第4話 オカルトマニアの誘い
リザの衣服や寝具を揃えるうちに、すっかり土曜は終わり、気づけば日曜の夕刻になっていた。
「はぁ……疲れた」
大学はないが、アルバイト先である塾で、夏期講習は始まってしまったので、それほどオフを満喫できるわけではない。
1コマ1500円の労働をこなした頃には、日もすっかり落ちてしまっている。
スーツで凝り固まった肩をぐるぐると回し、駐輪場から自分の自転車を引っ張り出すと、隣にリザが現れた。
霊体化――とでも言えばいいのだろうか、これまでは姿を消していたのだ。
「お疲れさまです!」
「……ほんと、疲れたわ」
「おんぶしましょうか? 肩車でもいいですよ?」
「ありがとう、でもいらない。自転車あるし」
どうせならお姫様だっk……いやそうじゃなくて。
通行人に見られたら恥ずかしい。
「なんだか、難しそうなお勉強でしたね」
「そんなに難しいものじゃないわよ。新しい価値観を創造するタイプの学問じゃないから」
あたしの担当科目は古文漢文と日本史だ。英語もたまに代打で教えたりするが、少なくとも夏期講習中はそういうことになっている。
リザが姿を消す様子もないので、あたしは自転車に乗るのをやめ、徒歩で帰ることにした。彼女のスピードなら、容易く追随できるのだろうが、だからといってあたしだけが自転車というのは申し訳なく感じてしまう。
ただでさえ目立つ北欧美女を連れて歩くのだから、なるべく異質な行動は避けたいと言う気持ちもあった。
「で、何か用?」
「用ってほどでもありませんけど。霊体化しているよりは、自分の脚で歩いて、自分の目で町を見たいなぁ、と」
「ふーん」
そういうことなら、仕方ないか。
リザは甲冑姿ではなく、あたしが買い与えた服を着ている。
あたしが着ればギャグにしかならないようなオシャレな服でも簡単に着こなしてしまうのが悔しいところなので、あえてちょっぴり野暮ったい服を選んであげた。本人もごちゃごちゃした服よりはシンプルな方が好みのようだし、それで問題ないだろう。
「どこか、寄りたいところはある?」
「うーん。そうですねぇ。温泉とか?」
「……それはちょっと難しいかな」
「そうですか。じゃあ、何か美味しいものを食べて帰りましょう」
何か美味しいもの、とのオーダーに、どの店へ連れていくべきだろうかと悩む。
そういえば、大学に入ってすぐの頃、サークルの勧誘で連れていかれた場所があったっけ。あの店にしよう。
「ちょっと遠いけど、いい?」
「いいですよ」
遠回りにはなるが、それだけの価値はある。
居心地もよく、味も上等で、価格帯も決して高くはない――そんな店だった。
この月ヶ浜市の中心に鎮座する浅見山。その麓にある一件の洋食屋に訪れたあたしは、リザを連れて店内に入った。
「オムライスが美味しい店なんだ」
「オムライスですか」
現世の知識は、中途半端にあったりなかったりするジルだが、オムライスは知っていたようで、露骨に頬が緩んでいた。
あたしは和風オムライス、リザは明太子オムライスを注文し、ひととき、穏やかな食事の時間を愉しむ。まるで仲の良い友達のように、一口ずつ交換してみると、明太子オムライスの卵の下は、ケチャップライスでなくバターライスだった。なるほど、確かに明太子の味とケチャップの味は喧嘩しそうだ。今度、自分でも作ってみようかな。
一皿で満腹になったあたしに対し、リザはまだ余力が残っているようだったが、あたしの金で食べているのだから、あまり贅沢はさせられない。
少し物足りない様子のリザとともに、店を出ようとしたとき、ふと近くのテーブルから、気になる声が聞こえてきた。
「えー、困るよ。今になってキャンセルとかさー」
何やら電話をしているらしく、軽薄な声音が耳に侵入してくる。
……別に、飲食店で堂々と電話をしていることに文句を言いたいわけではない。
問題は、その男の声が、あたしのよく知るものに酷似している点だった。
嫌な予感がして振り返ると、案の定、見知った顔がそこにある。のみならず、目が合ってしまった。
「げっ」
「あ」
顔をしかめるあたしと、ぱあっと明るい表情になる優男。
「あ、ごめん。解決しました。それじゃ」
男は、ニヤニヤと笑いながらスマホをポケットに放り込むと、あたしの逃走経路を塞ぐように、隣の席に滑り込んでくる。軟体生物みたいな動きで。
「やぁナルちゃん。こんなところで会うとは、奇遇だね」
「…………そうですね」
苗字の鳴滝から二文字を取って、あたしのことをナルと呼ぶこの変態は、認めたくはないが顔立ちは整っている。リザがぽかーんと見つめているのは、もしかして見惚れているのだろうか。それは、なぜだか、ちょっと嫌だった。
