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リトラ×アトラ  作者: 花凛兎
淋しい人
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風の心



「次のお約束の日はまだ先ですのに……今夜来てくださるなんて」



「急にあなたのさえずりが聞きたくなりました」



「まあ、嫌な方……恥ずかしい……」


 子爵令嬢は身をよじり、計算し尽された角度で身体のラインを見せつけると、赤くもない頬を両手で隠した。


 どうやら『愛に突き動かされ、心ならずもこんな関係になってしまった箱入りの姫』を演じているつもりらしい。


 だがそんなもの、ふとした時に滲み出る慣れた仕草や、最初の訪問の時から客間ではなく本人の自室に通された事をみても、容易に嘘だとわかる。


 とは言え、今、公爵夫人に名乗りを挙げてユリウスが通うのを待つ他の令嬢たちも、みな似たようなものだ。


 経済援助か、はたまたシオン公爵家のステータスか。

 大事であろうはずの娘を、そんな目的で差し出す親の気が知れない。



 だがそれでいい。


 愛情など要らない。


 それを少しでも感じたら、その人は選べない。



 シオン公爵の妻、それは愛を持った分だけ、淋しさを約束された人なのだから。



「どうなさったの。急に黙り込んでしまわれて……」


 赤く染めた爪がユリウスの胸をなぞり、その先を催促する。


 うぶな姫君のフリも、もう限界なのだろう。



 ユリウスは込み上げるおかしさを必死で堪えて、優しく微笑んだ。


「あなたが恥ずかしがるところが可愛らしくて、見とれていました」



 実に馬鹿馬鹿しい。


 恥ずかしい時というのは、顔から耳まで真っ赤になって、大きな潤んだ瞳でまるで睨み付けるようにこちらを見るものだ。




(……ユーリが好きみたい、か)



 そんな子供じみた言葉に、あの時小さな風が起きた。



「ユリウス様……見るだけでよろしいの……?」



 目の中に映る令嬢の肌は、もはや何の色も持たずに意識を通り過ぎていく。


 代わりに瞼に浮かぶのは、あの時の事ばかり。



 あの時の風に、あいつは気付いていただろうか……。





「――あたし……ユーリが好きみたい」



「そうか」



 ユリウスは短く答え、その腕にリトを抱いたまま中庭を奥屋敷に向かって歩き始めた。


 その後ろをポーリンが続き、低木で囲まれた小道を歩く音だけが耳に届いてくる。


 

「え? そうかって、それだけ!? ちょっと……、そうかってセリフおかしくない? なんか恥ずかしくて、どうしていいかわかんないよ……」



 腕の中で、リトが蚊の鳴くような声で囁いた。



「どうもしなくていい。お前のそれは、単なる気の迷いだ」


 ユリウスは俯くリトの背中を、片手でポンと叩く。



「自分でも言ってたじゃないか。アトラ以外の男に助けられた事も怒鳴られた事もないと。だからそれが少し新鮮だったんだろう。そんなものに私がいちいち反応していてどうする」



「………」



 黙り込んだリトに構わずそのまま小道を抜けると、庭の菜園と奥屋敷が見えてきた。


 闘技場では、傾き始めた明るい夕日を受けて、トスカがいつものように一心に剣を振るっている。



「あれ……トスカ?」



 リトが顔を上げ、ようやく口を開いた。



「うん、そうだよ。トスカさんはいつもこれくらいの時間から剣の修練するんだ。きれいでしょ」



 ポーリンの言う言葉通り、剣の修練だというのにその光景は息を飲むほどに美しい。


 翻るドレスをものともせず、次々と繰り出される型と技は一部の隙も無い。それでいてどこか柔らかく、時に激しく、情感さえ感じさせるその動きはまさに剣舞の様だといつも思う。



