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第二回企画「キーワード短編企画」

僕は彼女が好きだ。

作者: 千羽稲穂

 冬の寒さが身に染みてきた今日このごろ、彼女の姿を思い出し、懐かしんだ。

 彼女と出会ったのは学校の終わった放課後のことだ。彼女はよく学校を抜け出し、川岸でぼうっと川の流れを眺めていた。僕は早めに帰ったその日に彼女の姿を川岸で見つけた。その時、何を思ったのか分からないが、ちょっと話しかけてみようかと思い立ち、彼女に声をかけた。彼女はふっと振り向き、僕の姿を見つめた。その澄んだ目を僕は今でも忘れていない。

 あれから何年も経っていない。

 今日の彼女は一際楽しそうにしていた。


「花火大会、あるんだって」


 そうして見せたチラシに僕は胸を痛めた。そうか、彼女は僕とこの花火大会に行ったことを知らないんだったな、とほのかな罪悪感に襲われた。


「こんな催しあるなんて知らなかったわ」


 僕の意見なんて聞かずに彼女ははきはきと喋る。僕がその花火大会に行くことは決定事項らしい。彼女の押しの強さには未だに慣れない。


「僕も初めて知った」

 また彼女に嘘をつく。そうしないと彼女が自身の記憶がない事に気付いてしまうかもしれないからだ。僕にとっても彼女にとってもそれは避けねばならない一つの事実だった。彼女が周囲の人には記憶喪失で通っている、だなんて知りたくないだろう。知らない一つ一つの記憶がある、だなんて気づきたくはないだろう。


「いい思い出になりそうね」

 彼女は悪戯な笑みを浮かべた。

 

 大学三年の最後の冬のある日の昼下がり、周りには誰も居ない。誰も居ない場所を探して一緒に会っていた。まるで秘密基地に集まって子供みたく悪だくみをするように、彼女とは付き合っていた。


「確かに、来年は一緒に居られることが少なくなるからな」

 もうすぐ社会に出る。昔を思うと全くそんな感じはしなかった。まだまだ幼い子供のようにぬるま湯に浸って揺蕩っていたい気がした。


「ね、忘れられない思い出にしようね」

「そうだなあ」

 ぼやくように言うと、彼女は「なにそれー」と茶化してきた。こんな感じで言っているけれど、僕は実に真剣だ。それを茶化すのは彼女が僕のことに慣れていないからだ。仕方ない。記憶がなくなった彼女が僕に出会ったのはついこないだなのだから。


 彼女は立ち上がり帰り支度をする。マフラーが首に巻かれ、口元が隠れた。セミロングな茶色く染めた後ろ髪がマフラーを巻いてもっさりする。ふと黒髪の方が似合うなと感じてしまった。僕は彼女の黒い瞳が好きだったから、彼女の黒髪によく似合うと常に感じていたのに、今の彼女はそれとは正反対のどちらかと言えば似合っていないと思われる姿をしていた。


「じゃ、またね」


 彼女の授業の時間が迫っていたことに気付いた。そそくさと帰り支度をしていたから、その理由の理解が追い付いていなかった。

 慌てて、ポケットから手を出し、軽く手を振った。


「また連絡しろよ。花火の時の集合時間決めなきゃいけないだろうし」

「当然」

「そう言って、こないだドタキャンしただろ」

「そんなことあったっけ?」



「……あった」


 もしかしたら今の彼女の記憶にはないかもしれない。間違えてしまったかもしれない。あれだけ気を使っていたのに、口走ってしまった。彼女に気付かれただろうか。そっと彼女の表情を伺うが、彼女は悶々と考えていた。


「あった…の、かなぁ」

「あったさ」

 強く言い張るしかなかった。後は彼女のいいかげんなところに掛けるしかない。


「あった、か……そうね。そういうこともあるわね。連絡、必ずするね」


 ほっと内心胸を撫でおろし、彼女に柔らかく微笑みかけた。これでも笑顔を作るのは上手い方だ。取り繕うのは得意だった。彼女は何も気づかず、それにうんと頷く。


「またな」


 僕が言うとすぐに彼女はその場から歩き出した。そこに一片の心残りもなかった。今の彼女はこういう人だ。はっきりと喋り、誰かの手を引っ張る。数か月前、僕は記憶がなくなったそんな彼女に歩み寄り、告白し、今がある。


