リトラ×アトラの華麗なる? デビュー戦
「あ、もしかしてあなたが最後のリトラ=ルナティアさん? みなさんお待ちですよ。さあ、こちらの場内直通の通路からどうぞ!」
入口で『待ってました』とばかりに受付らしき女性に促され、リトは暗い通路を走り抜ける。
両開きの扉を力いっぱい押し開けると、眩しいほどの光が目を刺した。
《お待たせいたしました! 本日最後の受験者、リトラ=ルナティアさんの登場です!》
場内アナウンスが響き渡り、観客席からワッと声が上がった。
「うわ……なにこれ」
ただっ広い闘技場の観客席には、人、人、人。見渡す限り人の山で、リトは思わず立ちすくんだ。
《さあ、リトラさん。まずはあなたの聖護獣を披露してください!》
「すごーい……。こんなにたくさんの人が観てる中で試験するんだ。アトラ、お披露目だって。出てきてよ」
まだ呆然としながらも、リトは自分の中のアトラに話し掛けた。
『い・や・だ! 俺は見世物じゃない』
憮然と返ってきた言葉に、リトがプッと吹き出す。
「またまたぁ。ホントは久しぶりに暴れたくてウズウズしてるくせに。こんな大観衆の中でやるならなおさらね。あたしがそうなんだから、同じでしょ」
精神性の部分で繋がっている聖護獣と宿り主は、大抵の感情も共有する。リトとアトラのように、信頼が深ければなおさらだ。
『そんな……事はない。お前と一緒にするな』
《どうしました。もしかしてお嬢さんの聖護獣は試験官に恐れをなしたかな?それでは国の治安を守護する自警隊には入れませんよ》
アナウンサーのからかい半分の声に、場内がドッと沸いた。
自警隊員となる為には、公爵家が用意した試験官との戦闘に勝利しなければならない。
屈強な受験者ばかりの所に女の子が現れたのだから、軽く見られるのも無理はないのだ。
だがリトは、アトラの背中に触れる事を許された自分に自信も誇りも持っている。
聖護獣の背中――。
いわば背後を任せるという意味なのか、聖護獣は宿り主と決めた人間に背中を差し出す。それに触れる事で、初めて宿り主と聖護獣の誓約は成立するのだ。
《さあさあ、最後のプログラムなんですから、せめて可愛らしいダンスでもいいですよ。そっちの方がワタシは好みかも!》
アナウンサーの軽口に会場がまた笑う。
元々短気で直情型のリトが、ついにブチ切れた。
――その頃。
観客席の中央の椅子に腰掛けていた若者の輪郭が、陽炎のようにユラリと歪んだ。そしてそれは、すぐに元のはっきりとした姿に定まる。
『あら……退屈だから先に帰ると言ったくせに。せっかく蜃気楼で代わりを映しておいたのに。どうなさったの』
「いや。なんだか面白そうなものが見れそうなので戻ってきた」
『……気まぐれだこと』
若者の聖護獣が上品に笑った。
「ちょっとアトラ! あんたがグズグズしてるからバカにされんのよ! さっさと出てこないと、寝てる間に体中の毛という毛をむしってやるからねーーっ!」
闘技場のど真ん中でリトが吠えた。
『お前……! それはこの前、寝ぼけてホントにやったじゃねえか。そんなの脅しになるか!』
『問答無用! 出なさいってば。敵に後ろを見せる気? そんなの、あたしはあんたから教わった覚えはないわっ』
『あーっ、うるさい! わかったわかった! ……チッ…』
ガオンッと熱い風と共に、リトの背中からアトラが実体を現した。
太い眉、金色の髪と瞳。臙脂色のマントを翻したシルエットは人と酷似している。
だが腰から下は全て、そして腕や胸元、揉み上げまでもが金色の体毛で覆われた人獣の姿、それがアトラだ。
具現化したその実体は今、細い気の流れでリトと繋がっている。
アトラが姿を現した途端、会場の笑いがピタリと止んだ。
「……ほらね。アトラを見てバカにする人なんていないわ。あんたはやっぱり、この世で一番強くてカッコイイ聖護獣よ」
リトが誇らしげに笑う。
『ふん。腹の立つ事に、俺は何よりお前のその笑顔に弱い』
「うふふ。それをあたしが知ってる事の方が、腹立たしいんじゃない?」
アトラが苦笑いを返すと、水を打ったように静かだった会場が次第にザワザワと揺れはじめた。
『……アトラじゃないか?』
「伝説の火猿、アトラ? まさか……」
『アトラ様の宿り主があんな小娘……? 何かの間違いじゃ……』
