異変
止まらない、止まらない。
湧き上がる負の感情に唇が震える。
なんとかそれを押さえ込み、護衛として伝えるべき事は伝えたが、加速する心と身体の異常事態がポーリンを追い込んでいた。
リトに会いたい。
幻でも、虚像でもない本物のリトに。
話なら明日に、とは言ったものの、昨夜から今日までリトを避けるように部屋から一歩も出なかった。
いや、出られなかった。
自分の中の異変と戦い、そして負け続け、打ちひしがれていたところへあのノートが目に入ったのだった。
(間違いない……兄様は本気だ。でもそんなの嫌だ。リトは渡さない)
リトに会いたい。
今、本物に会わなければ、ぼくは壊れてしまうかもしれない……!
「リト!」
願いを聞き届けたように、リトは菜園の片隅でジオラルの葉を見下ろしていた。
「ポーリン……? 身体大丈夫なの、顔色が……」
心配そうに顔を上げるリトは、天使のように愛らしい。
気がつくとポーリンは走り出し、その天使を力いっぱい抱きしめていた。
「本物だ……! やっぱりあんなのリトじゃない。これがリトだ。ぼくの……!」
「ポーリン……?」
困惑するリトの頬を両手で挟み、ポーリンは熱い想いを吐き出した。
「リト、今すぐ一緒にリトの村に行こう。ぼくはリトが欲しい。リトを誰にも渡したくない! ぼく、何でもするから。リトの為なら何でもできるから。だからリト、ぼくを選んで、ぼくの為にだけ笑って!」
大きく見開いたリトの緑色の瞳。
だがそれはすぐに落ち着いた色に変わり、ポーリンの目の前で静かに左右に揺れた。
その仕草にポーリンの中の黒い波が一気に押し寄せる。
「どうしてぼくじゃダメなの? リトはぼくをちゃんと見ようともしてくれない! ぼくが弱くて小さいから? ぼくが年下で頼りにならないから?」
「たとえポーリンがあたしより年上で強くて逞しくても、あなたのところにはいかない」
「だからどうして!」
「簡単だよ。ポーリンはユーリじゃない、ただそれだけ。あたしの中は指先から髪一本まで、ユーリで一杯なの」
リトが寂しそうに微笑む。
叶わないとわかっているはずなのに。
それでもリトは、自分の想いをどこまでも大切に守る。
「リトは……馬鹿だ!」
バシッ!
ポーリンの膨れ上がる感情の波がその手を振り上げ、リトの頬で音を立てて弾ける。
手加減なしの平手は、リトをジオラルの葉の群生の中に叩き落した。
「本当にバカだ! 兄様は絶対にリトを選んだりしない。だってどんなに想ったって兄様は……兄様はどうせすぐ死ぬんだ!」
「……それ以上言ったら、リトの前に私が許さないわポーリン」
いつの間にか、ポーリンの背後から伸びた短剣が首筋をピタリと捉えていた。
「ト……スカ、やめて。ポーリンにそんな事しちゃダメ。違うから……、剣を下ろして!」
ジオラルの葉の中から顔を上げたリトの頬は、真っ赤に腫れ上がっている。
「リト……!」
「違うの……ポーリンは本気で言ってるんじゃないの。あたしが不器用だから……でもどう言えばいいかわからないの。ごめんポーリン」
リトは悲しげに目を伏せた。
(なんだよリト、昨夜とまるで違うよ。昨夜はぼくに殴られても蹴られても、馬鹿にしたように笑うだけだった。腹が立って、それでも狂いそうなほど愛しくて、だからぼくは……)
それはポーリンの妄想、幻惑、一夜の夢。
ただひたすらに想い続けた果てに待っていた、狂気の宴。
「わかってるわ。少し脅かしただけよ。目が覚めるかと思ってね」
トスカが剣を下ろすと、ポーリンは弾かれたようにその場から逃げ出した。
どこへ行くの、そう後ろで声がする。
どこって、決まってる。
ぼくを助けてくれる人の所へ。
今のぼくを救ってくれるのはもう、あの人だけなのだから……。




