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出雲古謡 ~少年王と小人神~  作者: かざみや
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第二章 「因幡の白兎」

 杵築の郷を出発してから、数日。

 志貴彦達一行は、海岸ぞいをつたいつつ、東へ東へと旅を進めていた。

 出雲国の隣国である伯耆国を抜け、既に彼らは因幡国へ入っている。この後南へと下り、八上姫のいる八頭郡へと向かうのだ。

「……おっもいんだよな、まったく!」

 呟くと、志貴彦は肩に担いだ袋の端を握り直した。

「気の毒にのう。出来るのならば、わしが代わってやるのじゃが」

 志貴彦の頭の上に座り込んだ巨大蛾--もとい、少彦名が哀れむように呟いた。

「--絶対出来ないと分かってて言ってるだろう」

「実際どうにもならぬのは事実じゃ。いたしかたなかろう」

 少彦名はすまして言った。

「まったく、役にも立たない蛾を拾っちゃったよ」

 毒づいて、志貴彦は溜め息をついた。意気の消沈と共に、自然歩みも遅くなる。

「ほらどうした、がんばらぬか! このままでは、ますます一行から遅れてしまうぞい」

 言いながら、少彦名は志貴彦の髪をひっぱる。顔をしかめつつ、志貴彦は彼方を見やった。

「……今更どんなに急いだって、もう追いつきやしないよ。兄さん達は、見えない所まで行っちゃったじゃないか」

 志貴彦の言う通り、どこまでも続く砂浜には、人っ子一人いなかった。兄達は、自分たちの旅荷物を全て志貴彦におしつけ、彼らだけでさっさと先へ進んでしまったのである。


「こんなの持ってたら、どんな大男だって遅くなるさ」

 志貴彦は憮然として言った。一つの袋にまとめて入れた兄八人分の荷物は、軽く子供一人分位の重量がある。それを右肩に担いでついてきていたわけだが、華奢な身体の志貴彦には、どうにもつらい苦役だった。

「……まあ、急げぬにしてもじゃ。ちと、気を奮い立たせねばならぬぞ。あれを見い」

 少彦名は、小さな手で前方を指さした。うつむいていた志貴彦が、つられて顔を上げる。

「うっ……『気多の前』……」

 志貴彦はうんざりしたように呟いた。

 彼らの前方には、なだらかだった海岸線を割るようにして、苔に覆われた岩場が突き出している。「気多のけたのさき」と呼ばれる海岸の岬だ。この岬を越えなければ、因幡国を南へと下る道に出ることは出来ない。いわば、因幡国内部への入り口にあたる岬であった。

「あれを上らねば、先へ進むことはできぬのじゃろう?」

「あー、そうなんだよね……そうなんだよっ!!」

 半ば自分に言い聞かせるように叫ぶと、頭を振り、志貴彦は左手で頬をパンパンと叩いた。

「よし、行くしかないんだから、行こう!」

 背筋を正し、志貴彦は急に勢い良く歩を進める。

「な、なんじゃ。突然元気になりおって」

 揺れる頭の上、均衡を崩しながら少彦名は言った。

「諦めついたら、切り替えは早いんだ。僕、ぐちって長続きしない質なんだよね」

「単純でいいのう……」

 実際、志貴彦は駆けるようにして岬の麓へ辿り着いた。そのまま、全身を使って岩場をよじ上る。

「き、気をつけての」

 少彦名が不安そうに言った。頭から滑り落ちぬよう、両手でしっかりと志貴彦の髪の毛を掴んでいる。

「まあ、運動神経はいいほうだから、多分大丈夫」

 気楽に呟きながら、志貴彦は案外器用に岬を上っていった。浜からの海風が時折強く吹きつけたり、片手で持った荷物が邪魔になったりはしたが、それでもなんとか無事に頂上付近まで上り詰めた。

