闇、恋うる花
あれから十年。
今もトスカは、決して叶う事のない想いから逃れられずにいる。
自分を必要だと言ったグールの言葉を宝物のように大切にしまい込み、花の事もその存在も隠し通してきた。
だが。
「……やはり話が先のようだな。さっきからその切先が邪魔で動きにくいぞ」
グールがトスカを抱く腕を僅かに緩める。
襟首に狙いをつけるダガーの切先。それはグールの背中にまわしたトスカの手に握られていた。
「ガセンズを手にかけたのは……あなた……?」
「もっと早くそう聞いてくると思ったがな。ウォルフ君がジオラルの花について調べていたよ。あの男の身体は検死の時、くまなく探ったのだがやはり持ち帰っていたらしい」
トスカは落ち着いた様子のグールの首筋へダガーをグッと押し付けた。
「あなたじゃないって証拠を探し回っていたのよ、私は! ちゃんと答えてグール!」
「……ジオラルの花はここにしか咲かない」
黒曜石のような黒い瞳が真っ直ぐに答える。
ユリウスがあの花を差し出した時、トスカの全身は凍り付いた。
それでもそんなはずはないと自分に言い聞かせて、必死で他にいるはずの犯人を追った。
「どう……してよ……! 二度としたくないって言ってたじゃない」
込み上げる涙と嗚咽。
目の前が暗くなり、心臓が壊れそうなほど早鐘を打つ。
それでもトスカは手にしたダガーを緩めはしなかった。
今はシオン公爵の護衛として立つことでしか、自分を保つことができない。
「あの男だけじゃない。薬の臨床体として使っていた使用人も、あの地下牢で自害したドリスという女もオレが口を封じた」
「……!」
グールはダガーを突きつけられたまま、震えるトスカの背中をそっと抱きしめる。
「仕方がなかったんだ。あの使用人はある日、町で知り合ったドリスに、持たせておいた予備の薬を媚薬だといって売りさばいた。薬の存在を不用意に外部に漏らす者など、生かしてはおけなかった」
グールは子供を落ち着かせるように、優しくトスカの背中を撫でる。
昔、幼いトスカが悪夢でうなされると、セルジオはよくこうして慰めてくれたものだった。
「オレが奴を喰らっても、セルジオももう咎めはしなかった。ドリスは必要以上にセルジオに心酔し、手柄を立てたら傍においてくれとしつこかった。危ういあいつにオレ達は、何か変事が起きた時は眠り続ける暗示をかけておいたが案の定、先走って公爵の手に落ちた。だからあの地下牢で……オレはあの女に一言だけ、死ねと命令した」
もう取り返しがつかない。
連鎖のように綻び始め、やがて崩壊する時も近い。
トスカは最後の問いを、愛する父と堕聖獣に投げかけた。
「ガセンズは……?」
「あいつは聖護獣に乗って、空から垣根を越えて直接離れにやって来た。あの日も月が綺麗な晩で……。わかるだろう、オレ達は暗幕を開け放してジオラルに月光を与えていた。言い逃れなどする間もない」
目に涙を溢れさせるトスカをきつく抱きしめ、グールはその額にキスをする。
トスカが悲しげに目を閉じるのを見ると、グールはソファマットの下にそっと手を忍ばせた。
「あの男はルーク出身で、子供の頃セルジオに憧れてよく家の近くて遊んだらしい。昔、セルジオが住んでいた家でジオラルの花を見つけたと言った。全部処分したはずが、どうやら種が残っていたんだな。奴は自首を勧め、そして花を確かめに温室に入っていった。月の光で、競うように香りを放つ温室の中にな。一瞬で身体も頭も麻痺してしまったのだろう。その時しか、こちらに勝機はなかった」
トスカが一つ深呼吸をする。
そしてグールの首筋で震えるダガーを、改めて両手で握りなおした。
「できるのか? 今まで出来なかった事が今更。オレはお前とずっとこうしていたい……」
グールが静かにトスカに口付ける。
堕聖獣の、優しい嘘。
分かっていながら、その嘘に切先が躊躇う。
こんな風に突然、終わりが来るとは思わなかった。
だが、こういう形でしか自分の想いを貫くことはできないだろう。
「……セルジオの血が絶えれば、ルチアも死ぬ。だから、すまないトスカ」
トスカの背中にチクリと痛みが走った。
「なっ……?」
その隙を突いてグールはトスカの腕をねじ上げ、ダガーが床に転がり落ちる。
「オレ達はまだ死ねない。悪いがもう手は打ってある。ウォルフ君と……おそらく次は、火猿アトラの宿り主もオレ達の手に落ちる」
「どういう事!? まさかポーリンとリトにも何か……」
グラリと足元が揺れた。
瞬く間に部屋全体が渦のように廻り始め、トスカはグールの腕の中に倒れこむ。
「今の……? あなた、私にも……薬を……!」
やっとの事で顔を上げると、グールの手には小さな注射器が握られていた。
「おやすみトスカ。何も心配いらない。お前は永遠にオレを愛してくれる。それだけだ」
トスカの目の前がまだらに闇に染まってゆく。
痺れて指一つ動かせない感覚は、いつものグールと抱き合うときの刹那に似ていた。




