忠誠の紅
公爵家に戻るなり、ずっと押し黙っていたリトがユリウスの背中に言った。
「……やっぱりおかしかったんだね」
トスカとポーリンが顔を見合わせ、ユリウスの横顔に視線を投げかける。
「そういう事だ。それにさっきのを見てわかっただろう。私は何人もの花嫁候補の相手といつもああして過ごしている。取り立てて言い訳する気もない」
リトはユリウスの前に回りこんで、その顔を見上げた。
「言い訳なんていらない。それよりユーリ、あなたはそれで幸せなの?」
意外にもリトの目は怒っている。
泣かれるのは想定していたのだが。
「好きでもない人とあんな風に過ごして、それで幸せ? あたしは、すっごく幸せだったよ。ユーリが大好きだから特別なんだよ。ユーリはその気持ち、知らないまま生きるの?」
リトの真剣な目は、泣かれた方がましだと思えるほどユリウスにとっては痛い。
「別にあたしじゃなくてもいいの。それは仕方ないの。でもシオン公爵だから、好きでもない人と一緒に生きなきゃならないの? あたしが感じたような幸せはユーリにはこないの? そんなのおかしいよ!」
「……だからお前達がいるんだろう」
自分でも驚くくらい声は静かだった。
それはリトが一発で黙るのに充分なほどに。
「私はお前達がいればそれでいい。充分幸せだ。……やっぱり謝るよ。あの時はすまなかったリト」
リトは顔を真っ赤にして口をつぐんだ。
その目からいきなり大粒の涙がぽろっと落ちる。
(んなっ……ここで!?)
「……ユーリのバカ! 謝るな!」
奥屋敷に向かって兎のように駆けていくリト。
思わず追ってしまいたくなる衝動に自分でも驚いてしまう。
「リト待って! リト! ……ぼくリトの所に行ってくる。なんかわかんないけど、可哀相だよ……! リトが泣くの、嫌なんだ……」
ポーリンはちらと棘のある視線を寄こし、リトを追っていった。
(やっぱり泣いた。いざそうなってみると、少しもましじゃないな……)
リトに関しては予測不能で、何をしても裏目に出るような気がする。
「……あんたも泣きそうな顔してるけど。なにやったのよユーリ」
「うるさい、もうどう扱えばいいかわからん。こっちはそんな幸せ、知りたくもなかった」
あの時、自分も幸せだった。
そう答えたも同然の言葉を口走ったのも気付かずに、ユリウスは憮然として反対の表屋敷に向かった。
「へえ……。いつまでたっても可愛い奴」
「何をしているトスカ、早く来い。執務室でもう一度子爵家の洗い出しをするぞ」
トスカは笑いを堪えて、早足のユリウスの後に従う。
だが二人がエントランスホールに足を踏み入れた時、ちょうど客間に通されようとしている人物に出くわした。
「あら、父様?」
トスカの呼びかけにユリウスも彼に気づき、足早に駆け寄った。
「オニキス伯爵、今夜来てくださるとは思いませんでした。留守にしていて申し訳ありません」
「おお公爵殿。トスカも一緒だったのか。いや、使いの方に早急にと言われていたのだが、妻を寝かせるのに手間取ってこんな時間になってしまった。ご容赦願いたい」
オニキス伯爵はいつものおっとりとした笑顔を見せ、こちらに歩み寄ってくる。
「父様……寝かせるのに手間取ったって、母様のお加減が悪いの?」
「そうなのですか? でしたら明日でも……」
不安げに詰め寄るトスカとユリウスに、伯爵がひらひらと手を振る。
「いやいや、これは言い方が悪かったな。少し寝つきが悪かったというだけのものだ。母様はいつもと何も変わらないよ、トスカ」
「……そう。ならいいの」
トスカが小さくため息をつく。
「では急ぎ、伯爵に診て頂きたい者の所に案内しましょう。こちらです」
ユリウスが先に立って、ドリスの居る地下牢へと案内する事になった。
地下に続く階段はひんやりと湿った空気で満ちていた。
一歩進むたびに、三人の靴音が遠く響き渡る。
「それで? 公爵殿は、その女性に宿った堕聖獣だけを滅したんだね。それなのに未だに目を覚まさない、と……」
「はい。その女本人には傷ひとつ付けていないつもりですが。電撃を使ったので、もしかしたらそれが影響しているのかもしれません。貴重な情報源なのですが……」
「情報、ですか。公爵殿の新しい護衛の方を襲ったと聞いているが。もしや、先日の自警隊長の死と関わりが?」
ユリウスは一時、話すべきか迷った。
(この一件は公にするにはまだ早い。オニキス伯爵は公と言うより身内に近い存在だが……)
その一瞬の迷いを察したのか、伯爵が照れたように頭を掻く。
「いや、これは失敬。シオン公爵に対して、立ち入ったことを申しました。つい幼い頃のあなたのつもりで」
「すみません、いずれご意見を伺うと思います。……さあ、ここです。どうぞ」
ユリウスは地下の一室のドアを開けた。
そこは灰色の壁に、ベッド一つが据えられたあまりにも殺風景な部屋。
伯爵は、ベッドの上に静かに横たわる女を一瞥すると、すぐに引き締まった医師の顔になった。
「ここに居てください。もし目が覚めて暴れだしたりしたら、取り押さえるのはお任せしますよ。では……」
彼がまず、女の首筋に両手の指をそっと伸ばす。
「ふむ、脈は確かにある。生きてはいるのに目は覚まさない。どれ、呼吸は……」
ぶつぶつと口述で状態を確認しながら、次に伯爵は腰を折り曲げて女の口元に耳を寄せた。
その後姿をユリウスとトスカが黙って見守る。
時間をかけて呼吸音を確認した伯爵は、ゆっくりと顔を上げユリウスの方を振り返った。
「呼吸も正常だ。眠り続ける原因はまだわかりませんが、とりあえず強引にでも起こしてみますか? 一応、気付けとなるカンフル剤なども持参してきましたが」
「実は私も、少々痺れを切らしているんです。起こせるものならそれを優先させて……」
その時だった。
伯爵の後ろに見える女の手がピクッと僅かに振れた。
「あっ……!」
トスカがそれにいち早く気付いて声を上げる。
「父様! ドリスが今、動いたわ!」
「何っ!?」
伯爵は女に向き直り、ユリウスとトスカもベッドに駆け寄った。
「なっ……、これは!」
慌てて伯爵が女の頬を片手で掴み、その口の中に指を突っ込んだ。
無理矢理、口をこじあけようとする様子に、ユリウスとトスカが息を飲む。
やがて伯爵は女の口から手を出し、最初の時と同じようにその首筋に指を当てた。
真っ赤に染まった指が、女の細い首に跡を残す。
「医師……」
思わずユリウスは、幼い頃の呼び方で伯爵を呼んだ。
「だめだ。すまない、油断した。まさか私の目の前でこんな事になるとは……」
「父様、じゃあやっぱりこの女…!」
震えるトスカの声に伯爵が静かにうなずく。
「舌を噛み切った。おそらく目を覚まさなかったのは演技で、逃げる機会を伺っていたのだろう。医者が来たのでもう逃げられないと観念し、自分の口を塞いだのだ。……何が露呈するのを恐れたのか」
三人が呆然と女を見下ろす。
溢れる赤で染まった女の口元は、満足そうに微笑んでいるようにさえ見えた。