 その時。


「……あれ?」

 岩から伸びた木の枝を掴んだまま、志貴彦はふと耳をそばだたせた。

「なんか、変な声しない?」

「声?」

 志貴彦に言われて、少彦名はきょときょとと頭を巡らした。その途端、遙か下方の海面が目に入り、思わず目眩を覚える。実は彼らは、かなり不安定な格好で、岩場の壁面に張り付いていたのだった。

「いいい、いや、わしには分からぬ。それより、早く上に出ようぞ!」

「うーん、確かに聞こえたんだけど……ま、いいや。--よっと!」

 掛け声と共に、志貴彦は岬の頂上に這い上がった。一端荷物を下におき、汚れた衣服をパンパンと手で払う。

「やあ、苦労したけど、いい眺めだなあ!」

 志貴彦は笑顔で周囲を見回した。

 眼下には、どこまでも続く大海が広がっている。もし目がもっとよければ、遠く彼方にある韓国からくにさえ見渡せそうな海原だ。

「天気もよくて、きもちいーなー!」

 志貴彦は機嫌よくのびをする。

 --その時だった。

「……おいおいおい……しくしくしく……」

 志貴彦の背後から、奇妙な声が聞こえてきた。

「……なんか……やっぱり声が……」

 途端に怪訝な表情となって、志貴彦は呟いた。

「うむ。今度は、わしにも聞こえた」

 少彦名は重々しく頷く。意見の一致をみた二人は、謎の声の正体を探ることにした。

 岬の頂上は大体が岩場で、先端と逆の方には松林が生えている。その陰に目を凝らしたとき、少彦名が驚きの声をあげた。

「あ、あれは何じゃっ!」

「あれは……」

 志貴彦は目を丸くする。

 何か得体の知れぬものが、松の根元でうち伏せながら身を震わせているのだ。

「……おいおいおい……しくしくしく……」

 声は、確実にその生き物から発せられていた。志貴彦は松に近づき、「それ」を凝視する。

「ねえ……君、もしかして泣いてるの?」

 しばらく見つめた後、志貴彦は恐る恐る声をかけた。

 側で聞いてみて分かったのだが、その生物が発していた音は、極めて「へんてこで情けない泣き声」だったのである。


「……」

 志貴彦に問いかけられて、『生物』は無言で顔を上げた。

 『生物』の丸い大きな目は、真赤に腫れ上がっていた。頬には、大粒の涙が流れている。

「君は……もしかして、『兎』?」

 訝りながら、志貴彦は訪ねた。赤い瞳で志貴彦をじっと見上げた後、『それ』は小声で答えた。

「……はい。確かに、私は兎です」

「これが兎じゃと?」

 頭の上で、少彦名が怪訝そうに言った。

 彼らがすぐに分からなかったのも、無理はない。

 兎は、本来ふさふさとしているはずの毛を、全てむしり取られて丸裸になっていた。おまけに、その露になった皮膚は、全身いたるところひび割れて、血が滲んでいる。

 本人に名乗られなければ、とてもではないが、「兎」であるなどと判別つかないほどの、哀れな姿であった。

「何で泣いてるの?」

「あまりにも、痛いので」

「……そうだろうねえ」

 数え切れぬほどの兎の傷を眺めながら、志貴彦は感心したように言った。

「でも、そもそも、なんでそんなことになったのさ」

 志貴彦は、当たり前の問いを発した。その途端、涙に濡れていた兎の赤瞳が鋭く光る。

「……まあ、聞いてくださいな、お若い方」

 兎はことさらに哀れっぽい声を出すと、突如として蕩々と語り出した。


「わたくしは、もともと隠岐島に住んでおりました。こちらの国に渡りたいと思っておりましたが、その術がございませんでした。そこである時、海にいた鰐を騙して言いました。『わたくしとあなたの一族と、どちらが数が多いか比べてみましょう。あなたの同族全て

を連れて、この島から「気多の前」まで、皆一列に並んで伏していらっしゃい。そうしたら、わたくしはその上を踏んで走りながら数えて渡りましょう。そうすれば、どちらが多いか分かりますから』……と」

