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生存権

作者: G





生存権









「凍え死ぬ」

「おー、頑張れ」

「人殺し」

「誰が人殺しだよ」

「死んで」

「無理」

「じゃあ、死にたい」

「死ねよ」

「嫌だよ」




ザワザワと音を鳴らす草木が耳元で唸っている。

先ほどから飛び交うのはやる気のない会話。

始まっては途切れての繰り返しで面白みのかけらもない。


「ここどこだっけー?」


気がつけば温かい風が吹いている。

そんなもの当たり前で、だって今は春なのだから。

それなのに、ここが分からなくて何故ここにいるのかと思えてしまえて、寒くないのに寒いと思ってしまった。

ごろりと寝返りをすればさくらの目に不機嫌かそうでないのか分からないような顔がこちらを見ていた。


「多分、ガッコウ」

「何が」

「・・・今いる、場所」

「ああ、そっか」



問いかけたのは自分自身。

だけど問いかけたことにさえ、つい先ほどのことさえも忘れてしまうのは今が春だという証拠なんだと思わせた。

そして今まさに隣にいる人物の顔を初めて見た気がするのは何故だろう。

いるようでいない存在だった。

だけど、いた。確かに。

それも、あの学校一有名な彼と共に。あ、名前なんだっけ?忘れちった。

投げた言葉に、返ってくるということは、自分以外にも他の人間がいることなのに、全く彼の存在など空気のように感じなかったのだ。

まるで、同じ人間になったような変な感覚。一体感。


「嗚呼、寒い」


どこか空気が蠢いた。

それでも、さくらの体は死んでいるかのように動こうともせず、ただ寝転がっているだけだった。

彼は訳が分からず、可笑しなくらいに不気味に顔を歪ます。


「・・・お前、死ぬのか?」


(今日初めてあった人間にそんな事を聞くなんて、人間としてどうだ)


うっすら、さくらは重い目を必死でこじ開けようとしながらそう思った。

だけど自分自身が変な人間だということを、ちゃんとこの生きてきた数十年の間で熟知しているので文句は言えない。

アア、言う気力さえもない。


(無駄な努力だと知っていても、無駄な足掻きだとしても、まだあたしはそこにいたいのに)



「ねぇ、寒いよ」

「・・・」



寒いね、寒いね、ここは とても 寒いね


どこか温かいところはないの、ねぇ。



「これも何かの縁だからさ、私をあたたかい場所に連れて行ってよ」



もう開いてはくれないようで、さくらの目は真っ青な空を睨むことはなかった。

本当に死んでしまっているかのような、死を待つ人間のように、弱弱しい声に彼は決して寒くはないのに、体が小さく震えた気がして。

真っ青の空に、当たり前のように浮かび続ける綿のような雲が妙に憎らしい。



「ここは十分に暖かいんだが」



憎まれ口を叩くように彼の口は尖っていた。

その理由は知らない。

知る必要はない。


今日初めて会ったのにもかかわらず、何故だろう。

訳の分からない死にそうになっている女を暖かい場所へ連れて行かなければならないのか。

そんな面倒はご免だ。

そう思っているのにも拘らず、今日初めて会った彼女に、自分の存在を受け入れてもらえているような心地よさ。そして、何より、自分をこの場所から追い出そうとしないことに嬉しくもあった。

知る必要はないかもしれないのに。



(嗚呼、彼女は誰だ)




「人殺し」


「・・・俺は人殺しじゃない」

「助けを求めているのに見捨てるんだね、君は」




何がそれほどに寒いのか。

彼には分からない。

もはや、分からないことが、当然であるということに気づかず真面目に考えてしまった。

バカな問題に時間をかけた。

自分が可笑しいのではない、今ここで空気を共有している彼女の方が可笑しいのだ。

可笑しい女だから、わからなくて当然だ。

狂っている。

ゆっくりと、まるで死を待つ人のようだ。



「もう、死にそう」


「死ねよ」さっきまで簡単に得た言葉が喉をつっかえる。

きっと、正しい言葉なんて返せはしない。

力なく草木をなぎ倒し倒れている彼女は本当に死ぬのかもしれない。

そう思ってしまえても仕方がないのかもしれない。



「死にたい」

「なんで、死にたいんだよ」

「冷たいの」

「何が」

「でも、死にたくない」

「・・・」

「冷たすぎて、凍りそうで、もう、死んじゃうよ」



(どうか、最後ぐらいあたたかく見送って)

(凍りきってしまったけれど、溶かしてください)




「寒い、冷たい、痛い、よ、心臓が」




もう、生きていたくない。

だけど、まだ死にたくないのはどうしてなんだろう。


嗚呼 寂しくて悲しくて、春だということはバカな自分でも分かっているけど、真冬のように寒くて冷たくて凍ってしまった、心。

死ぬ事を覚悟して死ぬときっていうのは、こういう感覚だと思い始めたとき、何故かさくらの目がうっすらと光を招きいれた。


心音が停止する前に、見えたのは、当たり前にそこにいた綿のような白い雲だった。

変わらない世界に嗚咽がこぼれた。


こころが、ないている。

こころが、壊れていく。

こころが、死んでいく。

こころが、消えていく。




「俺が」


空気がうごめいた。

指が、風に煽られ、小さく動き始める。

黒い髪が生き返ったように頬を撫でた。


ないに等しい渾身の力を振り絞って、上体をずらして、目線を動かした。

瞬間、真っ白い綿を覆い隠すように真っ黒い髪が目に入った。

それは、さくらの髪じゃなかった。

そんな事、考えなくとも分かりきっていた。




「俺があたためてやろうか」


((ねえ、凍った心をあたためてよ))

雪解けの季節は十分に迫ってきていた。


視界が突然真っ暗になる。

死ぬ、そう思って目を閉じなければと思い、閉じようとしても、目は閉じられなかった。

意味が分からなかった。


当たり前だった。


(ああ、そうかあたしはもう目を閉じているんだ)


全てのことに対して嫌気がさし、考えるのも嫌になっていた。

そして、つかの間。何かが離れたとき、真っ暗だった目が世界を見た。



ああ、ああ、ちがう。ちがった。


目は閉じられてはいなかった。



強く瞬きをしてしまうほど眩しい。

目を見開き続け、何かがこみ上げた。


「まだ寒い?」


目に映ったのは綿のような白い雲じゃなくて、不機嫌かそうでないのか分からないような顔でもなく。

どこかで見たような子供のような顔をした男だった。


ふと、草木がざわつく音を遠くに聞きながら、今、冷たい唇にあたたかさが戻った気がした。


風が髪を揺らす

髪が頬を撫でて

頬を伝う涙で髪が濡れた。



「冷たい」


頬を流れる水も冷たかった。

それなのに、妙に、それは温かくもあって、不思議だった。

何となく、まだ生きていたいと思えたのはどうして?


(嗚呼、嗚呼・・・)

また、何かがこみ上げる。







少しして、ファーストキスを奪われたことに、さくらは漠然と気がついた。










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