第3話 救世の契約
結局、おかゆでは物足りないだろうと判断したあたしは、ヴァルキュリアを24時間営業のファーストフード店に連れて行った。
助けてもらった恩があるので、何でも好きなものを注文していいと言ったのだが――まさか「こっからここまで全部ください」をマジでやる奴がいるとは思わなかった。さすがに止めたけどさ。
「おいしいですね、このハンバーガーというものは!」
「そう。気に入ってくれたなら、よかったけど」
甲冑姿の不審者を連れて、一ヵ所に留まり続けるのは危険である。主に通報的な意味で。
なので、テイクアウトしたバーガー6個+ポテトLが冷えないうちに我が家に帰って来たわけなのだが。
帰ってみれば、これはこれで、やっぱり部屋の汚さが目に付いたりして、結局どんな道を選ぼうとあたしの精神には負荷がかかるようだった。
「で? あなた……服装から察するに、ヴァルキュリアってやつなの?」
「よくごおんいでうね。ほのほおりです」
「呑み込んでからでいいわよ」
ごっくん。
最後のバーガーを胃へと押し込んでから、ヴァルキュリアは「よくご存じですね。その通りです」と言い直した。
口の端にケチャップがついてたので、ティッシュを渡し、自分の口元を指さすジェスチャーで伝え……あ、伝わってないな、これ。やむなくあたしがふき取ってやった。
「ありがとうございます」
「どういたしまして。ヴァルキュリアっていうと……あれよね? 北欧の」
「はい」
「戦士した勇者を選定して、天界に連れていくっていう」
「選定は主神オーディンの役割です。ヴァルキュリアは、ただ死者をヴァルホルに連れていくのみの、いわば雑用係でして」
ヴァルホル。ヴァルハラ。
死した戦士の館――か。
北欧にはヴァルホルの名を冠された山が多いと聞く。
日本でも、山というのはすなわち異界であったものだが、感覚としては非常に近いものなのかもしれない。
死者――『あちら側』の存在は、異界としての山麓に居る。
そういう考え方。
日本でも、山人なる存在が村々から人々を山奥へ連れ去ったという伝承が分布している。山で死ぬと、遺体が見つからないこともあるだろうから、きっと『何者かに連れ去られたのだ』というイメージが出来上がっていったのだ。
「それで、そんなヴァルキュリアが、どうして日本にいるの? しかも、ゴミ捨て場なんかに倒れてたけど」
「……あの。えっと」
「もしかして秘密だった?」
「いえ、そういうわけではないのですが」
帰ってきてから、あたしの服に着替えたヴァルキュリアは、居心地が悪そうに、ベッドの上で脚をもぞもぞさせる。エロいからやめろ。ただでさえあたしの服ではサイズが小さくて、胸が強調されてるんだ。
自分の色気のなさが悲しくなるじゃないか。
なんて、馬鹿みたいなことを考えていると、思わぬ強打が鼓膜を襲った。
「記憶がないんです。私」
おぅふ……。
思ったよりヘビーな一撃が来やがった。
「記憶がない? そういや、名前とかもわからないの?」
「はい。よければ、佳乃様が名付けてくださいませんか?」
「じゃあヴァルちゃんで」
「さすがにそれは安直すぎるかと……」
安直でもいいと思うんだけど。まぁ、本人が嫌なら仕方ないか。
「レナス……はまずいよね」
「?」
「こっちの話。で、原典に登場する名前をつけるのも、ダメな気がするし……じゃあ、リザで」
「リザ、ですか」
「ダメ?」
「いえ。では、それで行きましょう」
さきほど、彼女の完成されすぎた美に圧倒され、思わず脳裏に浮かべてしまった『モナ・リザ』。つい、その名を拝借してしまった。
もう少しいい名前があったような気もするが……そんなことで無暗に時間を浪費するのも愚策だ。識別記号としての機能さえ果たせれば、花子でもポチでもいいのである。
「で、リザ。記憶喪失って話だけど……何か覚えていることはないわけ?」
「ただひとつわかるのは、世界に危機が迫っているということです。きっと、私はそれに対処するために、現世にやってきた……あるいは呼び出されたのでしょう」
「ふーん。その、世界の危機とやらは、具体的にどういう事態なのよ」
「死と生の境界が揺らいでいます。いえ、生死というよりは、現世と幽世ですね。端的に言うと、本来は特殊な条件が揃ったりしないと顕現できない怪物や妖怪が、容易く人界にやってくるということです」