「ポーリン。リトの傷、ジオラルの葉で応急処置してみよう。それが効かなければ、ただの毒液ではないかもしれない。その時は医師に診てもらえばいい」



「は、はい。じゃあジオラルの葉っぱ、取ってくる!」



 ポーリンが跳ねるように菜園へと葉を摘みに行き、ユリウスは傍の庇の掛かった東屋にリトを運んでベンチに座らせてやった。



「ジオラルは痛み止めや化膿止め……何にでもよく効く薬草だ。きっと楽になるだろうが、しばらくはおとなしくしていろよ」



 ポンとリトの頭に手を乗せると、思い切り頬を膨らませて横を向いてしまう。

 ここまであからさまに不機嫌を主張する人間も珍しい。



「お待たせ、リト。すぐだからじっとしててね」



 戻って来たポーリンが慣れた手つきでリトの膝の傷にジオラルの葉をあてがい、ハンカチでそれを押さえた。



「……ねえ、ポーちゃん。ポーちゃんも気の迷いだと思う?」



 リトの言葉にポーリンの手が止まり、そして困ったようにユリウスを見上げる。



「いいから、説明してやってくれポーリン。私はトスカと手合せをしてくる」



 すると驚いたような顔をしてリトもユリウスを見つめた。



「え、トスカと手合せ? 昨日のやりとりで、あんまり仲良くないのかなと思ってたのに」



「何を言ってる。トスカは私が公私共に一番信頼してる人間だ」



「そ、そうだよ、小さい頃から一緒にいて……五つも年上だけど、本当ならあの人が兄様と結婚するのが一番いいし誰もが納得するんだよ。ああ見えても、トスカさんはオニキス伯爵ってお医者様の令嬢なんだ……」



 言いにくそうに語尾が細くなり、それでもポーリンは思い切ったようにリトを見た。



「ぼくもリトのそれって気の迷いだと思うよ。確かに兄様はかっこいいけど、その……リトにはもっと普通の……」



「後は頼むぞ、ポーリン」



 そう言い残し、ユリウスは剣を抜きながら闘技場へと向かった。


 それでもまだ後ろの会話が漏れ聞こえる。



「じゃあポーちゃん、なんでトスカとユーリはそうならないの?」



「え、わかんないけど二人にその気がないし。今更そういう対象には見れないんじゃないかな。トスカさんはぼくたちのお姉さんみたいな存在だから」


 

 闘技場の階段を蹴り、ユリウスは一瞬でトスカの舞に割って入ると彼女の剣を弾いた。


 トスカは、ようこそとでも言うように歓迎の一太刀を返してくる。


 互いの動きは熟知している。



 トスカの剣舞に合わせ、ユリウスもなぜか少しだけ憂鬱になる気分を払拭するように剣を振るった。



「……え、ちょっと待ってリト、どこ行くの!? ダメだよ怪我してるのに!」



 その声に振り返ろうとした瞬間、目の前に交差する二本のダガーが滑り込んできた。

 

 高い金属音を響かせ、リトの持つダガーがユリウスとトスカ双方の剣を見事に受け止めている。



「あら、リトも混ざる? 私は二人相手でも全然構わないわよ」



「バ……バカ! トスカとやる時は私は本気だ。いきなり割り込んで来たら危な……!」


 

 リトは黙って剣をなぎ払うと、二人の間に仁王立ちになってユリウスを睨み付けた。



「気の迷いなんかじゃないから」



 トスカが「は?」と声を漏らして眉をひそめる。



「だって、今あたしヤキモチ焼いてるもん! トスカは綺麗だし、強いし、それにユーリに一番信頼されてるって聞いて……なんかくやしいし、なんか……すっごく淋しいもん! あたしの気持ち、気の迷いだなんて勝手に決め付けないでよね!」



 リトが鼻息も荒く言い放つと、ふいに後ろからトスカに抱き寄せられた。



「あはは、何よ、いつのまにそんな面白い事になってたの。心配しなくていいのよリト。私とユーリは恋仲には絶対ならないから。頑張りなさい」



「ふざけるなトスカ。……お前だってわかってるだろう」



「わからないわよ。私はあんたが通ってる女達はみんな嫌いよ。あんたこそ、いい加減につまらない損得勘定はやめたら」



 リトを挟んで、ユリウスとトスカが睨み合う。やがてユリウスは剣を納め、長いため息をついた。



「……わかった。リト、お前が知りたがっていた事がもう一つあっただろう」



「え……? あ、もしかしてユーリが不老不死だって事?」



「ああ。でも不老不死なんかじゃない。私にもちゃんと死は訪れる。だが老いる事はないだろう。……いや、老いるまで生きられない。それが巷で不老公爵と言われる所以(ゆえん)だ」