 そこまで言って、兎は嗚咽した。それは妙に人間くさく、何だかわざとらしかった。

「それで、渡れたの?」

「はい。首尾は上々かと思われました。わたくしは鰐の上を数えて渡ってきて、丁度地に降りようとするとき、『お前は私に騙されたのよ』と言ってしまいました。その途端、一番端にいた鰐がわたくしを捕まえ、わたくしの大事な毛皮をそっくり剥ぎとってしまった

のです」

「……なんだ、馬鹿な事言うからだよ!」

 聞いた途端、志貴彦は素直な感想を漏らした。兎が一瞬、不機嫌そうに顔をしかめる。

「それで、その傷はその時に出来たものなのかの?」

 大きな目を興味深そうにしばだたせながら、少彦名が聞いた。

「……いいえ。わたくしの不幸には、まだ続きがあるのです。聞いてください」

 気分を害していたような兎は、改めて悲しげな表情を装うと、再び話し始めた。

「わたくしがここに伏しておりますと、八人のご兄弟がいらっしゃいました。わたくしが事情を話しますと、彼らは『この海水を浴びて、風に吹かれて寝ていれば直るだろう』とおっしゃいました。わたくしは彼らの言う通りにし、ここで寝ておりましたが、身体が乾

くほどに、身の皮がことごとく風に吹き裂かれ、痛んで痛んでたまらないのです。それで、ずっと泣いておりました……」

 語り終わると、兎はまたおいおいと泣き始めた。何故か知らないが、その姿は傍目にも極めてわざとらしく、胡散くさかった。


「……兄さん達の仕業だな。わざと、嘘を教えたんだ。あの人たちらしい……」

 しばらくの沈黙の後、志貴彦は唸るように言った。

「困った人たちだよ」

 少年は、はあっと溜め息をつく。

「そうですっ。あんな意地悪な人たちに、八上姫を娶ることができるもんですか!」

 兎は即座に悪態をついた。その途端、志貴彦は驚いたように兎を見つめる。

「……君……なんで、兄さん達が八上姫に妻問いすること知ってんのさ」

「えっ、いや、それは……」

 突如志貴彦に突っ込まれ、兎は返答に窮した。

「それは、その……風の噂で」

 兎はにへら、と笑った。

「--怪しいの」

 志貴彦より先に、少彦名が言った。

「まだ、兄達本人から聞いた、という答えの方がましじゃ。兎、お主あまり頭はよくないの」

 兎は、思わず敵意を込めて少彦名を睨む。それを見て、志貴彦は言った。

「……まあ、確かに頭は悪そうだよ。誰が聞いたって、一発で嘘だって分かる治療法を実行しちゃうんだから。それに、鰐を騙したときのツメも甘いよねえ」

「というよりも、その話事態がどうも怪しいぞ。兎、その隠岐島というのは、どこにあるのじゃ?」

 志貴彦と少彦名、二人に問いつめられて、兎は慌てて海の彼方を示した。

「あれ、あそこ、あの島です」

 兎の示したほうには、確かに小さな影が見えた。波間に浮かぶ、それは……

「まあ確かにあるにはあるけどさ。なんか、『島』っていうより、大きな岩って感じだよねえ、あれ」

 志貴彦は振り返り、兎に向かってにやっと笑った。

「で、君はなんであの島にいたの?」

「そ、それは、昔洪水でこちらから流されてしまって……」

「ふうん。それで、今になって帰りたくなったんだね。で、結局、鰐は何匹いたの?」

「よ、四十……」

「ここからあそこまでは、鰐四十匹程度では到底届かぬぞい!」

 少彦名が勝ち誇ったように叫んだ。

「これで決まりじゃ! この兎は、我らを騙そうとしておる!」

「だ、騙そうだなんて、そんなっ……」

 兎は激しく狼狽した。

「まあ、始めから怪しかったけど。やっぱり、そうなのかな?」