それは……なんとも大変な事態だ。
他人事みたいに、あたしは呑気に座布団の上に座り直した。
「それを何とかしなきゃってわけね」
「はい。半神の私には、神の意思はわかりませんが……ヴァルキュリアが投入されるということは、神々の落日に相当しかねない大事件かと」
と言われてもねぇ。
ラグナロクって、神界の戦争であって、その規模は人間に再現できるものではないでしょうに。それこそ核兵器でも持ち出さなきゃ、ラグナロクに匹敵する事態にはならないと思うけど。
いや、まぁ、あたしはラグナロクとやらを体験したわけじゃないから、確かなことは言えないけど。
「ただ」
ぼんやりと考えていると、少し困惑気味にリザは声のトーンを落とした。
「ただ?」
「なぜか日本にいることからも推測できるように、此度の顕現は、いささかイレギュラーな要素が強すぎます。私自身、不完全な状態なのです。倒れてたのも、おそらくそれに起因するのでしょう」
「今は大丈夫なわけ? 顔色、よさそうだけど」
ハンバーガーを食べたから……じゃないよね。
あたしを助けに来てくれた時点では、すでに元気だった……あ、いや、ちょっと待って。どうしてあたしの場所とかわかったの。
まさか、
「私にも詳しい事情はわからないのですが……どうやら、現在の私は、佳乃様にいわば憑依しているような状態なのです」
やっぱり。そういう流れか。
「心当たり、ありませんか?」
「……アリマセンケド」
言えない。キスしちゃったとか、言えない。
「その憑依状態って、解除できる?」
「容易にはいかないと思います。現世風に喩えるなら……そうですね、接着剤でものを引っ付けるのは簡単ですが、引き剥がすのは難しいでしょう? できたとしても、それぞれを傷つけてしまいかねません」
「確かに。それに、あたしから離れたら、またエネルギー不足になっちゃうわけでしょ? なら、それについては、受け入れるしかないか」
物わかりのいいオトナな自分を演じてはみたが――なんか嫌な予感がする。
憑依を受け入れるということは、たぶん。
「となると……まことに心苦しいのですが、私は佳乃様に、ひとつ、お願い申し上げなければなりません」
なんとなく、予想はできるけど。
一応、聞いてみることにした。
「お願いします、佳乃様! 力を貸してください、世界を救うために――」
「いいよ」
食い気味に頷く。
「……あ、あはは、そうですよね。やっぱり、いきなりこんなこと言われたって、そう簡単には、」
「いや、だから、いいよって言ってるでしょ」
どうやら、あたしよりも、むしろリザの方が混乱しているようだった。
世界を救うとか言われてもね。
具体的にどんな危難が待ち受けているかもわからないのだから、怖がったり不安がったりする方が難しいわけで。
「た、戦ったりするんですよ?」
「あんたの方からお願いしてきたんでしょ? 協力するって言ってるんだから、それでいいじゃない。だいたい、憑依状態である以上、あたしが協力しなきゃ、あんたはどうせ動けないんだし」
「それは……そうですけど、なんだか、あの、えっと」
なんだか――の後にどんな内容の言葉が続くはずだったのかは、想像がついた。
人間らしくないのだ、あたしは。
でも、そういう風に育ってしまったのだから仕方がない。
なぜ生きているのかと問われれば、それは単に生まれてしまったからで。つまるところ、今すぐ殺されたって、別にどうってことはない。さきほど野槌に食い殺されかけた瞬間の記憶が、以前から抱いていた認識を、さらに確固たるものにしていた。
ドライな人間を気取っているつもりはない。
正真正銘、神に誓って、これはキャラ作りの類ではなく、あたしの本心なのだった。
「とりあえず、生活用品揃えないとねぇ」
世界の危機などどこ吹く風といった調子で呟くあたしに、リザは唖然としながらも「はぁ」と曖昧な相槌を打った。
ショッピングモールの営業開始時間までは、少しだけ眠らせてもらうことにしよう。
のそのそと立ち上がりつつ、あたしはリザに手を差し出した。
「よろしく、リザ」
「よ、よろしくお願いします」
おそらく、第三者から見れば、世界を救う戦いが始まるとは想像もつかないであろう、気軽なテンションで。
あたしたちの日々は、始まりを告げたのだった。