護衛隊とゆかいな仲間
開け放たれた窓辺で、白いフワフワのカーテンが揺れている。
(ジゼルが外にいるのかな……。ジゼルは風の聖獣……優雅で綺麗な、でも怒るとちょっと怖そう……)
リトはうすぼんやりとした心持ちで夢と現の狭間をさまよっていた。
「気がついたか、気分はどうだ」
声のした方へ視線を流すと、見たこともないような豪奢な天蓋付きのベッドに、銀髪の男の人が腰掛けている。
よく見ると、そのベッドには自分が横たわっているのだった。
「ここ……どこ? だあれ……?」
「ここは今日からお前の部屋。私は一応、お前の上司になった者だが……雷撃で記憶まで飛んだか。あれでもアトラの力で相殺できる程度に加減したんだぞ」
「……ユーリ……」
記憶より先にその名前が口から出る。
「そうだ。よくできたな」
ユリウスが目を細めて、リトの額をそっと撫でた。
「アトラは……?」
「お前が心配ない事がわかると、どこかへ出て行った。ジゼルもな」
見ると、ユリウスの後ろからは細い気の流れが出ている。
確かめこそしないが、おそらく自分の背中からも同じ糸の気が出ているはずだ。
「風が出てきた……。ジゼルがどこかで心を揺らしているのだろう」
「……アトラと一緒なのかな」
「さあな。私達はお互い、必要以上の事には干渉しないようにしている。お前とアトラはそうではないようだが。仲がいいんだな」
「だって……あたしはアトラに育てられたようなものだから」
リトがシーツを口元まで引き上げると、ユリウスは小さくうなずいた。
「お前の身上書は見たよ。ヒースラッド村の孤児院で育ち、両親は不明。先日、世話をしてくれていた院長が他界し、子供達はそれぞれ他所への移動を余儀なくされた。……それで自立を兼ねて、村を出て自警隊となるためにここへやって来たんだな」
「それもあるけど……一番の理由はアトラ……」
ユリウスが訝しげに眉をひそめる。
「ユーリ、あなたならわかるんじゃない? アトラはあんな田舎で一生を終える聖護獣じゃないわ」
リトは一つため息をついて、ベッドの上に起き上がった。
「アトラは強くて、なんでも出来てなんでも知ってて。あたしをとても大事にしてくれるけど、時々一人で山の向こうを見てるの。遠いどこか……それは都じゃないかもしれないし、もしかしたら転生前の過去かもしれないけど。とにかくアトラは村から出なきゃいけないって、そう思ったの」
「なるほど……。確かにそうだがな」
確信めいた口調のユリウスを、リトはじっと見つめる。
「ねえ、アトラの事みんな知ってたよね。どうして? あいつ、そんなに有名なの?」
ユリウスは少しの間、揺れるカーテンを見ていたが、やがて静かに口を開いた。
「火猿アトラ。この国の歴史の中で幾度も登場する、軍神と称えられた聖獣だ。最近では百年ほど前、天候を操り国に大飢饉を引き起こした堕聖獣軍勢の反乱を食い止めた。他にも大きな内乱の際には必ず名がのぼる。知らないお前の方が珍しいぞ」
「そっか……。やっぱり、そんなにすごい聖獣だったんだ」
「ついでに言うなら、女に宿っているのは珍しい。かつての宿り主はいずれも勇猛果敢な戦士だったと聞いてる」
「ふうん。じゃあ女の宿り主じゃ、たいした活躍も出来ないと思ったのかな。だからあんな田舎から出ようとしないで……」
「いや、私には少しわかるような気がする」
「え?」
リトが顔を上げると、部屋のドアがノックされた。
すると、それまで固く厳しい表情だったユリウスの顔がふと和らいだ。
「やっと来たか。……さて、リト。約束は私の直属の隊ということだったな。これからお前には、私の護衛をしてもらう」
「護衛隊?」
「隊、と言うほどの人数ではないが。お前はこの屋敷に部屋を持ち、常に私の傍で生活をする。私の召集にいつでも応えられるように休暇などはない。厳しいが、この任務は最も重要で才のある者にしか任せられない」
才のある、という言葉にリトのハートがぴくんと疼く。
「その代わり、お前は誰に遠慮する事なく、自由に振る舞っていい。私にもあるがままのお前で接してくれ。いわば、私の身内も同然だ。どうだ?」
「最っ高!」
リトはユリウスの首に飛びついて、ぴょんぴょんと跳ねた。
「素敵! 最高の任務だわ。あたし頑張るから。ちゃんとユーリを守るからね」
ユリウスの頬に、はちみつ色の赤毛が触れる。彼はなんともくすぐったそうに苦笑し、リトの背中を叩いた。
「それだけの元気があればもういいな? さっきからずっと廊下で、お前に紹介されるのを待ってる者がいるんだ。いいぞ、入りなさい」
「あ、そうだった。誰かが……」
