護衛隊のオシゴト
「……ビャーーーー!!」
突然のおかしな悲鳴でリトは目を覚ました。
何事かと思えば、目の前でピンクのクッションのようなポーリンが、前足をピクピクと痙攣させている。
「なに? どうしたのポーちゃん」
昨夜は部屋に戻ると言って聞かないポーリンを無理矢理押さえ付け、結局そのまま一緒に寝てしまったのだった。
「これっ、これ……!」
『ガアッ! うるさいぞお前ら。目が覚めちまうだろうが!』
「ビャーーーーッ!」
ガバッと起き上がって威嚇するアトラに、ポーリンは失神寸前の様子。
どうやら目が覚めて、目の前で寝ていた強面のアトラに驚いたらしい。
「ちょっとアトラ! 恐い顔しないでよ。ポーちゃんが怯えるでしょ」
リトにとっては具現化したアトラの大きな懐で眠るのが、何より安眠できるのだが。
それにしても、昨夜はいつの間に戻ってきたのか。
『あれ? なんだお前。ぬいぐるみかと思ったら、昨夜リトが抱いてたやつか』
グオオとアトラが顔を寄せると、ポーリンは慌ててリトの膝の上に避難した。
「アトラさんって、もしかしていつも具現化したままで寝てるの?」
「うん。怖くないからねポーちゃん。アトラ、この子はポーリン。あたしと同じ、ユーリの護衛なの。可愛いでしょ」
よしよしとリトが鼻先を撫でると、ポーリンの体が急にむくむくと大きくなり始める。
そしてすっかり人の姿に戻ると、アトラに向かってピョコッと頭を下げた。
「あの……失礼しました。ポーリンと申します、改めてよろしく……」
『おお、変化の能力か。そういや、ゆうべジゼルがそんな事を言ってたかな。まあいい、とにかくもう少し寝かせてくれ。明け方帰ってきたんでな、眠くてどうもならん』
「明け方ぁ? 一晩中お話してたの?」
リトの呆れた口調に、アトラはガバッと背を向けてシーツを被ってしまった。
「なによ、感じ悪ぅ。ま、いいや。ねえポーちゃん、護衛って普段はどうしてればいいの。訓練とかユーリの警護とか?」
リトは張り切ってポーリンに尋ねた。
今日から新しい自分が始まる。
やっと憧れの自警隊に入り、加えて公爵の護衛任務。リトとしては、不安よりドキドキ胸が高鳴る期待の方が遥かに勝る。
「え、えと……特に訓練とかそういう事は」
「じゃあ、トスカとポーちゃんはいつもどうしてるの」
「トスカさんは午前中はいつも寝てる……。ぼくは本を読んだり、あと中庭の畑のお世話とか」
リトの顔が微妙に曲がってくる。
「……ちょっと待って。じゃあユーリは?」
「表屋敷の執務室にいると思う……。ぼく達は特に用がなければ呼ばれないよ」
かなり長い時間、リトは固まっていた。
(一体どういう事? 護衛なのに訓練はしない? 午前中は寝てる? 畑のお世話?)