すらりと背の高い変態に圧迫され、身を縮こまらせながら、あたしは助けを求める視線をリザに送る。
だが、リザはそれには気づかず、ぼんやりとあたしたちを見比べるばかりだった。
「こちらは? お友達?」
「ええ、まぁ、そんなところです。リザ……えっと、留学生の子で」
話を合わせろ、と視線を送ると、今度はちゃんと理解してくれたようで、二人は「よろしく」と握手を交わした。
「で、えっと。この人は、藤堂誠一先輩。先輩って言っても、同じ大学に通ってるってだけの人なんだけど」
「だけとはひどいな。一時期とはいえ、同じサークルに入ってた仲じゃないか」
「先輩が勝手に書類を書いて入会させただけでしょう」
藤堂先輩は理学部物理学科に属しながら、ある意味正反対と言える趣味の持ち主だ。要するに、オカルト研究会の主将なのだが。
問題は、そのオカルト研究会が、大学から認可されていない《《非公認》》サークルである点だ。
正規メンバー1人というクレイジー極まりないサークルの会長であるこの男が、あたしとなぜ知り合いかというと。
「今でも一応メンバーなんだからね。いつでも顔を出してくれていいんだよ?」
「お断りします。何度でも」
ふん、と鼻をならす。
先輩がなおも同じようなことを言おうと唇を開くので、腕を組んでギロリと睨んだ。
「あのぅ……話が見えてこないんですけど」
あたしが視線に悪意を込めていると、困惑気味にリザが会話に加わった。
何が嫌って、リザは先輩に生理的な嫌悪を抱いていないという点だ。
「この変態はね、あたしが民話や伝承・神話にちょっと通じてると知ってから、しつこく勧誘してくるのよ。主催してるオカルトサークルにね」
「だって、君は素晴らしいよ。オカルトオタクってのは、往々にして、持論と妄想でしか物事を語れないからね。その点、君は資料と事実に基づく冷静な議論ができる」
「でもあたし、オカルトマニアじゃありませんから」
きっかけは、一般教養科目の『神話と伝承の世界』で、あたしが会心の出来のレポートを提出してしまったことだった。内容が優れていたのは、たまたまだ。実力じゃない。けど、教壇から、担当の教員はあたしの名前を呼び、誉めそやしてから、レポートの全文を教室中に配布したのだ。
結果、最後列で講義を聞いていた藤堂先輩に、つけ狙われる羽目になったのである。
何度警察に通報してやろうと思ったかわからないが、あたしの我慢が限界に近くなるタイミングで、数週間姿を現さず、またふらりと勧誘に現れるのが、この男の恐ろしい点なのである。
「まぁ、まぁまぁ、お二人とも落ち着いて」
そんなあたしたちの確執を知らぬリザは、のんびりと笑ってる。
どころか、余計なことをしやがった。
「先ほど、何やらお困りの様子でしたけど……私たちに力になれることはありませんか?」
「ちょ……リザ、やめ」
慌てて止めようとするが、もう遅い。
「そうそう、大変なんだよ! 肝試しデートに誘ってた女の子がさ、急に来られないなんて言うんだよね! こっちはレンタカーまで借りたってのに」
「そうですか。残念でしたね」
ざまぁみろ。
とは思うものの。
同時に、嫌な予感も急速に膨らんでいく。
「それじゃ、私たちはこれで。肝試しはお一人でどうぞ」
「待ちなよナルちゃん」
「待ちません」
「1カ月。そう、いっしょに行ってくれれば――1カ月間、勧誘をやめてあげよう」
その言葉に。
立ち上がりかけていたあたしは、思わず動きを止めてしまう。
「佳乃さん! 私、行ってみたいです」
「…………わかったわよ」
リザが言うなら――仕方ないか。
嘆息するあたしに、先輩が笑顔を向ける。やめてくれ、鬱陶しい。
隣にこの男がいることが不快でならないので、あたしはリザの隣に座り直し、意味もなく彼女のたおやかな手をぎゅっと握った。
あ、これ、なんか落ち着く。
「わがままに付き合わせてすみません」
小声でへらへらと謝るリザに、「別にいいわよ」と返す。
「で? どんなところに行くつもりなんです?」
ため息交じりにあたしが問うと、先輩は、待ってましたと言わんばかりに勢いよく答えた。
「廃墟になったラブホテル」
やっぱり帰ろう。
椅子を蹴飛ばすような勢いで立ち上がるあたしを、二人がかりで引き留める一幕があってから。
結局、あたしは渋々ながらついていくことになり、先輩のレンタカーに乗り込んだ。
目指すは、廃ホテル『ミルキードリーム』。
人生初めてのラブホテルが、まさか肝試しとはね。