リトがユリウスを解放するとドアが開き、そこからなんとも言えない、小さくて変わった動物が入ってきた。
「な……、何、この子。かわいいーっ!」
ピンク色の、子豚のようなカバのような四足の生き物。
器用に頭の上にティーセットのトレイを乗せて、トコトコと近付いてくる。
そしてバランスよく、前足をベッドの淵にかけた。
「初めまして、リトラさん。ポーリンです、よろしく……」
「いやぁん! この子しゃべってるー!」
リトは目を輝かせてポーリンに見入っている。
当の本人(本豚?)はピンク色の身体をさらに染めて、恥ずかしそうにうつむいた。
「これも、私が傍に置いている護衛の一人だ」
ユリウスがポーリンの頭からトレイを持ち上げ、サイドテーブルに置いてやる。
「あの……リトラさん、お茶とフルーツベリーをどうぞ……。ベリーは中庭で育てたものなんです」
「……抱っこしたい……!」
「はい?」
リトは真剣な眼差しでユリウスに視線を送った。
それをポーリンがあたふたと交互に見つめる。
「いいぞ。好きにしろ」
「え、あのでも、そんな……、ぴゃーー!」
ヒョイと持ち上げられ、ポーリンはなす術もなくリトに抱き抱えられてしまった。
「うわあ、フカフカー。こんなの初めて見たわ。あ、じゃあこの子も今日から、あたしの身内って事だよね。ポーちゃん、あたしの事はリトって呼んで。よろしくね」
リトがポーリンをさらにきつく抱きしめる。
すると、リトから逃れようとパタパタ動かしていたピンク色の短い脚が、突然ムクムクと伸びはじめた。
小さな丸い耳も、見る間に金色のサラサラした髪に変化していく。
「……あれ?」
リトが手を緩め、改めて腕の中を見ると、金髪のショートヘアが可愛い、華奢な人間が居た。
「人間の女の子になった……? 十歳くらいかな」
リトが目を丸くすると、ユリウスがプッと吹き出し、ポーリンは真っ赤になった。
「ぼく……男の子です。本名はウォルフ=ポリレスカ=シオン……しかも十四歳。笑うなんてひどいよ兄様!」
「え、兄様? それにシオンって事は」
「ははは。ポーリンは私の実弟だ」
「弟? こんなに可愛いのに男の子なんだぁ。それに歳もあたしと三つしか違わない」
その言葉に、今度はユリウスとポーリンが目を丸くした。
「三つ? リトお前、それで十七なのか」
「ぼくも同じ歳くらいかと思ってました……」
「なにそれ、失礼よ二人とも。まるであたしが色気ゼロみたいじゃない!」
「そうじゃないとでも思ってたのか」
呆れ顔のユリウスと憤慨するリトに、ポーリンがやっと笑顔を見せた。
「あの……リト。ぼくの聖護獣はさっきのヒッポ……大地の聖獣です。ヒッポは変化の能力を持ってて、ぼくはヒッポの姿でいる事が多いんです。仲良くしてください」
「うん、あたし達きっと気が合うよ。ねえ、他の護衛の人は? まだたくさんいるんでしょ」
それにはユリウスが軽く頭を振った。
「いや、あと一人だけだ。ポーリン、トスカはどうした」
「なんだか、デートのダブルブッキングをしちゃったとかで、さっき表屋敷を逃げ回ってるのは見たけど」
いつの間にかポーリンは、ここが定位置とばかりにリトの膝の上に収まっている。
「またか。困ったやつだ。こっちに顔を出すように言っておいたのに」
「ちょっ、待ってよ。公爵の護衛がたった二人? あたし入れても三人だけ。そんなんで大丈夫なの?」
その時だった。
突然、外の木の枝がザザッと揺れたかと思うと、カーテンを跳ね退けて何者かが部屋に飛び込んできた。
「な……、誰っ!?」
「あ、トスカさん」
「しっ! 大きな声出さないであんた達。やっと撒いてきたんだから」
唇に人差し指を当てて、窓から外の様子をうかがうその人は、絶世の美女と呼ぶに相応しい女性だった。
緩やかに波打つ亜麻色の髪が胸元で揺れ、真珠色の長いドレスがしなやかな身体の曲線を惜し気もなく浮き彫りにしている。
「ちょっとポーちゃん……ホントにこの綺麗なお姉さんがトスカさん? とても一国の公爵様の護衛が務まるようには見えないけど」
リトが率直な意見を耳打ちすると、突然トスカがドレスを跳ね上げた。
フワリと床に裾が落ちるのに目を奪われた刹那――。
リトの喉元には、すでにトスカの短剣が突き付けられていた。
「……挨拶が遅くなったわねリト。あのね、まだ幼かったユーリに剣を教えたのは他でもない私なの」
トスカが剣の切っ先でリトの頬を撫で、不敵に微笑む。
「これで納得できなければ、正式に手合せしてもいいけど。必要、ないわよね?」
リトは視線のみでうなずいた。
あまりの鮮やかな動きと、妖艶な彼女の雰囲気に声も出せない。
「やめろトスカ。そんな挨拶があるか」