「うむ、まちがいないぞい。そも、海を渡ったとかいう話からしておかしい。大体、こやつ以外には、証人もおらぬではないか」

「そんな、やめてください! どうしてそんなに疑うんです。わたくしは、今こんなにひどい目に遭っているのですよ!」

 兎は哀れっぽく懇願した。

 その姿は、確かにたいそう惨めであり、彼がひどい傷を負っている事は、動かしようのない事実であった。


「そうなんだよね。何か企んでるのなら、わざわざ自分から酷い怪我をするかなあ?」

「それがこやつの趣味ではないのか?」

 少彦名は冷酷に言い放った。

「……少彦名って、以外と冷たいんだね」

「何が『冷たい』じゃ。わしは、義兄弟であるお主を守ろうと必死なのじゃ。こんな、怪しげな兎の戯言につきあわせる訳にはいかんのじゃ!」

 少彦名は志貴彦の髪を引っ張りながら、憤然と抗議した。

「あああ、お願いです。わたくしは痛くて痛くてたまらないのです! どうか、助けて下さいっ……」

 兎は打ち伏して、大げさに泣き始めた。

 そのあまりのわざとらしさに呆気にとられつつ、二人は無言で兎を眺め下ろす。

「……まあ、治療法としては、一つあるんだけど」

 しばらくして、志貴彦がぼそっと呟いた。

「本当ですか! どうか、教えて下さい!!」

 兎は顔を上げて、赤い目を輝かす。

「あのねえ。ここの河口に行って、まず真水で身体をよく洗うだろ。それから、側に生えてる蒲の花粉をとってまき散らし、その上を転がり回ったら、元のような肌に戻ると思うんだよね」

「なんでそんなことで治るのじゃ?」

 頭の上から、少彦名が口を出した。

「蒲の穂には、血止めや痛み止めの効果があるんだ」

「ほおお」

 少彦名は感心したように頷いた。

「賢いのう。志貴彦、お主、医薬神の素質があるぞ」

「やだなあ。そんなに、誉めることでもないよ」

 志貴彦は少し照れながら言った。

 幼い頃から山野や海辺で遊び回っていた志貴彦には、これくらいの知識はごく当然のこととして備わっていたのだった。

「ありがとうございます! それでは、早速今から河口へ参ります!」

 感涙に咽びつつ、兎は志貴彦に礼を言った。ぴょんぴょんと飛び跳ねて急ぐ兎。

 しかし、志貴彦は思い出したように兎の後ろ姿に声をかけた。

「あ……ねえ。今行っても無駄だよ」

「は?」

 兎は振り返り、きょとんと首を傾げた。

「蒲の花は夏に咲くんだ。今は秋だから、もうないよ」

「--へ!?」

 兎は呆気にとられて立ち尽くした。

「かかかかっ!」

 志貴彦の頭の上で、少彦名が弾けたように笑い出す。

「なんか、期待させちゃったけど。だから結局、君の力にはなれないんだ。じゃ、僕、先急ぐから。--さよなら」

 言うと、志貴彦は袋を担ぎ直し、すたすたと岬を降りていった。

「残念じゃったのう、兎!」

 頭の上で、少彦名が舌を出す。

 兎は、呆然と二人を見送っていた。やがて二人が岬の下へ姿を消すと、突如わなわなと身体を震わせ始めた。

「……くそがきっ!!」

 兎は吐き捨てるように言った。

「杵築のろくでなし兄弟どもっ。特に、末子! 単に性悪だった兄達よりも、更にたちが悪いわ! 覚えておいで、目にもの見せてやるから……」




 海ぞいにある気多の前から、因幡国の内部へと南下を続けると、やがて八頭郡へと入る。その八頭郡を東西に横切るように曳田川が流れており、その流域に曳田の郷は広がっていた。

 曳田の長の御館は、川の土手の上に建てられている。その富や勢威を表わすなかなかに豪奢な造りの物であったが、夜ともなると皆寝静まり、星明かりの下、虫達だけが密やかにその音を川原に響き渡らせていた。

