不老公爵
「ねえリトぉ……やっぱり帰ろうよ。兄様に叱られるよ」
「だからついてこなくていいって言ったじゃない。ガセンズさんの所へはあたし一人で行くから」
リトとポーリンは昼食を摂った後、屋敷を抜け出し町へとやって来ていた。
「だってリトのお守りはぼくの役目だもん。本当にもう、おとなしくしてろって言われてるのに、リトって好奇心の塊……」
ヒッポのポーリンが、足元でわざとらしくため息をつく。
「ただの好奇心なんかじゃないわ。ポーちゃんも聞いたでしょ。何かが水面下で起きてるのよ。それにガセンズさん、まだ何か隠してるみたいだった。それを聞き出して協力してあげて、この件が解決すればユーリの心配事も減るでしょ。つまりこれは、ユーリの護衛の仕事の一つなのよ」
「理論武装……。ただ暴れたいだけっぽい……」
「うるさいわね! あ、あった風花亭、ここだ」
メインストリートの奥に鎮座するその大きな宿は、お世辞にも洒落た建物とは言い難い。
ただ、その場所柄と古めかしさから、代々続いた歴史は感じさせる。
ガセンズさんが好みそうな宿だとは思う。
時代遅れの腰高のスイングドアを押し開けて中に入り、これまた時代遅れな受付の老婦人に来訪の旨を伝えると、ガセンズは出かけているとの事だった。
「うー……、やっぱり遅かったか。あの人、行動力あるもんなぁ」
「そういうとこリトと気が合いそうだよね。なんか大雑把そうな感じも」
足元でポーリンがニコニコとして鼻を鳴らす。
可愛いくせにわりと毒舌なのは、さすがユリウスの弟といったところか。
「あんたさん、もしかして昨日の最後の合格者じゃないかえ? ほれ、自警の入隊試験の」
受付の老婦人が、カウンターから身を乗り出してリトを覗き込んだ。
「うん、そうだよ。あたしの顔知ってるって事は、おばあちゃん昨日見に来てたの?」
「もちろんさね。年に一度の自警隊の実技試験は楽しみの一つさ。どんな頼もしい奴が出てくるかわくわくしとるで。いや、あんたとあの火の聖獣は楽しませてくれた。どこの隊に配属されたかの?」
「えへへ、あたし侯爵の護衛になったの。屋敷にお部屋ももらって。すごいでしょ」
リトは婦人の目の前にピースサインを突きつけた。やっぱりこの肩書きは誇らしい。
「ほえ。そんじゃ、不老公爵の光になったんか。あんたがねえ、こりゃたまげた」
老婦人は心底感心したように目をむく。
「ふろう……? ちょっと待って、なにその……」
「うらやましいのう。前の不老公爵も、そのまた前もいい男じゃったが、今の不老公爵は色男の上に腕もたつ。わしもあと十年若かったら光の者に立候補……」
「ちょっとおばあちゃん、あたしの話聞いてよ!」
「なんじゃ、十年じゃ足らんか? んじゃ二十年……」
「そうじゃなくって!」
「リト! もういいよ、ガセンズさんは居なかったんだから帰ろうよ!」
ポーリンがリトの靴をかじって引っ張る。
片足を取られながらも、リトはカウンターにへばりついて老婦人に詰め寄った。
「ふろうって不老不死の事? ユーリって不老不死なの!?」
「何を訳のわからん事を? そりゃ、わしらは決してそんな事を望んじゃいない。だが……」
「……望んではいないけど。みんなどこかで、いざという時は公爵がその力を揮ってくれる事を願ってる。それが人々に安心感を与えているのも事実よ」
それは入り口の隙間から斜に姿を覗かせた、見知らぬ女の言葉だった。
リトはその女の絡みつくような視線を全身に受け、眉根を寄せて見返す。
「……どういう意味? 全然わかんないんだけど。あなたは……」