 そんな今の僕にあるのは確かな心の切なさだけだった。




         (16)




 川のせせらぎの傍で彼女はしゃがんでいた。大きな橋の下の川は幅が広く、水は透き通っていて、しかも川岸は雑草などなく整えられていた。そこに彼女はしゃがんでいた。じっと川面を見つめ、その黒い瞳を水にやつす。ふっと風が吹けば彼女の高校の制服は揺れて、黒い肩までかかった髪は美しく靡いた。


「よっ」


 僕は彼女を驚かそうと、突然隣から呼び掛けた。すると彼女は驚いて、体を崩し、横に倒れてしまった。


「ひゃっ」

 可愛い擬音語付きのその行動に再び和やかになる。


 彼女の容姿は然程他の女子とは変わらない。一般の高校生と同じか、それか少しだけ地味ではあった。化粧もこの頃はしていなかった。それなのに、僕には彼女が特別に映った。黒い瞳は吸い込まれそうなほど綺麗に輝いていたし、唇はまるくて愛おしかった。


 倒れたと同時にすぐさま彼女は起き上がり、歯を剝いた。この歯も並びは余りよろしくない。犬歯は突き出し、歯の間はすかすかに開いていた。

「なんなの、突然来ると驚くでしょ」

 きつく重い言葉だった。


「でも、今の様子じゃ気づかないと思って」

「気づくわよ、あなたがいることぐらい」

「僕のこと覚えておいてくれたんだ」

 嬉しくなって、声を明るくする。川に写る僕の姿はにっこりと微笑んでいた。混じりけのない瞳で川面に反射している。


「昨日、わたしの名前呼んだでしょ。びっくりして顔を覚えちゃったの。事故よ、事故」

 事故を強調しているのがなんだか可愛かった。きっとこの彼女ならば、何をしても、されても僕は許せるだろう。彼女の全ての表情を愛して、全てを知りたかった。


「それはそうと、あなた、学校は?」

 彼女が心配そうに尋ねてくる。


「サボった」

 彼女に会いたくてね、なんて恥ずかしくて言えなかったけれど、どことなく彼女には伝わっていた。彼女はうっすらと耳を赤らめて、また川面を見つめた。


「ばーか」


 川面に写った僕の姿に向けて言い放った。それならば僕もと思い、川面の彼女の瞳をじっと見つめた。


「お互い様だ」


 すると川面に写る彼女はどことなく笑っているように見えた。


 彼女と僕はこの時からお互いどこか同じ波長を受け取っていた。だから、彼女は僕を突き放しはしなかったし、ずっと見つめてくれた。傍に居ることを鬱陶しがらなかった。教師陣が彼女を連れ戻そうとした時は嫌と言うほど彼女は拒絶するのに、彼女は僕にだけは何故か心を開いていた。もしかすると、僕は彼女の秘密を知っていたからかもしれない。彼女はそれを感じとり、僕を傍に置いたのかもしれない。


 滲む悲しみに、昔を懐かしむ。

 川岸の彼女との最初のデートは宝物のように僕の脳裏に焼き付いて、輝いている。




          (22)




 赤いぼんぼりが道を照らす。火薬の香りが遠くからやってきて鼻孔をくすぐる。この匂いは知っていた。本当は数年前にも彼女と来ていたから、覚えている。冬のあの日に、白い息を吐いて、お互いをけなしあって、そして彼女を見つめて、花火より彼女が眩しくて、ああ、と幸せを感じた。


 今の隣に居るのはその時の記憶がない彼女。白い息は小さく、終始喋りっぱなしで、僕のことをちらちらと見上げてくる。背の小さい女の子の感じはあの頃とまるで変わっていない。どこまでも屈託なく、純粋に彼女は笑いかけて来た。昔の彼女を知る僕には彼女のその笑顔が心にきた。未だに彼女に昔のことを喋れないでいる僕のことを責めているようで苦手だった。