 --だが、そんな静寂の中で。少々、様子の違う一角があった。

 御館の敷地の一棟に用意された、客人用の一室。その室から、いつまでも灯が漏れている。中からは、ぼそぼそとした話し声がひっきりなしに聞こえてきた。

「まさか、こんなことになるなんて……」

 絞りだすように呻き、一彦は頭を抱えた。

 円座になった弟達は、皆一様に渋面で黙りこくっている。--もっとも、「弟達」とはいっても、この客人用の室に入ったのは、一彦から八彦までの杵築郷の同母八兄弟のみである。

 「従者」として遅れて到着した志貴彦は、兄達の指示により、敷地の外れにある倉庫の片隅で寝泊まりさせられていた。


「だが、兄上。それが、八上姫のお心ならば……」

 沈黙を破った二彦の言葉は、最後まで言い終わらぬうちに弟の怒声によって遮られた。

「それで済むかっ。事は、ただの妻問いだけでは終わらぬのだぞ!」

 叫んだ三彦は、興奮のあまり顔を真赤に上気させていた。

 薄明かりの中で顔をつきあわせた、八人の同母兄弟。ある者は沈痛な面持ちで、またある者は憮然とした表情で、腕を組み、頭をかく。

 彼らの脳裏には、一様に夕べの「悪夢のような」出来事が浮かんでいた。


 ……今日の昼過ぎに曳田に到着した一行は、長の一族から盛大な歓迎を受けた。

 夕の宴がすんだ後、八兄弟は待望の八上姫とひき会わされた。もっとも、直接八上姫の顔を拝めたわけではない。姫は御簾の奥深くに座し、杵築の兄弟達の前に姿を現わすことはなかった。

 御簾の前に並んだ兄弟達は、それぞれ姫に贈り物をし、妻問いの言葉を述べた。

 この八人の中の誰かが、夫として選ばれる--緊張する男達の前で、姫は静かに告げた。

『……わたくしは、あなた達の誰の妻にもなりません。わたくしの夫となるのは、八束志貴彦様です』……

 


「……志貴彦など、まだ十二の子供ではないか。『男』と呼ぶにも早い。確かに、我らの兄弟の一人ではあるが、何故姫はあんな奴を選ばれるのか」

 四彦は頭をひねりながら不思議そうに呟いた。

「ふん。八上姫は、より年若い男をお好みなのだ。そういうご趣味なのだろうよ」

 四彦の隣に座った五彦が、嘲るように吐き捨てた。

「--でも、兄さん達。変じゃないか? 志貴彦は、従者として俺達についてきたんだ。

俺達は志貴彦を兄弟として曳田の人々に紹介することはなかったし、ましてあいつが姫の前に出ることもなかった。なのに、何故姫は志貴彦の奴を知っていたんだろう?」

 六彦が言うと、しばらく考えてから七彦が答えた。

「まあ、志貴彦だって、一応は里長の子だからな。何か、噂が曳田まで届いていたんじゃないか? それで、姫のお考えがあって……」

「どんな噂だよ!?」

 三彦が凄む。

「いや、そこまではわからないよ。あくまで、推測でしかないんだから……」

 兄に睨まれて、七彦は口ごもった。

「……だが……このままでは、志貴彦が次の長ということになる」

 酒の入った土器を下に置き、一彦はゆっくりと言った。

「兄上!」

「兄さんっ」

 弟達が一斉に色めき立つ。

「そういうことになるだろう? それが、父上との約束だったはずだ」

 七人の弟を見据え、一彦は重々しく呟く。

 兄弟達は、皆言葉もなくうなだれた。


 出雲は、豊葦原の中でも比較的大きくて豊かな国である。国内では幾つもの有力な豪族が勢力を競い合い、出雲国の覇権を握ろうと躍起になっている。

 杵築も、そんな有力な豪族の一つであった。

 領地も広いし、人口も多い。何よりも、領内に海を持っているのは、大きな強みだ。

 だがしかし、似たような条件の豪族達の中から、更に抜きんでてみせるには、もっと力強い何かが必要である。そこで、兄弟の父である杵築の長が考えたのが、他国の有力豪族との結びつきであった。

