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序章

ピリカ様に捧ぐ

 むかしむかし、ハイパーボリアのある所に小さな村があった。


 その村の住人は、かつてコモリオムと呼ばれた大きな都の住人の子孫であったと言われており、今となっては詳細の判らない、何かおぞましい出来事によって都を逃げ出した住人の一部が、ここに村を作って平和に暮らしていた。


 しかし、いつからか村の周囲を不審な獣が村外れの山の中に棲み付くようになり、農作物を荒らしたり、家畜を殺したり、村の外れで夜な夜な奇妙な呪文を唱えたり、ゾタクアやツァトゥグァと言った、得体の知れない神の名を称える歌を歌ったりして、善良な村の民を悩ませていた。


 そして遂にこの獣によって一人の村娘が拐われて、山の中で執拗な凌辱を受けた末に喰い殺された、痛ましい事件を機に、村の若衆によって自警団が組まれ、同時に近くの街の知事に対して兵士の派遣を請う陳情がなされた。

 しかし、獣はそうした村人の努力を嘲笑うかの様に、自警団の裏をかいて神出鬼没を繰り返して村の被害を拡大させ、村人の中からは、この村を捨ててどこか他所へ逃げようと言い出す者まで現れる始末だった。


 そんなある日の事、獣は棲み家の山と村の間にある森の中に住む、年老いた罠猟師の罠に不注意から掛かってしまい、身動きが取れなくなってしまった。


 その日の朝早くに罠の様子を見に来た老猟師は、そこに掛かっている獣を見て肝を潰さんばかりに驚いた。何故ならその獣は、老人が、その長い人生の中で一度も見たことも無い、奇妙な姿をしていたからであった。


 その獣は、類人猿と穴熊を出鱈目に掛け合わせた様な体型をしており、人間の成人よりも一回り大きな、六フィートを越える背丈を持った身体は、全体的に醜く肥満していて、特に大きく突き出た太鼓腹が特徴的であった。

 更に、その顔は、どこか人間じみた……脂ぎった、残忍で狡猾で、かつ好色な中年男を思わせる……醜い面相で、大きな眼の周囲には濃い(くま)が浮き出ていて、まるで眼の周囲だけを、黒い顔料で塗りたくったかの様だった。

 そして、その体表は大半を不潔な暗褐色の毛皮が被っていたが、所々は完全に無毛で生白い皮膚が剥き出しになっており、そこには皮膚病じみた黒と黄の斑点が浮き出ていた。

 しかし何よりも、老人の目を引いたのは獣の股間に位置する、常軌を逸した大きさの陰嚢(いんのう)と、それとは対照的に、萎びた様に小さな性器であった。まるで、男の貪欲で醜い性を戯画化したかの様な醜悪な形のそれを、老人は正視することが出来なかった。


(注:この獣が何であるのかは、現在では判別出来ない。中国の奥地に生息していた(チャー)と言う小動物との類似性も指摘されるが、ここでは日本の文化を考慮して、以後は狸と表記する)


 老猟師は、この狸こそが村の平和を乱す害獣に違いないと確信して、山刀を構えて狸ににじり寄った。すると、狸は血走った目に涙を浮かべながら地べたに這いつくばり、これまでの非道を大声で詫びた。そして、罪を償う為に裁きを受けて死にたい。神妙にするからどうか、お上の手に引き渡してくれと泣きながら懇願した。


 突然の命乞いに困惑した老猟師は、自らの老体ではこの巨大な狸を仕留めきれる自信が無かった事もあって、ひとまず狸を罠に掛かったままにして、村の自警団に応援を呼びに行った。


 しかし、それは誤った判断だった。狸はその間にどうにか罠を抜け出して、老猟師の残した臭いを嗅ぎ付けて森の中にある彼の家にたどり着いた。そして、衝動のままに家の中に押し入ると、朝食の準備をしていた年老いた猟師の妻を、悲鳴を上げる間も無く殴り殺した。

 そして、台所にあった包丁と家の裏にあった手斧で、手際よく老婆の死体を解体して、その肉を生のジョングア豆と一緒に軽く煮込んで、岩塩だけで簡単に味を付けたそれを木皿に盛るやいなや、一気に掻き込んで空腹を満たした。


 そこへ、老猟師が家の中に入って来た。彼は何か嫌な予感に駆られて、自警団より早く罠の所に戻って来たのだが、罠が空になってるのを発見すると、狸の足跡を追って自分の家までたどり着いたのだった。

 狸は、老猟師が何かする前に素早く彼を殴り倒したが、殺しはしなかった。ある残酷な余興を思い付いたからである。狸は悶絶する老猟師を台所まで引きずると、鍋に残った煮込み肉を老人の口に押し込んで、無理矢理食べさせた。


 そして、老人が肉を飲み込んだのを見届けると、台所にあった骨と衣服の残骸を指差して、たった今老人が食ったのが、自分の妻の肉であることを明かしたのだった。


 肉を嘔吐し、泣き叫びながら呪詛の言葉を吐く老人を、狸は愉悦の表情で見下ろしながら嗤っていたが、家の外が騒がしくなったのに気がついて血相を変えた。遅まきながら自警団が老人に追い付いたのである。狸は自警団が屋内に踏み込むより一歩早く、窓を突き破って森の中に逃げ込み、そのまま行方をくらましてしまった。


 その後、狸の姿を直に見るものはいなかったが、夜な夜な山の方から呪詛の声や、邪神を称える歌声が風に乗って聞こえて来るようになり、村人は狸の報復を恐れて、昼でも野良仕事を放棄して家に閉じ籠り、ただただこの災難が去る事を祈る事しか出来なかった。


 そんな折り、一羽の白兎が音もなくこの村にたどり着いた。


 その兎……彼女は、自分の住む街に訪れた、村を荒らす忌まわしき狸の退治を願う村人の陳情を聞いて、狸の注意を引かないように、わずかな手下を連れて、密かにこの村に潜入したのだった。

一羽、二羽……と表記する兎の数えかたは、食用のウサギに対する物であり、そうで無ければ「匹」で数えるのが正しいらしい。しかし今回は物語の内容上、「羽」で表記するのが適当であると考えるので、その様に表記した。

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