「と、とにかく、今日はこの奥屋敷や、表屋敷の自警隊本部の見学でもしたら? ぼく、案内するから」
作り笑いが痛々しいポーリンの首を、リトは容赦なく締め上げた。
「そんな事どうでもいいわ! ポーちゃん、執務室に連れてって。ユーリのとこ!」
「ぴゃーー! わかった、行くから! 苦しい苦しいーー!」
お望み通り手を緩めてやり、リトはポーリンを引きずって部屋を飛び出す。
思い立ったらそこに向かって一直線。
たとえ寝起きで顔を洗っていなくても、パジャマ代わりのシャツ一枚でも、そんな事は気にならない。
重い扉を押しあけると、そこは手入れが行き届いた中庭だった。
色とりどりの草花が植えられ、大きなブナの木の傍には可愛らしい東屋も設けてある。
一風変わっているのは、小さな菜園がある事と、四角い石畳を組み合わせた闘技場のような一角がある事。
「すごーい。これが公爵家の庭? 昨日は全然気がつかなかった」
「リトは気絶したまま、ここに運ばれたもんね。表屋敷に行くには、ここを突っ切った方が早いんだよ。ここは公然の機関でもある表屋敷と、兄様とぼくたちのプライベートな奥屋敷との間にあるんだ」
見学なんてどうでもいいと言っておきながら、リトは庭に踊り出て目を輝かせた。
草花に顔を寄せ、東屋に飛び込み、石畳の上を跳ね回る姿は、もしかしたら放し飼いになっている子犬のようかもと思いながら。
「あ、フルーツベリーだ。そういえばポーちゃんが育ててるって言ってたね」
菜園にはその他に、瓜や根菜のようなもの、珍しい草花なとが育てられている。
「うん。兄様がぼくの為に作ってくれた畑なんだ。ぼく、土いじりが好きだから……」
「あたしも村で畑仕事はしてたよ。孤児院の裏に畑があって、自分達が食べる野菜を作ってた。耕して種を蒔いて、アトラと子供達と先生と……」
フルーツベリーを指で触れるリトの胸に、ふと小さな鬱りが落ちる。
その隣にしゃがんで、ポーリンはフルーツベリーを一つもいだ。
「……そんな顔しないで。孤児院の院長先生が亡くなったのは聞いてるよ。それでみんなとバラバラになっちゃった事も。寂しいだろうけど、今はぼく達が身内だよ。兄様もそう言ってたでしょ?」
差し出されたフルーツベリーは、赤くてつやつやと光っている。
宝石のようなそれを口に含むと、むせ返るような甘酸っぱい香りで涙が滲んだ。
「それにぼく達も両親はとっくにいないしね。おんなじだよ」
おっとりと微笑んで、ポーリンは足元の雑草を引き抜きながら話し始めた。
「母様はぼくを産んですぐ死んじゃったし、父様はその前に堕聖獣との戦いで……。生まれたばかりのぼくは、本当は親戚筋の家に預けられるはずだったんだ。それを兄様が、どこにもやらないで護衛として育てるって譲らなかったんだって」
リトが瞼を拭ってその横顔を見つめると、今度はポーリンの瞳に影が落ちた。
「ぼくは小さい頃から病気がちで……今も身体は小さいし力もないし。それでも兄様はぼくをとても可愛がってくれる。ぼくの事、必要だって言ってくれるんだ。護衛として実際はなんの役にもたたないのに」
「ポーちゃんはユーリの心を護衛してるんだね」
ポーリンが驚いたように顔を上げた。
「ユーリにとって、敵から身を守るだけが護衛じゃないのよ。ユーリは公爵様だもん、普通の人にはない苦労や悩みもあるはずだよ。そんな疲れた気持ちを癒してくれるのが、きっとポーちゃんなんだよ。あたし、よくわかる」
彼の金の髪を撫でると、サラサラ綺麗な音がする。
「あたしだってこう見えても、知らない土地にやってきて不安と緊張の連続だったのよ。アトラはなんだか機嫌悪いし試験だってあったし。でも昨夜ポーちゃんに会った時ホッとしたの。村を出てよかったって、初めて実感したよ」
「本当……? じゃあぼく、少しは役に立ってるのかな……」
不安げな瞳がリトを見つめる。
それはきっと、今まで誰にも言えずに心にしまい込んだ、切なる願い。その思いも、リトにはよくわかる事だった。
「もちろん。でもこれからは身体も鍛える努力はするのよ。その細腕じゃ、剣を持つことすら怪しいわ。あたしが鍛えてあげる」
リトが額を突くと、ポーリンはバランスを失って後ろによろけた。
「う、うん! ぼくやってみる。努力してみるよ。リト、ありがとう……」
額を押さえてポーリンが嬉しそうに笑う。
素直で優しいポーリン。血をわけた、たった二人の兄弟。
この子がユリウスにとって大事な存在だという事は、昨夜の彼の優しい眼差しからも感じ取れた。
「さあ、道草くってないで執務室にいくわよ。ポーちゃんはこれから鍛えるからいいけど、あたしはこんな退屈な護衛じゃ腐っちゃう。ユーリに何か任務もらうんだから!」
リトはさっさと駆け出して、早く早くとポーリンに手招きをする。
「道草って……、中庭に浮かれてたのはリトなのに」
そう小声でつぶやきながらも、ポーリンはリトの元に足も心も跳ねるように走っていった。