忍び寄る闇
表屋敷はさっきまでいた奥屋敷とは、ずいぶんと雰囲気が違っていた。
一目で武人とわかる屈強そうな体躯の男性や、思慮深さがうかがえるシワを額に刻んだ年配の男性などが通り過ぎる。
沢山の書類を抱えた女性は事務官だろうか。
そんな人々が皆、キビキビと廊下を行き交っている。
いまさらながら、ここが各地に設けられた自警隊の中枢-―、何代にも渡り人々に災いをなす堕落した聖霊獣を相手取る、シオン公爵家だという事を思い知った。
「早くおいでよリト。執務室は二階だよー」
「ちょっ、待ってよポーちゃん。ねえ、あたしたちって……なんか場違いじゃない?」
勢いこんで来てしまったが、見かける人々は皆一様に自警隊関係者のシンボルでもある濃紺の制服。
その中にシャツ一枚とショートパンツの女の子に、今また変身しているピンクのヒッポ。
どう見てもこの場で二人だけ浮いている。
「どうして? そんな事ないよ。トスカさんなんて、ナイトガウンで来たりするよ」
「それは行き過ぎでしょっ」
とは言え、確かにすれ違う人々はそんな二人に険しい視線を送ったりはしない。
それどころか、リトを見ると微笑んで会釈する者がいたり、ポーリンに至っては嬉しそうに手を振ってくる女性が大半だ。
「変なの……。仮にも公爵様の護衛ともなると、それなりに偉いのかしら」
「偉くはないけど、それが代々シオン公爵家の伝統なんだよ。『シオン公爵家当主が望んで傍に置く者は、身分など関係なく、愛し、敬い、受け入れよ。宿命と戒律を引き継ぐ主に、それはひとしずくの光となる』だっけ。だから兄様が身内と公言する護衛のぼく達に意地悪する人なんていないよ」
「宿命と戒律? なにそれ、なんだか難しそう」
リトがその言葉を繰り返すと、ポーリンはちょっと困ったような顔をした。
「リト……それ本気で聞いてるの? 公爵家の歴史とか、人の噂なんか知らない?」
「世間知らずって言いたいんでしょ。どうせあたしは何も知らない田舎者ですよーだ。もったいつけないで教えてよ」
プウッと頬を膨らませて、リトはポーリンを睨んだ。
だが足元のヒッポは物憂げに横を向いたまま、リトと目を合わせようとしない。
「ぼく、この事は口にするのも嫌。たぶんここにいればすぐ耳に入ると思うよ。それにぼくもトスカさんも、そんなの絶対許さないし、認めないし」
「はあ? だからわかんないってば」
「あ、ほらあそこの奥の部屋が執務室だよー」
ポーリンはリトの追求から逃れるように廊下を駆け出し、その部屋のドアノブに飛びついた。
そして器用に反動をつけて扉を開けると、中に入ってしまう。
「もう、なんなのよ……」
リトもその部屋に駆け寄ると、わずかに開いたドアの隙間からそっと中を覗いた。
さほど広さはないが、まず壁一面の本棚に圧倒される。中央に据えられた黒皮のソファとテーブルは来客用だろうか。
そして奥の大きな机の前で、ユリウスが膝にポーリンを乗せて座っている。
だがリトは、その傍らに立つ大柄な男の方に目を奪われた。
「え……、ガセンズさん!?」
リトは部屋をこっそり覗いていたのも忘れ、思わず叫んでしまった。
「おお、リト。久しぶりだな、元気だったか」
ガセンズは濃紺の制服の腕を大きく広げて、部屋に飛び込んできたリトを高々と抱き上げてくれる。
「ガセンズさん、どうして? ここで会えるなんて思わなかった!」
「ははは。本当はリトの試験に間に合うように来たかったんだがな。予定がちと狂って今朝着いたんだ。だが聞いたぞ。お前、公爵の護衛になったんだって? やったな」
「すごい? あたしも早くガセンズさんに報告したかったんだ。ユーリあのね、この人……」
ガセンズの上からユリウスを見下ろすと、彼は膝の上に乗ったポーリンの耳をくすぐりながら口を開いた。
「ガセンズはお前のいたヒースラッド村に程近い町、ルークの自警隊長。ある日、自警隊に入れてくれと言って女の子が尋ねてきた。都での入隊試験にパスしなければ隊員にはなれないと説明してやったが、なんだか危なっかしいので自警隊の事や試験の内容などを教えてやりながら一週間ほど面倒をみてやった……。今、聞いたところだ」
「……危なっかしいってひどくない?」
「そうか? その辺りは私も同意見だが」
「はっはっはっ」
リトは二人を軽く睨むと、ガセンズの腕から飛び降りた。
「ユーリ、あたしに何か任務をちょうだい。そしたら危なっかしくなんかないって証明してみせるから。護衛なのにただブラブラしてろなんて、退屈で死んじゃうわ」
「おいおいリト。いくらなんでも、ユリウス様になんちゅう口のききかたを」
「いいんだ、ガセンズ。こいつはもう身内だからな。私に対してもあるがままが正しい」
ユリウスは椅子から立ち上がると、中央のソファへと移動した。
「ガセンズ、こちらで報告の続きを聞こう。このうるさいのも、退屈しのぎに同席させるから。こら、ふくれてないでこっちに来いリト」
ユリウスが自分の隣を指し示すと、リトは素直にそこに腰掛けた。
その膝の上に、当然のようにポーリンが収まる。
