を上げた。

 その凄惨さに、見張りの兵士達は顔色を無くし、連日聞こえる狸の絶叫に怯えきった村人達は、不要の外出を控えて家に籠る日々を送る有り様だった。


 しかし、それでも狸の傷はゆっくりとであるが塞がって行った。次第に毒にも耐性が出てきた様で、傷口に膏薬を塗りたくっても、以前よりは苦痛を感じなくなっている様だった。それに、狸は苦痛の悲鳴を上げて苦しみはするものの、時折口許に恍惚の笑みを浮かべたりして、兎の手ずからの拷問を愉しんでいる風さえ見て取れた。

 兎は、そんな狸に心底嫌悪を覚え、毒の膏薬に恐竜さえも死に至らしめる猛毒の果実、デルケタの林檎の果汁を加えようとして、すんでの所で思い止まった。やりすぎて狸が死んでしまえば、更に図体と異形さを増幅させて復活してしまうかもしれない。そうなれば厄介だ。


 どのみち、明日になれば準備が終わる。うまく行けば、狸と言えども二度と害を及ぼす事も無い。そう考えた兎は、明日に備えて今夜は眠る事にした。兵士達に、狸から決して目を離さぬ様に重ねて厳命した彼女は、宿代わりにしている村長の家に戻ると、スヴァナ果のみの簡素な食事を取ってから床についた。


 しかし、夜半を過ぎた頃、土蔵の方から狸の物ではない、幾つもの絶叫が上がったので、兎は夜着のまま青銅の剣を取って土蔵に向かった。村の若い衆の何人かも、どうにか勇を奮い起こして、松明を手に兎の後に続いた。


 先頭を切って土蔵に入った兎は、立ち込める血の臭いに顔をしかめた。獣脂のランプの明かりに照らされた土蔵の中は、文字通り血の海と化して、寝台の周囲には殆ど原型を止めないまでに損壊した兵士の死体が転がっていた。そして、その死体の間に血にまみれたマンモスの牙で出来た賽子(サイコロ)と、いくたりかのパズール硬貨、それにファウム酒の革袋が散乱しているのを見て、兎はここで何が起こったのかを瞬時に悟った。


 過去にコモリオムで起きた怠慢ゆえの失態が、再びこの村で再現されたのである。


 そして、この虐殺の元凶の狸は、戒めを解いた姿で逃げることもせずに、自らが縛られていた寝台に悠然と胡座をかいて、ついさっき兵士から抉り取ったばかりの、湯気の立つ生き肝の味を愉しんでいた。


 狸は、兎の顔を見ると、残った肝を一息で呑み込んで、大きなゲップをした。そして、またあの好色な視線で兎をねぶる様に見ながら、さも愉快そうに言い放った。


「まだやるかね兎ちゃん? 諦めて、この(わし)の慰みものになるのなら、この村やら国やらは見逃してやってもいいぞ」

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