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ゴミ捨て場の戦乙女-ヴァルキュリア-  作者: 小松那智
1章 真夏の出会い
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第5話 廃ホテルの怪異

 朝見山の奥まった部分には、かつて、小さな集落があった。戦前のことだ。

 だが、異国の文化が定着し、日本という国が近代化していく中で、流通が発達してしまった。すると、交通の要衝から外れ、主たる産業もない集落は、じわじわと崩壊を余儀なくされた。


「けど、この集落から麓の町に移り住んだ男が、一念発起して造船事業を立ち上げた。これが大当たりし、巨万の富を得た男は、老爺となった頃、かつて集落だった山奥を再開発しようとしたんだ」


 それに先立って、噂を聞きつけた者たちが、ちらほらと朝見山に居を構え、あるいは店を構えた。

 だが、どうやら開発は取りやめになってしまったらしい。

 今では、勇み足で乗りこんだ者たちの名残だけが、寂しくその場に佇んでいる。


 ――藤堂先輩は、車の中でそう語った。


「この施設も、結局ほとんど利用されないまま廃棄されたわけさ」


 廃墟と化した村落も、もう少し奥まで進めばあるらしい。が、目的地であるラブホテル『ミルキードリーム』以外に赴くつもりはないようで、先輩は雑草に支配された駐車場に車を停めた。


 ドアを開き、車から下りると、あたしは先輩に問いかける。


「その短い営業期間に、ここで何かの事件が起きたんですか?」

「そういうわけじゃない。廃墟になった頃には、すっかり自動車も普及していたから、愚かな若者たちにとっては、極めて都合のいい場所だったわけさ。無料で利用できる宿泊施設……当然、素性のよろしくない連中も集まってくる」


 運転席のドアを閉めながら、先輩はあたしとリザに、それぞれ何かを放って寄越した。懐中電灯だ。

 あたしがスイッチをオンにすると、リザもあたしの真似をする。


 先輩は名言しなかったが、要するに、金のない男女が営む絶好の隠れ家だったわけだ。そして、性文化が盛んになる場所というのは、往々にして『悪い連中(やくざ)』の食い物になるのだ。


 そうした流れの中で、借金返済のための『商売』――どんな商売なのかは知りたくもないが――に手を染めた女が、斡旋役のやくざとイザコザを起こし、このホテル内で死んでしまったらしい。


