青い手紙
ユリウスが一通りの責務を終えてやっと屋敷の執務室に戻ってくると、机の上にはいつもの公的な書簡とは異なる淡いブルーの封書が乗っていた。
何気なく手に取ると、ユリウス=シオン公爵様と書かれた宛名の字に見覚えがある。
(……どういう事だ)
嫌な予感に、封を切るペーパーナイフを持つ手も重い。
中の手紙を読み進むうちに、ユリウスの顔は見る間にこわばっていった。
ピィィーーーーーーッ!
その時、長く尾を引く鳴き声と共に窓から飛び込んで来たのは一羽の小鳥。
それはクルリとユリウスの頭上を旋回し、肩に乗った。
「カシムのツバメ……!」
青ざめたユリウスの頬に向かって、ツバメが主の伝言を伝える。
『空キ家二住ンデイタ人ワカッタ。当時ノ身分ハ子爵。オニキス子爵。今ハ、オニキス伯爵。オニキス伯爵……』
伝言を耳にしたユリウスは、手紙を掴んで脱兎のごとく執務室を飛び出した。
『親愛なる兄様へ。
ぼくは、初めて兄様の護衛としてお役に立つ事ができそうです。
オニキス伯爵。ぼく達の大好きだった医師には堕聖獣が宿っています。
ガセンズさんはこの堕聖獣に襲われました。
ぼくも最初はどうしても信じられませんでした。
でも今、ぼくの身体は医師に飲まされたジオラルの麻薬に侵されています。
この薬は、身体も心も闇の領域に捉えてしまう。
幻覚幻聴、暴力、支配と狂気への欲求、そして孤独。
書ききれないほどの負の現象に加え、伯爵に絶対服従の暗示がかかる。
地獄のような中毒症状を緩和するには、同じ薬を飲む他ありません。
放置は、狂った挙句の死を意味します。
だから、ぼくはもうみんなの所には帰れません……』
ユリウスは奥屋敷に着くと、迷わずリトの部屋に飛び込んだ。
リトはソファの上で、深い眠りについている。
「リト! 目を覚ませリト!」
案の定、どんなに揺さぶってもぐったりと腕を垂らし、起きる様子はない。
ユリウスはここに向かう途中、医務室から持ってきた気付け薬をリトの口に強引に突っ込んだ。
『リトには、睡眠薬を飲ませてきました。
リトの事だから、これを知ったらきっと追いかけてきちゃうから。
絶対にリトを来させないで。
伯爵の狙いは、アトラを宿したリトと兄様を取り込む事。
そして力を拡大させて、何か恐ろしい事をしようとしている……』
「ゲホッ! ゲボッ……! いや、だ! 何……?」
リトは気付け薬で溺れそうになりながらも、やっと目を覚ました。
手の平でその顔をゴシゴシと拭いてやりながら、ユリウスが叫ぶ。
「しっかりしろ! 犯人がわかった。オニキス伯爵だ。伯爵がガセンズも、おそらくドリスも手にかけた! そして……ポーリンまで……!」
うわずって最後まで言葉が出ない。
ユリウスは握ったままの手紙をリトに押し付けた。
『ぼくはリトを好きになって、リトに振り向いて欲しくて、伯爵に勧められた『大きくなって男らしくなれる薬』に手を出した。
ぼくの弱い心が、今を招いてしまったんだ。
こんなぼくが、小さい頃から厳しい戒律と宿命と戦ってきた兄様に敵うわけないよね。
すねているんじゃなくて、今は心からそう思うんだ』
まだ痺れが残る手で手紙を掴んだまま、リトが唇を震わせる。
「なに……これ……? どうして! どうしてポーリンがこんな事に!? あたし何も気がつかないまま、何も知らないまま……」
狂ったように頭を振るリトの肩を、ユリウスが両手で強く押さえた。
「一緒に行こう、ポーリンの所へ。私は死ぬ訳にはいかない。お前の為に、自分の為に、決してあの術は使わないと……死なないと誓った。だから手を貸してくれ。アトラと共に、私と一緒に戦ってくれ。あの子は私の大事な、たった一人の弟なんだ!」
『伯爵は、リトにも麻薬を飲ませて自分に従うようにしろって言った。
そうしたら、リトは食べないでぼくにくれるって。
ぼくを愛するように命令してやるって。
本当はちょっぴりだけ気持ちが揺らいだんだ。
でも、そんな嘘を見抜けないほどぼくは馬鹿じゃないし、子供でもない。
なにより、そんなお人形みたいなリトはぼくの好きなリトじゃないから。
笑って、泣いて、わがまま言って、口は悪いけど誰より人の痛みを知ってる。
そんなリトだからぼくは好きになった。
初めて、守りたいって気持ちを知った。
すごいよね、守られてばかりだったぼくが、こんな気持ちになれるなんて……』
震えるユリウスの頬を、理とは両手で包んだ。
「わかってる……。あたしは軍神、火猿アトラの主リトラ。そしてあなたは戦女神、ジゼルの主シオン公爵よ。あたしたちに勝てる敵なんかいないわ。行こうユーリ。必ず、ポーリンは助ける。……アトラ!」
「ジゼル!」
二人の声に呼応して、それぞれの軍神と戦女神が姿を現す。
『説明はいらない。許せぬ敵が現れた、それだけの事』
『……大気が密度を濃くしています。わたくしが昂ぶると起きる現象。ユリウスの心は私の心。アトラの怒りは私の怒り……』
もうこれ以上、大事な人を失いたくない。
リトとユリウスの、決して折れることのない信念が一つになる。
『ぼくは今、何も怖くない。
ぼくがリトを、そして兄様を守るんだ。
相殺の術で、必ず伯爵を仕留めてみせる。
どのみち、ぼくはもう助からない。狂いながら人の心を失って死ぬのだけは嫌だ。
ぼくはシオン公爵の弟だから。
世界で一番強くて格好いい兄様の弟だから。それに恥じない男として最期を迎えたい。
兄様がこれを読む頃には、全て終わっていると思う。
一つだけ気がかりなのはトスカさんの事。
どうか二人でトスカさんを支えてあげて。
悲しくて、信じられないだろうけど、きっとわかってくれる。
トスカさんはぼく達の、かけがえのないお姉さんだから……』
「だめだ……ポーリンは何もわかっていない! しかも、もう助からないだと? あっさりと自分の命に見切りをつけるなんて」
「その通りね。とにかく連れ戻してお仕置きしてやらなきゃ!」
二人がそれぞれの聖護獣の気に包まれて、丘の上の屋敷に飛ぶ。
それは今までになく熱い、そして激しい気の塊となった。