 川の近くの橋を渡ると、あの日の彼女が思い出された。大きな橋の下、川岸で彼女と出会ったのだ。あそこで彼女と共に学校をサボって、他愛のない話で盛り上がって、彼女と共に高校生活を過ごした。彼女がそこに居たのは、よくて一週間のうちの二日か、一日、悪くて三週間に小一時間程度。そこを見計らって僕はあそこに通いつめた。


「また来たの」

 重い彼女の言葉。


 彼女の呆れた顔が今でも鮮明に目に浮かぶ。彼女がそこの川岸にいる間と言う期間限定だったから、ずっと輝いて見えたのかもしれない。あの場所で会う以外は彼女を見かけなかったから。会えたらラッキー、会えなくても待ち続けて、夏の余暇を過ごした。高校時代は彼女にぞっこんだった。


「良い場所どこか、知ってる? あ、初めてだったよね」

 白いマフラーが寒い空気の中彼女の首を温めていた。今の彼女は僕の心は知らない。知ってほしくはなかった。それはとても恐ろしいことだったから。昔とは彼女は違う。


「人がいないところの方が良くないか?」

 ちょっと提案してみて、疎らに歩く人とは逆の方向に足を向けてみた。すると彼女もすんなりと僕に合わせてくれた。彼女の体が覚えているのか、彼女は不平を言わず「合わせるね」と任せてくれた。


 彼女とは川岸で見ていたのだ。僕達はよく反射する花火と寒空に浮かぶ黒い空の中の星達に目を向けていた。来年も一緒に見たいなんて冗談を交わして、それでも告白できないでいる僕の惨めさを、曖昧さを、優柔不断を恨んでいた。


「告白して来た時は、びっくりしたわ。ぜんぜん関わりなんてなかったから」

 しんみりと彼女は軽く言葉を紡いだ。黒い瞳をとろんとさせる。


「でも、不思議ね。ぜんぜん関わりなんてなかったのに、なぜか長年付き合ってたみたいだったわ」


「……僕もだ」


 ふうとため息まじりの息を吐くと意外に大きな白い霧が口から漏れていた。辺りが暗闇に染まって来たからだろうか、白い吐息ははっきりとした輪郭を表していた。僕の不安や、やるせない思いが具現化したみたいだった。


「赤い糸で繋がっているのかしらね。わたし達」


 そんな糸があれば即座に切るだろう。縁なんて一回きりでいい。強く繋がっているほど辛いものはなかった。このやるせなさを、未練を切ってほしかった。白い霧に覆われた現状をどうしようもなかった。どう行動したって、彼女には伝えるなんて出来なかった。


「赤い糸、か」僕がぼやくと彼女は目を細めた。


「運命の神様に見初められた二人って良い言葉でしょ?」


 覗きこんでくる瞳の上に茶髪の前髪がかかっていた。

 

 昔なら、こんなことはしなかった。覗き込むことも、手をつなぐことも彼女は億劫だった。怖かったのかもしれない。今のような関係になるのが、赤い糸で強く結ばれるのが、彼女にとってそれは呪いの赤い紐に見えていたのかもしれない。


「良い言葉なものか」

 嫌みを投げつける勢いで彼女に聞こえないように奥歯に言葉を噛みしめた。喉の奥が震えていた。


 ポケットに手を入れ、秘密を隠した。彼女の記憶の奥底に残る香りを見せないように、そっと微笑み彼女を目だけ動かし見つめた。彼女は何の悪気なんてない。彼女は知らないだけなのだから、それでも傍に居る僕がいけないだけなのだから、目覚めない記憶に思いを馳せると言う無駄なことをしている僕がいけないのだ。僕が今の彼女の傍に居る方がいけないのだ。


「一緒に来れてよかった」

 彼女の悪びれる隙のない軽い声が胸を痛める。

 

 君はもう帰って来ないのだろうか。記憶はもう死んでしまったのだろうか。




         (19)





 彼女と川岸で出会って、いくつかの年月と、数日を過ごした。たまに僕が学校をサボって川岸に行くと出会える彼女の姿がその頃になると、ほとんど見なくなっていた。ない方が彼女自身にとってはいいんだろう。もともと彼女が此処に川に来るのは現実逃避に近い行為だったから、来ないと言うことは現実の生活が上手くいっている兆候だったと言えた。