 曳田は、因幡国で一、二を争う有力豪族である。その惣領姫を娶るということは、即ち曳田豪族の勢力を味方につける、ということになる。

 旅に出る前、父親は、八兄弟に言った。

 見事八上姫を射止め、曳田の力を得た者を、杵築の次の長にする、と。

 恋と野心。人生で最も重要なこの二つの要素が、八兄弟を旅へと駆り立てた。

 だが--。


「父上にとっては、志貴彦も我が子の一人には変わりない。杵築の兄弟の中の誰かが、八上姫を得れば、それでよいのだから。きっと、長を譲られるさ」

 酒の入った土器を指で揺らしながら、一彦は淡々と呟いた。

「納得できるのか!? それで、兄上はっ!」

 叫びかけた三彦は、即座に一彦に睨みつけられ、はっと口をつぐんだ。

「納得? 納得など……できるものか」

 一彦の目に不穏な光が浮かぶ。

「考えていたんだ。ずっと……。どうすれば、いいのか」

 一彦の口元が無気味に歪んだ。弟達は、息をのんで長兄を見つめる。

「もう限界だ。あいつがこれ以上存在していては、はっきりと我らの害になる。いいか、お前達。幸いな事に、ここは旅先だ。誰にも知られぬうちに、志貴彦を……」




 どの集落にとっても、秋は大事な収穫の季節である。山で大量に採れた栗・胡桃・ドングリなどは、それぞれ土器に入れられ、冬に備えて高床倉庫にしまわれる。

 御館の敷地の外れに建てられた、倉。その中にうずたかく積まれた大量のドングリの片隅で、志貴彦は安らかに寝息をたてていた。

 志貴彦が曳田に着いたのは、夕方を過ぎてからだった。御館の中では、先に到着した兄達が何やら賑やかに宴を催していたが、志貴彦には関係のないことだった。

 夕食用に貰った鮭の干物を食べ終わると、志貴彦は眠くなってきた。いい加減、長旅で疲れていたのだ。特にすることもなかったので、志貴彦は素直に眠る事に決め、倉庫の床の上で横になった。


 ……どれくらい、眠っただろうか。

 ふと、「眩しさ」を感じて、志貴彦は目を覚ました。

(……何? もう、朝になったのかな)

 目をこすりながら、志貴彦は身を起こした。

「少彦名ぁ。朝みたいだよう」

 傍らで眠る小人の身体をゆすりながら、志貴彦は片手で伸びをする。その時、彼は何かが「おかしい」のに気がついた。

「……なに……もう、朝じゃと……」

 少彦名が、ねぼけた声で呟く。

「いや……違う……みたいだ……」

 眼前に浮かぶ「物」を凝視しながら、志貴彦は緊張した声で答えた。

 倉庫の中は、まだ暗い。恐らく、夜明けには未だ遠いのだろう。なのに、何故志貴彦の周囲だけが明るいかというと--。

 志貴彦の前に、「光る布」が浮いているのである。

『……よう。起きたかい、八束志貴彦』

「ぎゃあっ」

 突如布に話かけられ、志貴彦と少彦名は同時に後ずさった。

『……随分と驚いてくれるな。脅かしがいがあるってもんだ』

 布は、楽しそうにくつくつと笑い声を漏らす。その声は、まだ若い少年のものに似ていた。

「お主……いったい、誰じゃ?」

 笑われた事で、逆に冷静になった少彦名が訝しみながら言った。

『おや、「誰」とはね。「何」とは聞かないか。さすがだねえ、少彦名の命』

 布は嬉しそうに言うと、ゆらゆらと揺れてみせた。そして、発光したまま、己の形状を変化させる。

「あっ……」

 呆気にとられる志貴彦の前で、布は志貴彦と同じ位の少年の姿に変化した。ただし、その「少年」は、頭からすっぽりとおすいのような白い布をかぶっており、顔がまったく見えない。