 それから、幽霊が出るようになり、やくざたちも寄り付かなくなったのだという。


 施錠されてないドアをくぐり、内部に足を踏み入れると、奇妙な肌寒さが襲いかかってきた。


「で、どうだい? 感想は」

「よくわかんないですけど、悲しい雰囲気ですねぇ。こういうの、あんまり得意じゃありません」

「まぁそうだね。幸せな最期じゃなかったからこそ、霊になるわけで。ナルちゃんはどうだい?」

「感想とか、とくにありませんけど」

「あーあー、またそうやってクールを気取るんだから」


 先程の話よりも、むしろその発言にイラッとした。

振り返り、先輩の顔を照らしながら「かっこつけてるつもりはありません」と言葉を突き刺す。


 目を細めつつ、先輩は「ほんとダウナー系だよね、君」と、感情の読めぬ声で呟く。まぁ、あたし、クーデレだし。何があろうと先輩にはデレないけど。


「じゃあ先輩はアッパー系ですね」

「危険ドラッグみたいに言うな!」

「先輩が言い始めたんじゃないですか……」


 睨み合うあたしと先輩。

 その間に、のほほんとしたリザの声が割り込んだ。


「佳乃さん。危険ドラッグって何なんでしょう?」

「名前の通り危ない薬よ。一時的に快楽を得られるけど、脳を傷つけちゃうの」

「へー」


 いまいちよくわかっていない様子のリザ。

 どことなくぼんやりしている彼女なので、この手の悪意にあっさり騙されそうで不安だ。


 ……いや待て、なぜあたしが不安がる。

 一時的に運命共同体となっているが、基本的には他人なのだ。心を彼女の方に傾けてしまうのは危険だし、彼女がどんな被害を受けようが彼女の勝手だろう。

 しっかりしろ、あたし。


「あれ? ノルウェーにはないの? ドラッグ」

「え? あ、いや、たぶん日本語で何と言うのか知らなかっただけじゃないですか。ね、リザ」


 眼力。


「そ、そうです。その通りです」


 あたしの威圧になんとか反応し、合わせてくれたリザ。

 かなり苦しい気もしたが、先輩は「そうか、そうだよな。北欧は福祉が充実しているらしいしな……」とわけのわからない納得の仕方をしていた。


 あたしたちは、受付の奥の階段を上り、客室の並ぶフロアに立ち入る。

 踊り場にマリリン・モンローの絵が飾られた階段を抜けて、3階にやってくると、先輩は不意に声を低く落とした。


「さぁ……いよいよこのフロアだよ。『出る』って噂なのは」


 先輩の提案はこうだ。

 一人ずつ順番に最奥部の部屋を訪れ、証拠として写真を撮って戻る。残りの二人はこの階段で待つ。


 個人的には、さっさと三人で探索して終わりにしたいところではあるが、肝試しと銘打たれている以上は、先輩の主張が適している。肝を試すなら、一人で行動した方がより怖いので、目的に合っているのだ。


 順番は、先輩→あたし→リザということになった。

 この心霊スポットにはどんな噂があるのか、そろそろ教えろと詰め寄るあたしに「何も出なかったら後で教えるよ。先に教えたら、ある程度心の準備ができちゃうでしょ?」と笑い、暗い廊下へ踏み出していった。