 でも、僕は寂しくて仕方なかった。耐えられなかった。来ない日には、彼女が事故に合ってしまったのではないか、彼女は死んでしまったのではないか、恐ろしい事ばかりが頭を過った。頭の深層では、はっきりと彼女は順風満帆に日々を過ごしていると理解はしていたのに、感情はいつも危機にさらされていた。


 幾年月を川岸で彼女とあの花火を見ただろうか。いくつからかい返しただろうか。いくつ思い出を作っただろうか。その年月は思ったより短かったのに、忘れられない日々がこの場所にはあった。


 思うたび胸を痛める一方で、痛みを忘れるために勉強に専念し始めた。そして、偶に来る痛みの衝動と共に勉学の成績は跳ね上がっていった。時たま川岸を覗きに行き、彼女が来ていないか、冬の花火をまたドタキャンするのではないだろうかと、確認しに行った。


 花火大会の前日。そこに彼女が居た。忘れられない姿が目に飛び込んできた。彼女に会う頻度が少なくなっていたから、危機感を感じていた。もう金輪際会えないかもしれないとさえ考えていた。だから、次会ったら絶対言おうと思っていた。言わなきゃ後悔する言葉があった。彼女がそこから去る前に、僕と彼女が高校を卒業する前に、花火を前にして彼女にいつも言えなかった言葉を。


「また、あなたね」


 からからに晴れた寒空の下、彼女の肩に掛かった髪が垂れていた。光ってはいない。生気がなかった。


「言おうと思ってたんだ」

 意を決して、唾を飲み込んだ。空気が冷たいのに喉が熱くて乾いてきた。

「明日、花火だそうね。去年はドタキャンしてごめんね」

 僕の言葉を遮るようにして、彼女は苦笑し、告げた。そんなことじゃない。



「好きだ」低く唸るように言った。

「でもね」彼女はまた邪魔をする。

「好きなんだ」またぼそぼそと喋ってしまう。

「明日の花火……」


 そんなことじゃなくて。




「僕は君が好きだ」




 叫んだ。


 真剣に彼女に向き合って、見つめた彼女の顔には涙がぽとりと落ちていた。「あれ?」と不思議な事でも起きたように頬を撫で、涙を拭った。でもその涙は次から次から落ちてきて、止まらなかった。ぐっと唇を嚙みしめて、目を引きつらせているのに、収まらなかった。熱くなった頬は赤く腫れて、彼女はその場に蹲った。





「ごめんなさい」

 三角座りをして腕を組みその中にすっぽりと顔をうずめた。その間から漏れ出るのは、僕を否定する言葉だった。


「ごめん」

 何回も心臓を抉る言葉を告げた。


 僕も泣きそうになって、喉元を片手で覆った。押し寄せる波が喉元で止まるように、温かい喉を冷たい片手で抑えた。俯いてしまう。



「あなたのことを、ずっとわたしの半身のように思ってたわ」



 じりじりと彼女の言葉が熱を帯びていく。

「わたしの一部みたいに、思ってた。でもね……」


 彼女の顔が上げられる。僕を見上げている。


「もう、会えないの。もう無理みたいなの」


「君は、どこに住んでるんだ」

 初めて彼女の個人情報を聞いた。でも、彼女は頭を振って、苦笑いをした。







「わたしも大好きよ」

 返って来た言葉になんだか、つんとした感情が突き刺さった。

 うんと頷き返した。


「大好き」


 この記憶さえなくなってしまうのが惜しくて仕方なかった。居なくならないでほしかった。


「大好きなのに……」彼女はぐっと堪えて、立ち上がった。


 次にはどんっと僕を押し倒した。彼女が上に被さる。ずいっと顔を近づかせて、大胆にも、鼻どうしをくっつけた。



「さよなら」



 彼女の甘い吐息が僕の唇を濡らした。


 黒縁の大きな瞳が瞬きを繰り返している。


 そっと彼女は僕の頬にキスをした。


 すぐに彼女は立ち上がる。僕は彼女の姿がその場から消えるまで、動けなかった。何もない、誰も居ないこの場に何の意味があるのだろうか。喉元の熱さが込み上げてきて「うぅ」と唸りを上げて、頬に涙を伝わせた。堪えることなんて出来るはずがなかった。