リトは目を丸くして、周囲の観客席を仰ぎ見た。
「な、なによ。みんなあんたの事知ってるみたいだけど……」
『だから人の多く集まる都は嫌だったんだ。まあ仕方がない』
アトラが観客席をひと睨みして大きく息を吸い込む。そして、周囲にガアッと炎を吐きながら叫んだ。
『我は炎を司る聖猿獣、名はアトラ=モリス! そして……』
リトの前にアトラは片膝をつき、うやうやしく頭を垂れた。
観客が息を飲む中、その金に光る背中にリトが悠然と手のひらを置く。
『この娘が我が主、リトラ=ルナティアだ! これから俺達は試験官をぶっ飛ばす。てめえら、よく観とけよ!』
その瞬間、観客席から嵐のような歓声が沸き起こった。
『アトラ=モリス! 本物だあっ』
「火猿アトラ! すでに転生していたとは……」
『きゃーーっ! アトラ様よー!』
いつの間にか観客席のあちこちで聖護獣達も姿を現し、熱狂的にアトラの名を口にしている。
「いやぁね、あんた前世でいったい何をやらかしたのよ。やけに有名みたいじゃない」
『別に。ちょっと元気が良かっただけだ。……さあ、さっさと片付けるぞリト。やるからには負ける気はないからな』
アトラがマントを颯爽と肩に払った、その時だった。
『……アトラ……』
突然、凜と澄んだ声が耳に響き、なぜかアトラがビクッと肩を震わせた。そしてそのまま、観客席の方を見つめて汗をダラダラ流している。
「なによアトラ、どうし……」
リトも同じ方向の観客席をふり仰ぎ、その中央に浮かび上がっている聖護獣のひとつに釘付けになった。
淡く水色に輝く長い髪が揺れ、その頭部には一本の角。陽炎のように透き通った衣装が、さやさやとたなびいている。
『ジゼ……ル……』
つぶやいて、アトラがその場に凍りつく。
すると、その角を持つ美しい聖護獣がスウッと宙を渡り、アトラに近づいてきた。
『ダ、ダメだ、帰るぞリト! やっぱり俺はここにはいられない』
「うわぁお……綺麗な聖護獣……」
右往左往するアトラを無視して、リトはウットリと目を輝かせた。
『ジゼル様だ……』
「戦女神、ジゼル。まさか公爵のジゼルが試験官を?」
ザワザワと観客席が波立つ。その中を、また彼女の澄んだ声が渡った。
『名高きアトラ=モリスを相手にできる試験官などおりませんでしょう。……わたくしはユリウス=シオン公爵の聖護獣、ジゼル。ここはわたくしが……、いかが? ユリウス』
優雅に振り返った先には、ジゼルと細く繋がった若者が客席で笑っている。
「……面白い。思った通り、今回は退屈しない」
シュッとジゼルに引き寄せられるように宙を駆け、若者は闘技場にフワリと降り立った。
「あれ? あなたさっきの……ユーリ?」
『な……! お前がジゼルの? 公爵本人だったのか! なおのこと、こいつの下で自警隊なんかになれるか、帰るぞリト』
「待て、アトラ=モリス」
さっきとは別人のような威厳のある声色で、ユリウス=シオン公爵が呼び止めた。
「お前はこの娘に忠誠を誓った者だろう。この娘の意志に反して行動する事は聖護獣の仁義にもとる行為。娘よ、お前はこの試練を受けずして帰りたいか」
「まっさかー。シオン公爵って事は、自警隊のトップよね。でもあなたに勝たなきゃ合格できないんでしょ? だったら全力でいかせてもらうよ!」
リトは短剣を抜いて低く構えた。その目を不敵に、爛々と輝かせて。
『リ、リト、頼むからちょっと待っ……』
『……またわたくしから逃げるのね、アトラ』
ジゼルの小さなつぶやきは、アトラの耳をピクッと震わせた。
『……なんだと?』
一瞬にしてアトラの金の目が燃え上がる。
そして、今まで避けるように逸らしていた視線をヒタとジゼルに合わせた。
『ジゼル、本当にいいのか。わかってるとは思うが、俺は手加減なんか出来ないタチだ』
『もちろん知っています。けれど、わたくしも今はシオン公爵の聖護獣。手加減など無用です』
『……後悔するな……!』
アトラから熱い気が噴き上がる。同時にジゼルからも、強い風の渦が巻き起こった。
「では、どちらか背後を取られた方の負けだ。皆の者、見届けるがよい」
風の渦の中でユリウスが宣言すると、観客席は割れんばかりの拍手と歓声に包まれる。