 あの変態がいなくなっただけで、すごく落ち着く。解き放たれたことによる安堵のため息をついて、あたしはリザにスマホで写真を撮る方法を教えた。


「ほぇー、すごいですねぇ。こんな難しそうな機械を、あっさり使いこなすなんて。尊敬しちゃいます」

「こんなの誰だって簡単に使えるわよ。ああ、なんならあんたの分も買う? それくらいなら、なんとかお金も出せるわ」

「ほ、ほんとですかっ!? ……あ、でも、やっぱりいいです。私、電話を持ってても、連絡する相手がいませんし」

「そう? あんたが要らないなら、それでいいんだけど。とりあえず、何かの事情で電話が必要になったら、あたしのを使っていいからね」


 佳乃さんは、ほんとに優しいお方ですねぇ――なんてリザが言うので、思わず吐きそうになった。

 あたしが優しい? なんの冗談だ。

 あたしは冷酷な人間だ。午後の紅茶(ゴゴティー)を午前中に飲む、1本満足バーを2本食べる、プッチンプリンをプッチンしないなど、悪逆非道の限りを尽くしてきた。

 そのあたしに対して、どうしてこの子はこんなに親しげに接してくるのだろう。

 『馴れ馴れしい』という種類の態度ともまた違う。この子があたしの心に踏み込んでくる距離感は、認めたくないが、絶妙な心地よさなのだった。


 カメラ以外にはどんな機能があるのかと問う彼女に、いくつかのアプリを見せるうち、彼女はふと表情を強張らせた。


「リザ?」

「あ、あの……その」

「何よ、いったい」


 もじもじと、彼女は太ももをすり合わせるような動きをする。

 そんなジェスチャーをされても、よくわからな……あ、いや、わかった。


「もしかして、お小水?」


 頷く。


「……仕方ないわね。外に一度出て、茂みの裏でしてきなさいよ」

「そ、そうします!」


 股のあたりを押さえながら、リザは猛烈な勢いで、開いていた窓から飛び降りていった。

 いや、階段使えよ。彼女なら大丈夫なんだろうけど。


 一人になったあたしは、ニュースサイトを巡回しようとして、電波状況の悪さに諦め、結局ぼんやりと懐中電灯の光で遊ぶ。


 それにも飽きた頃、ずいぶん時間がかかっているなぁ、と廊下の奥へ目を向けると、ちょうど先輩が戻ってくるところだった。


「ただいま」

「その様子だと……何も出なかったみたいですね」

「うん。残念ながら」


 写真は後で見せ合いしよう、とのことなので、二番手であるあたしが、入れ替わりに出発することになる。

 一歩、二歩。少しだけ廊下を進んで。


「……?」


 何かが心の隅に引っかかる。

 この違和感は何だ。いったい何が気になっているのだ、と考えて。


 ふと気づいた。

 今、あたしはいつもの生理的な嫌悪感を抱かぬまま、先輩と話していた。


「あの、先ぱ……わっ!?」


 違和感の正体を見極めようと振り向いたその瞬間、間近で先輩が拳を振り上げているのが見えた。

 ゾッとするほどの無表情、

 違和感に気づくのがあと1秒遅れていれば、殴られていただろう。


「佳乃さん!」


 腰を抜かすあたしの前に、帰還したリザが飛び込んでくる。

 一瞬、淡い光が彼女の全身を覆ったかと思うと、その服装がヴァルキュリアとしての甲冑姿に変化した。


「死霊に取り憑かれています!」


 簡潔な説明とともに、彼女は剣を振るう。

 攻撃というよりは牽制だった。


 先輩――の体を乗っ取った存在――は、後方へ跳ぶと、不意に全身の力を抜いた。

 ぐったりと肢体が崩れると同時、その口腔や鼻腔から煙が立ち上る。

 黒煙はゆらゆらと凝集すると、人間の顔のような形状になった。ただし、サイズは人間の頭蓋よりずっと大きい。1メートルほどだろうか。


 その姿に、ピンとくる名称があった。


「『煙々えんえんら』……っ!」


 上擦った呟きに、一瞬、リザがこちらを振り向く。

 その隙を突いて、煙々羅は形を崩し、煙の奔流となってリザを襲った。


「リザ!」


 しなやかなその肢体が、黒煙に覆われる。煙は手のような形状になり、リザを握りしめいているように見えた。


 ――煙々羅。

 鳥山石燕の『今昔百鬼拾遺こんじゃくひゃっきしゅうい』に名のある妖怪だ。石燕による創作妖怪とする説が根強いが――リザは死霊と言っていたし、もとは人間の魂なのだろう。

 厳密な意味での煙々羅そのものではないのだ。


 だが、その性質は明白に同一のものだ。

 煙で構成された存在である煙々羅は、決まった形状を持たぬ存在。

 剣士であるリザには、相性が悪い――


「心配ありませんよ」


 ――そんなあたしの心配を切り捨てるように。

 煙の奥で水色の光が輝いたかと思うと、衝撃波が拡がり、煙を四散させた。


「っ!?」


 その凄まじい衝撃に、あたしも吹き飛ばされ、少しだけ廊下を転がる。

 起き上がったとき、手を離れた懐中電灯が照らし出していたのは、あまりに頼もしい戦乙女の勇姿だった。


「佳乃さん! 私の後ろへ!」


 彼女の凛とした声音が耳に届くより早く、転がるように廊下を走る。

 散らばった煙が寄り集まるのを見ず、リザは目を閉じて剣を握り直した。瞑想するかのように。


 数秒、すべての音が世界から消え失せた。


 糸がぴんと張り詰め、今にも切れようとしている――そんな緊張感に、思わず汗が流れた。


 そして。

 煙が再び顔のような形状になった瞬間。


 カッと目を見開いたリザが、踏み込みとともに雷光の刺突を繰り出した。


 その一撃は、敵を貫いたかと思うと、煙をまるごと消失させ、あっさりと勝利をもたらした。


「佳乃さん、お怪我は!?」

「大丈夫。すり傷だ…け…」


 駆け寄ってきたリザに助け起こされる途中で。

あたしは、思わず声の出し方を忘れてしまった。

 まずい。これは非常にまずい。


「い、今のは……一体」


 煙々羅に取り憑かれていた先輩が目を覚まし。

 ヴァルキュリアの剣舞を目撃していたのだった。


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