「へえ……。これが縁というものなんですかね。まるで昔から一緒にいるように見えますよ」
「私は変わり種に興味を持つ性質なんだ。それはお前もよく知っているだろう」
ガセンズが苦笑いで頭をかく。
そしてユリウスの向かいに腰掛け、改めて自警隊長として顔を引き締めた。
「我が地区の近況はさっきお話した通りです。ちょっとした小競り合いは絶えませんが、特に凶悪な堕聖獣の気配はありません。ただ……少々気になる事がありまして」
ガセンズの、珍しく歯切れの悪い物言いにユリウスが眉をひそめる。
「実は私事ですが、子供が生まれるのを機に、もう少し広い家に移り住もうかと。町外れに丁度いい空き家があったんで、それを購入しようと思ったんです」
「ああ、そういえばもうすぐだったな。何か祝いを用意しようと思っていたところだ」
ガセンズはユリウスの言葉に曖昧に微笑んだ。
「そのようなお気遣いは。……そんな訳で先日、その空き家を下見に行ったんです。そこで、少々厄介なものを見つけましてね」
「厄介なもの?」
ユリウスが身を乗り出すと、リトも同じようにそれにならった。
「本物ならかなりの問題です。そうなると、それを見つけた空き家に最後に住んでいた者と無関係とは思えません。まず、そのかつての住人を特定しなくては」
「一体、何を見つけたんだ。それに空き家というなら所有者がいるだろう。その線から当たれば容易に調べはつくはずだ」
ユリウスが痺れを切らせて詰め寄ると、ガセンズは少し困ったような複雑な顔になった。
「それが……実は、その家自体はシオン公爵家の所有物件なんです。そこだけでなく、もともとあの辺り一帯の家、全てそう。その様子では、やはりご存知なかったのですね」
「なんだと?」
意外なガセンズの言葉に、ユリウスが目を見張る。
「今でこそルークの町はのんびりとしたものですが、かつては堕聖獣と闇獣の温床でした。それに業を煮やした前公爵……ユリウス様のお父上は、ルークに実力者を選りすぐった特別隊を編成し、一斉駆除を図ったそうです。あの辺りの家は全て、その特別隊に名を連ねた方々の為に用意した、いわば仮住まいという訳です。一時的なもので、隊が解散した後は一般の人々に売却され、その売上金は町の復興に充てられましたし、売れ残りの管理もルークの我が隊に一任されましたから、知らないのも無理はないんです」
「そんな事が……いや、私の勉強不足だ。恥ずかしいよ」
「とんでもない。ですが、当時は入れ代わり立ち代わり多くの方々が住んでいらしたので、誰がどの家にいつまで居たのかすぐにはわからないのです。今、部下に特定を急がせていますが、実は自分にはおぼろげに心当たりがありましてね。もしやと思い、その人物に会いに今回この都にやってきたんです」
ユリウスは両手の指を組んで、そこに険しい目を落とした。
「何かよからぬ事に手を染めている人間が、この都にいる……そういう事か?」
「まだそこまでは。とにかく、もう少し調査をして確実な情報を得てから、改めてご報告と自分なりの見解をお話します。今は滅多な事は申し上げられません」
「せっかちなお前にしては、珍しく慎重だな。一体どういう訳だ」
ユリウスの探るような目に肩をすくめて、ガセンズは笑った。
「ずいぶんな言われようですな。ま、せっかちと言われたついでに、早速ここから退出させていただいてよろしいですか」
ガセンズが、立てた親指を窓に向ける。
「ふん、それで上手くごまかしたつもりか? 好きにしろ。どうせ止めても無駄だ」
ガセンズがソファから立ち上がると、リトも慌てて腰を浮かせた。
「ガセンズさん、もう帰っちゃうの?」
「二、三日中にまた報告に来る。その時は一緒にメシでも食おう。じゃあユリウス様、自分はこれで失礼します」
ガセンズは窓枠に手をかけると、躊躇なくそこから飛び降りた。
リトが急いで窓から顔を出すと、その瞬間ガセンズからバサッと大きな翼が生える。
いや、彼の聖護獣、鷲の聖獣コンザードが具現化し、翼を広げたのだ。
その背中にはガセンズがまたがり、こちらに手を振っている。
「ガセンズさん、宿は決まってるのー!?」
「行きつけの所だ! メインストリートの風花亭。安心しろ、健全な宿だー!」
「そんなの当たり前でしょ! 新婚のくせに、バカ言ってるとマリさんに叱られるよー」
はははと豪快な笑い声を残して、ガセンズは町中に滑るように消えていった。
「私も屋敷に部屋を用意すると言ったんだが、宿の方が気楽なんだそうだ」
いつの間にかユリウスも、リトの隣で笑いながら窓の外を眺めている。
「え……うん、そう。あたしもお屋敷に泊まればいいのにって思って……」
モゴモゴと語尾を濁すリトの肩を叩いて、ユリウスは机に向かった。
「さあ、二人とも。そろそろ昼食の時間になるぞ。奥屋敷に戻りなさい。リト、午後になったら私も少しは手が空く。後で剣の相手をしてやるから、ポーリンとおとなしく待っていろ」
「はいはーい。行こうかポーちゃん」
リトは素直に……と言うよりも、そそくさとその部屋を後にする。
その様子をユリウスはチラと見遣ったが、すぐに書類に目を落としたのだった。