「君は……いったい……」

『俺は、幸魂奇魂さきみたまくしみたまさ』

 布少年は答えた。

「幸魂奇魂? なんだよ、それって……」

 志貴彦は光る少年を見つめたまま、頭をひねった。それは、彼の名前なのか、種族名なのか。とにかく、聞いたこともない言葉だった。

「少彦名、知ってる?」

 志貴彦は、傍らに立つ小さな友に尋ねた。

「--知らぬ。じゃが、これは尋常ならざるものじゃ……それは分かる」

 言うと、少彦名はいつになく険しい顔で幸魂奇魂に言った。

「お主、何をしにきたのじゃ?」

『おや、恐いねえ。……いいことを教えてあげにきたのにさ』

 幸魂奇魂はからかうように言った。

「いいこと?」

『そうさ。八束志貴彦、お前、今すぐここから逃げたほうがいいぜ』

「逃げる? 僕が? ……なんでさ」

 志貴彦はきょとんとして聞いた。

『お前の兄達が、お前を殺そうと画策している。……夜明けまでに』

 幸魂奇魂は、先ほどまでとは打って変わった重々しい声音で志貴彦に告げた。

「兄さん達が……僕を?」

『信じられないかい?』

 志貴彦は腕を組み、暫し考え込んだ。傍らで、少彦名が心配そうに志貴彦を見上げている。

「……まあ、あの人たちのことだから、まったくありえないこととも思わないけど……けど、なんで、今になって急に」

『運命は動いていくのさ。お前の意志にかかわりなく。それが嫌なら、お前は選ばなくてはならない。……信じるものと、そうでないものを』

 語る幸魂奇魂は、まるで志貴彦の未来を見透かしているかのようだった。「幸魂奇魂」とは、もしかしたら巫のことなのかもしれない、と志貴彦は心の片隅で思った。

「……信じろというのかい。僕に、君を」

 志貴彦は試すように聞く。幸魂奇魂は、光る布をひらひらと揺らしながら答えた。

『だから、それを選ぶのさ。ほかの誰でもない、お前自身がな--八束志貴彦』




 --夜明け前。

 空の色が、濃紺から群青へ変わる頃。

 長の御館の奥深く、御簾の内で、八上姫は一人、両手に持った鏡を見つめていた。

 静寂に満ちた御簾の内と違い、円鏡の向こうはひどく騒がしい。

『志貴彦がいないぞ!』

『……あいつ、逃げたんだ。荷物もなくなってるっ』

『いいから、早く探せ!今なら、まだそれほど遠くまでは行ってないはずだ!』

 姫の持つ神鏡は、八兄弟の醜い狼狽と焦燥を忠実に写し出していた。

「ふふふ……やってるわ、やってるわ」

 八上姫は、その大人びた美貌とは対照的な幼い口調で、鏡を見ながらひとりほくそえんだ。

「あたしの『うーちゃん』にひどいことしたお返しよ。せいぜい身内で争いあうがいいわ……」

 姫の傍らには、白い衣に包まれた哀れな兎がいる。あかむけた兎の肌は、まだ当分治りそうになかった。

「でも、うーちゃんも馬鹿なのよ。勝手に散歩になんていくからこんなことに……」

 姫は兎をさすりながら言った。

「ごめんね、姫。ちょっとやつらを見てみたかったんだ。でも、さすがは姫だ。なんて賢い方法で杵築のやつらに仇をとってくれたんだろう」

 兎は姫にすりより、わざと甘えたように言った。

「ふふふ、みんなあたしの見た目にごまかされるのよね。自慢じゃないけど、他人を陥れる悪知恵にはことかかないのよ。まあ、うーちゃんも役に立ってくれたわ。元々結婚なんてしたくなかったのよね。ちょうどいい厄介払いができちゃった」

「でも姫。これだと、あのガキ家に帰れなくなっちゃったんじゃないの?」

「さあ。そうかもしれないけど。どのみち知ったこっちゃないわ。あたしには関係ないもんねー」

 鏡に向かって舌を出すと、八上姫は兎を抱き上げ、勝ち誇ったように笑った。








『第二章終わり 第三章へ続く』


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