「軍神アトラの宿り主。何もわからない、なんの役にも立たない愚かな娘。公爵が欲しかったのはアトラ……お前はただの入れ物」
女は口元に皮肉な笑みを浮かべ、入り口の前から姿を消した。
「ちょ……、なによそれ! 言いたいことだけ言ってくれちゃって、待ちなさいよ!」
リトが慌てて宿を飛び出すと、女は通りを行き交う人々の間をすり抜けて先の曲がり角を右に折れた。
「なんかムカつく! よーし、とっ捕まえて、いやでもさっきの話の続きをさせてやる!」
「うそっ! やめなよリト、なんか変な人だし関わらない方がいいよ! 待ってよリト、リトってばー!」
ポーリンの制止など聞きもせず、リトは女を追いかけて猛ダッシュを始めた。
それをポーリンが追いかけてくる。
「あの女、足速い……! 絶―っ対、負けないからね!」
通りを抜け、住宅街を抜け、やがてその女は町外れの林の中に飛び込むと、やっと足を緩めた。
「ちょっと……なんで逃げるのよ。話を、聞きたいだけなのに……!」
リトは膝に両手をついて、女の背中に問いかけた。
その後ろからポーリンもトットコと追いついてくる。
うっそうと生い茂る木々は、風もないのにザワザワと葉を揺らす。
昼間とも思えない不気味な暗さの中、女がゆっくりと振り返った。
「……え? 何、これ……!」
女の背後の木々の影から、ひとつふたつと黒い靄のようなものが浮かび上がる。
それはたちまち、様々な獣のシルエットを象り、リトとポーリンを囲んだ。
「リ……リト! 闇獣だ。堕聖獣が操る、悪意の欠片の具現化……。こんなに、たくさん!」
「堕聖獣の? って事はこの女……!」
女がニヤリと笑うと、その背中から彼女の堕聖獣が躍り出た。
それは黒ずんだ蛇のような姿で、赤い大きな口をパックリと開けておぞましいガラガラ声を響かせる。
『ふふ……ふ……。バカめ。アトラも連れず、不用意にこんなところまでついてくるとは。奴は宿り主の選択を間違えたと見える、なんと御しやすい……。この娘を差し出せば、きっと私はあの方のお傍に置いてもらえる……!』
蛇が鎌首を持ち上げ、天を仰いで喉を鳴らすのを合図に、周りの闇獣が一斉に二人に踊りかかった。
「ポーちゃん! 伏せて!」
リトが両手を合わせ、それを大きく広げると、地面から何本もの火柱が一気に噴き上がった。
たちまちそれはリトとポーリンを囲む、炎の壁となる。
『ギャギャギャ……!』
『ガッ! ギャイイイン……!』
闇獣達はその壁に弾き飛ばされ、あるいはそれに慄き、じりじりと後ずさり始めた。
「ふん、舐めないでよね。アトラが傍に居なくたって、これくらいの力は使えるのよ。あたしを役不足って言った事、後悔させてやる!」
リトは腰のダガーを抜くと、ポーリンを残し、炎の壁から飛び出した。
そして躊躇している闇獣達を次々とその刃で切り捨てる。
「ああっ! リト見て! まだ出てくるよ……!」
ポーリンの声に振り返ると、闇の獣は途切れる事無く木の影から浮かび上がり、リトに牙を向けた。
「なによ、キリがないじゃない! やっぱりあいつをやらなきゃダメか」
闇獣が一斉に飛び掛ってきたところをジャンプでかわし、リトはすかさずその中心に炎の気を叩き込んだ。
ドドン! と地面がえぐれ、そこから円形に炎が広がる。
闇獣は一瞬で火に巻かれ、霞のように消えていった。
それでも減った分だけさらに数は増え続ける。
(ふん……今のは通り道を作っただけよ)
リトは傍の木の枝に掴まり、反動をつけると、女に向かって跳んだ。
着地と同時に地面を蹴り、一気に間合いを詰める。
その時、蛇の堕聖獣がシャッと伸び、口から黄色い液体を吐き出した。
(うそっ!?)