 体を縮まらせて、人目から隠れるように、顔を腕で覆った。腕を上げるとポケットからちゃりっと音が鳴った。




         (19)





 花火の音が鳴った。

 そこに彼女はいなかったのに、失恋した次の日にはあの川岸にまた立ってしまっていた。花火の虚しい音を聞き、ポケットに入った懐中時計を握りしめる。彼女の大事な半身であるその時計は針が止まってしまっていたのだけれど、それを握るとまだ彼女が傍に居るように思えた。はぁと溜め息交じりの呼吸を繰り返し、その場にただ茫然と佇んでいた。誰も来ないし、誰も居ない。空虚な黒い空を見上げて、色とりどりの花火を目に焼き付けていた。


 彼女はもうそこにはいなかった。





         (22)





 ぱんっと大きな音が響いた。わぁと嬉しそうな声を彼女はあげていた。凄いねーなんてありきたりな感想を述べて、僕は再び彼女の隣に身を寄せていた。


 彼女は決して過去には向かない。彼女の中の『彼女』はもういないのだから。


 川岸に座って、小さな花火の花を見つめていた。二人して寄り添っているせいで彼女の体温を直に感じ取れた。温かいその小さな命を傍に置いている。それなのに、彼女の顔は花火が輝いていてか知らないが、ぼやけていて見えなかった。まぶしくて彼女の顔を見れなかった。その輝きの中に、眩しさの中に、昔の彼女が居るとしか思えなかった。


 すると自然とあの日の寂しい花火のように夜空を見上げてしまっていた。ポケットにしまった懐中時計を握りしめて、彼女を思った。心の中で叫んだ。それなのに僕の好きな彼女は振り向いてくれさえしない。「もう無理なんだ」と言ったのはきっとそういうことなんだろう。彼女の死を少しずつ受け入れているのに、それでもこうして待っている僕がいる。まだ彼女の存在を感じてしまっている。


 最後の花火が打ちあがり、夜空に大輪を咲かせた。彩る花の後は萎れたぱちぱちとした音の数々が響く。黄色い枝垂桜が夜の空の闇に消えていく。散っていく。


 彼女がこっちを向いて、頬を赤らめていた。

 ふとポケットから、手を出し、彼女を見つめた。


 彼女は僕のよく知る『彼女』じゃない。きっと彼女は今、目の前に居るこの彼女と言う棺桶の中でぐっすりと眠っているんだ。それは『彼女』が死んでしまったという事実が転がっているのと同じだった。事実が僕の心の中を血で染め、悲痛な叫びを生み出す。


 そんなの一生受けいれられない。

 受け入れたくない。

 死んでも、傍に居る。

 彼女がその棺桶の中から起き上がるその日まで。

棺の中で生きていると信じてる。


 徐に彼女の唇に僕の唇を合わせた。そして離すと、彼女は顔を赤らめていた。その表情はおよそ僕の好きな『彼女』とはかけ離れている。

「君は、いつも突然だわ」

「いいだろ」

 またポケットに手を突っ込み、今の彼女に笑いかけた。嘘っぽく笑ってみて、彼女の好きじゃないからかいを受け止める。


 未だに『彼女』は人格の棺桶の中で眠っている。もう一人の『彼女』はもう生き返っては来てくれないのかもしれない。それでも僕は待ち続ける。


 二重人格の片割れである、萎れてしまった花のような『彼女』の半身を僕はいつまでも。




 僕は『彼女』が好きだから。


この作品を執筆したのは『PLANT-プラント-』(http://ncode.syosetu.com/n8047do/ )

を連載中の千羽稲穂(http://mypage.syosetu.com/917817/ )です。ご興味ありましたら、是非作品を手に取ってください。

また、この作品の裏話などは丹尾色クイナの活動報告においてされています

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― 新着の感想 ―
[一言]  重い……。重いよ……(;´Д`)  それにしてもまぁ、相変わらずフワフワとした作風ですねぇ……。  立ち位置が分からなくなってきます(笑  またも不思議な世界に迷い込んでしまいました。 …
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