ユリウスがため息混じりにたしなめる。
「あら、私はこの子が気に入ってるのよ。それに昼間の試験を見る限り、この程度の事で怯むような子じゃないと思うけど」
トスカはクルリと手元で短剣を回し、それを脚に留めた鞘に収めた。
夢から覚めたようにリトの目が輝き出す。
「すっごーい。トスカってカッコイイ! じゃあユーリの先生なんだね。ねえねえ、今度あたしにも剣を教えて」
「……ほらね」
肩をすくめ、トスカはリトの頬に手を伸ばし微笑んだ。
「私には聖護獣はいないけど、この剣の腕をかわれて十の時からユーリの護衛をしてるの。よろしくね。ところでアトラはお留守? 希代の女ったらし聖護獣にも挨拶したかったのに」
「女ったらし……え? アトラの事?」
狐につままれたような心持ちのリトの頭を、ユリウスがガシッと掴んだ。
「アトラの事で一つ言い忘れていた。奴は女に手が早い事でも有名だ」
「『英雄、色を好む』って言うけどまさにそれよねぇ」
ウンウンとトスカもうなずく。
「うっそぉ! アトラは普段、女の聖獣になんか会ったって見向きもしないよ? どっちかっていうとクールっていうか冷たくて、目も合わせないもん」
「それが彼の手らしいわよ」
声をひそめてトスカが耳打ちしてくる。
「前世でアトラと付き合ってたって聖獣が、自警隊本部にもたくさんいたのよ。その話の統計からするとね、彼って普段はお前なんか相手にしないってくらい冷たいくせに、夜になるとものすごくマメで優しいんですって。そのギャップと、自分の戦いぶりを見せ付ける事で落ちない女はいなかったみたい」
「そんな……、じゃあ今頃ジゼルさんを口説いてるのかも! どうしよう、公爵の聖護獣におかしなコトでもしたら」
リトはゆさゆさとユリウスの腕を揺すったが、彼は全く動じる様子はない。
「ジゼルはいいんだ。心配しなくていい」
その言葉にトスカも、さらにポーリンまでもがうなずいた。
「ジゼルは別よ。彼女はもう何代も前からアトラの一番近くにいる聖獣で、永遠の恋人と言われているの」
「アトラが戦う場には必ずジゼルがいて、奴に力を貸し、時には盾となって奴に尽くす。これも有名な話だ」
ユリウスが窓の外を眺める。
風が時折、大きくカーテンを揺らしている。
初めて耳にしたアトラの過去。それはリトの心を複雑に軋ませた。
「さあ、紹介は以上だ。それから、この奥屋敷には私達の他に身の回りの世話をする者しかいない。気兼ねなく、好きなように過ごすといい。私はちょっと出かけて来る」
「お出かけ? じゃあお供しなくちゃ! すぐに支度するから……」
リトが慌ててベッドから降りようとすると、トスカが横から頭を小突いた。
「バカね、デートにあんたが着いていってどうするのよ。公爵様はお嫁さん候補の姫君達の所にお通いなの」
「……私は公務だと思っている」
ユリウスが背を向けてドアに向かうと、トスカが皮肉に笑って腕を組んだ。
「そう?その境界線はユーリにしか引けないからね。嫌ならやめれば?」
「嫌とは言ってない」
「あはは。相変わらず偏屈ね。でもこれからなんてマメだこと。あんたもアトラの事、とやかく言えないわね」
ピタリと足を止めて、ユリウスも皮肉たっぷりに答えた。
「トスカには負けるがな。私はダブルブッキングなんて忙しい真似はとてもできない。遊びもほどほどにしないと、今に自分を見失うぞ。……ポーリン、リトのお守りは任せたからな」
そう言い残し、ユリウスは部屋を出ていった。
「……よく言うわ。本物が怖くて偽者を物色してるくせに」
トスカがユリウスの出ていったドアに小さく毒を吐く。
リトにはよくわからないが、どうやら二人はお互いの交友関係が気に入らないらしい。
「さて、じゃあ私も行くわ。さすがにどっちかの相手はしてあげなきゃね。リト、私の部屋はここの斜向かいだから、何かあったら来ていいわよ」
だがトスカはドアには向かわず、来た時と同じように窓を乗り越えて出ていった。
嵐が去ったように急に静かになった部屋の中で、リトはポーリンを抱いたまましばらくボーッとしていた。
頭の中は新しい情報でパンク寸前だ。
「あの……ぼくももうお部屋に……。ぼくの部屋はここの左隣だから、えっとリト? そろそろ離してくれないかな……」
シュルシュルとポーリンの身体が縮んで、またピンクのヒッポの姿に変わる。
するとリトは、ヒッポの両脇を持ち上げて、鼻と鼻をくっつけた。
「ねえポーちゃん、あなたユーリにあたしのお守りを頼まれたわよね。ちょっと付き合って。確かめたい事があるの」
「ブヒッ? ……なんだか嫌な予感がするけど……」
ポーリンはニッコリ笑うリトに、疑わしげな視線を返した。