咄嗟に危険を感じ横っ飛びにそれを避けたが、足元ギリギリのところでビシャッと液がぶちまけられる。
「……! なによ、これ……」
黄色の液体は地面の草を溶かし、その不気味な効力は円く広がっていく。
「リトッ! 大丈夫リト!?」
背後でポーリンが心配そうに叫んだ。
こんな事になってしまって、さぞかし怖い思いをしているだろう。
『惜しいこと……その顔に風穴を開けてやろうと思うたのに』
ぐるぐると宿り主をとぐろに巻いて、蛇の堕聖獣は忍び笑う。彼女の態度には余裕さえ感じられた。
その間にも闇獣は数を増やし、背後にジリジリと近づいてくる。
「こっちこそ、今あんたの顔に熱ーいお仕置きぶち込んでやるから!」
とは言え、炎の気を放てば宿り主まで燃やしてしまいそうだ。
それを避けるために、接近戦に持ち込みたかったのだが、あんな物騒な唾液を飛ばされては近づくことができない。
リトは剣をカチリと咥えると、両手を地についた。
(でもそれしか手はない……。最高値までスピード上げてなんとか懐に入らなきゃ!)
リトが地面を蹴ると、一斉に闇獣たちもそれを追う。
直進は避け、左右に撹乱しながらリトは蛇の後ろに回りこんだ。
(もらった!)
だが剣を鎌首に振り上げた瞬間、ガパァッとこちらを向いた赤い口の中が目の前に広がり、喉の奥からあの液体が迸った。
「いやだああああ! リトーッ!」
ポーリンが泣き叫ぶ中、膝に熱い痛みが走る。
なんとか宙で身体を捻ったが避けきれず、あの液体が膝を掠めたようだ。
後ろに数歩後ずさり、改めて膝を見ると黒く焼け爛れたように皮膚が裂けている。
「痛っ……、マズい……!」
リトが痛みに歯を食いしばった、その時だった。
『うおおおおおおおおっ……!』
大きな雄叫びと共に、ポーリンを守っていたはずの炎の円陣からアトラがそびえ立ったのだ。
「ア……アトラ!」
『アトラ=モリス……!!』
闇獣達は震え上がり、次々と影の中に沈み込んでいく。
蛇の堕聖獣も声を失い、チロチロと舌を忙しなく出しながら鎌首を低く垂れ人間の後ろに隠れた。
ただ、その宿り主だけは怯む事無く、挑むような目をしている。
リトは膝を押さえアトラの元へと走り、いつものようにトントンと腕を駆け上がるとその広い肩に乗った。
「助かった……! あいつ人間を盾にしてるの。あたしの炎はコントロールがイマイチだから困ってたんだ。アトラ、火炎であいつを撹乱して! その隙にあたしが、鎌首切り落としてやる!」
ところがアトラはピクリとも動かず、それどころが小刻みに震えていて、いつもの熱い波動も感じられない。
リトは訝しげに顔を覗きこんで、もう一度言った。
「何、ボケッとしてんのよ! 初仕事で負ける訳にいかないわ! 行くわよ、アトラ!」
『だ、だめなんだリト……! ぼく、炎までは出せない……』
「はあっ!?」
その一言を洩らした途端、アトラはシュルシュルと縮んでいく。
「ええっ? きゃあ!」
肩に乗っていたリトも当然足場を失って地に落ちる。
ドスンとついた尻餅の下敷きになっていたのは、くったりと四肢を広げたヒッポのポーリン。
「今の……まさかポーちゃんの変化?」
「驚いて逃げていくかと……でも怖くて、長くは続かなかった……」
驚きでいつのまにか炎の陣も消えている。
『おのれ……! コケにしおって、許せん!』
隠れていたはずの蛇が猛然と迫ってきて、口を広げた。これではもう防御は間に合わない!
リトは咄嗟にポーリンに飛びついて地面に伏した。
(顔よりせめて背中にして! これでも女の子なのよー!)
ギュッと目を閉じ、ポーリンを懐に押し込んだその時。
『ガアッ!』
――背中をザアッと強い風が通り過ぎる。
感じるはずの痛みはいつまでもやってこない。代わりに後ろ髪がさやさやと巻き上げられる。
リトがそっと目を開けると、自分達の周りを風のヴェールが取り巻いていた――。