そのゾクゾクする熱気を肌で感じながら、リトはユリウスの瞳を覗き込んだ。
「公爵、さっきは親切にしてくれてありがとう。でも勝負は別よ。あなただってより強い部下が欲しいでしょう?」
「私の背後を取れたなら、地方ではなく私の直属の隊に置いてやろう。……本気で来い」
「あっは。その台詞、忘れないでねユーリ!」
リトは短剣はしまい、両手を地面につけた。
この猿のような戦闘スタイルはリトの真骨頂だ。それは猿獣であるアトラの教えに他ならない。
師であるアトラも、同じように両手を地につけ低く身構える。
『リト。ジゼルは大気を操る、一角獣の聖獣だ。攻撃範囲は広くスピードもある。油断するなよ。まずは先手必勝だ!』
皆まで言わずとも、二人は同時にターゲットに向かって地面を蹴り、その手に熱い気を練り上げた。
『「デトラファイア!!」』
リトとアトラが声を合わせた瞬間、二人の両手からそれぞれの火炎がほとばしった。
二本は真っ直ぐに、もう二本は蛇のように複雑に軌道を変えながらユリウスとジゼルに迫る。
『バカ野郎! フェイクの一つも入れろといつもあれほど……』
「だってあたし、炎のコントロール苦手だもん。威力で押し切る!」
『ジゼルがそんな甘い相手か!』
案の定、二人の炎はジゼルが展開した風のシールドに呆気なく弾き飛ばされた。結果、地面に黒い焦げ跡を残しただけ。
シールドが霞み、中から現れたユリウスとジゼルが、同じように腕を差し出し前方を八の字にまさくった。
ズズズッと大気が蠢くような感覚に、リトの本能が危険を嗅ぎ取る。
「アトラ……これって、なんかまずいんじゃ……」
『しまった! いきなりこんな大技……!』
闘技場全体の大気が一瞬にして渦を巻き、リトとアトラに集約される。
逃げる間もなく、あっという間に二人は天高くそびえる竜巻に飲み込まれた。
『「ラムレス!!」』
調和したユリウスとジゼルの声。
それに呼応して空に閃光がほとばしり、轟音と共に竜巻に雷が落ちた。
「きゃあああぁぁ……っ!」
『うおおおおっ!』
渦巻く大気が、バチバチと白く光る帯をまといながら更に激しく天に昇る。
観客はみな息を飲み、弾ける雷電の雄叫びだけが闘技場にこだました。
「先手必勝とはこういうものだ。息はあるかなジゼル」
『さあ……どうかしら』
ユリウスが腕を下ろした、その時。
衰えを知らない竜巻が、一気に炎の渦に変化した。
「なにっ!?」
『これは……わたくしの風を利用して……!?』
ジゼルは慌てて風を収めようとしたが、激しい炎と熱風の上昇気流で風はもう制御できない。加えて、炎の竜巻の熱さに近寄る事も不可能。
やがて高くそびえる炎の頂点から、二つの影がポーンと飛び出した。
「来たぞ! ジゼル、上だ!」
ユリウスが上を見上げて身構える。
『……いいえ! ユリウス、違……!』
シュッと炎の壁を何かが通り抜けた。
「つーかまえた。ユーリ」
空を仰ぎ見たユリウスの背中に、トンッと抱き着く。
『フーッ……。相変わらず、お前は俺を痺れさせるよジゼル……』
そう耳元で囁かれたジゼルは、背後からアトラに抱かれていた。
ヒラヒラと上空から、リトのシャツとアトラのマントが舞い落ちる。
「……すごい。火猿アトラの勝ちだ……」
「ジゼル様と公爵が負けた!? 小娘が勝ったー!」
『ぎゃああああ! アトラ様、ずでぎーー!!』
「いや、なんとも見応えのある闘いだったな。彼らが公爵の配下につけば、またこの国の平和も盤石のものとなるだろう。粋な計らいだのう、シオン公爵!」
呆然としていたユリウスは長く息を吐くと、腰に絡んだままのリトの腕を掴んだ。
「悔しいが見事だった。アトラの力ももちろんだが……リトラ、お前との息のあったコンビネーショ……」
ユリウスに腕を掴まれ、リトはズルズルと笑った顔のまま地面を引きずられていく。
「……いやぁ……、からだ、ピリピリするぅ……。すごーい、いかずち……サイコー……」
『あ、しまった。リトは防御下手くそなんだった。フォローしてやるの、忘れてたな』
「ええっ!? ではモロに私たちの雷撃を食らったのか!?」
「ふ……ふふ……。やったぁ……勝っ……た……。ふ……」
アトラが慌てて自分を拾い上げた感覚はあったが、リトの世界はそのままぷっつりと暗くなった。