 リトが零れ落ちそうなほど大きく目を見開いて、ユリウスを見つめた。


 その肩を、トスカがキュッと引き寄せる。



「知らなかったの、リト……? シオン公爵は代々、堕聖獣を確実に消す秘術を受け継ぐの。それはいわば、自分の命と引き換えに行使される相殺術。歴代の公爵は全て、まだ若いうちにその術を使って、歳をとる前に死んでいったわ。だから歳をとらない……いいえ、歳をとれない不老公爵と呼ばれるの」



 頬を強張らせたまま、リトが真っ直ぐにユリウスに向かう。



「じゃあ……ユーリも……?」



「私は、妻を娶ってもすぐにその人に淋しい思いをさせるだろう。それどころか子供を産んでも、その子もシオン公爵としておそらく先に死ぬ。シオン公爵夫人という人は、夫も子も自分より先に逝ってしまう事が約束された、とても淋しい女性だ」



 風が、ユリウスの銀の髪を撫で、リトにまで届く。

 

 とうの昔に理解も覚悟も出来たはずなのに、風はユリウスの心に正直だ。



「だからユーリは、自分が死んでも悲しんだりしない、自分を飾り物としか思わないような女をあえて探してるのよ。それだけじゃないわ。自分もこの世に未練を残したくないから、誰かに心を許すのを避けてるの。ユーリが傍に置いてる人間が極端に少ないのはそういう訳よ」



「トスカとポーリンは仕方がない。私がここまで成長するのに必要でもあった。だがリト、お前は別だ。気の迷いでないと言うなら私の傍には置けない。どこか別の隊に移籍させる。私が術を使う日もそう遠くはないだろう。今のうちに忘れた方がいい」



 リトは自分の指先をギュッと握った。



「……あたし、ユーリが死んだらきっと、悲しくて辛くて……あたしも死んじゃう……」



「だから、お前にそんな想いをさせたくはない。お前は笑って生きていけ。どこがいい? ガセンズと同じルークの町の自警隊がいいかもしれないな」



 ユリウスは少しだけ淋しい思いを殺して微笑んだ。


 こんな風に心が揺れるのは珍しい。



「なに言ってんの。あたしはどこにも行かない。ここに、ユーリの傍にずっといる! ユーリがそんな術を使わなくて済むように、あたしがユーリを守って必ずユーリをおじいちゃんにしてあげるの!」



「なっ……!?」



「あはっ。リトならそう言うと思った! ようするにどんな敵にも負けなきゃいいのよ。その為に私たち護衛がいるんじゃない、ねー?」



「それでも使わなければならない時が必ず来る。強敵とは限らない。現に父上は、たいして力などない堕聖獣に母上と私を盾に取られ、仕方なくあの術を使った。そういう宿命……それでもこの術は存続させなければならない。それが戒律なんだ。とにかくリトは他へやる!」



 ユリウスがそう断を下すと、リトはトスカの後ろに隠れて叫んだ。



「やだったら! あたしはどこにも行かないし、ユーリの事も諦めない!」



「ちょっとユーリ。リトにはアトラが居るのよ。地方にやるなんてもったいないわ」



「兄様、ぼくもやだ! リトを追い出さないで!」



 いつの間にか傍まで来ていたポーリンも加わって、シュプレヒコールがユリウスを責め立てる。

 だが、そんなものに動じるユリウスでもない。



「明日までに荷物をまとめておけ。移籍の手続きと住むところの用意くらいはしておこう」



 冷たく背中を向けるユリウスに、リトはうーっと唸り声をあげてトスカの陰から顔を出した。



「なによわからずや! 頑固! 貧弱!!」



「ひっ……!?」



 突然のリトの暴言に、ポーリンが青くなった。


 そして言われた当の本人が、ゆっくりと振り返る。



「……貧弱?」



「だってそうじゃない! あたし、いつもアトラの腕枕で寝てるけど、肩も腕も胸もアトラの方がずーっと逞しいよ。さっき抱っこされた時すごく細いなと思ったもん。そんなんだから、どうせすぐ死ぬなんて気弱な考えしか持てないのよ!」



 トスカがたまらず笑い出し、ポーリンの顔色は青を通り越して白くなっていた。



「……その貧弱な奴に執着してるのは、どこの誰だ」



「えっと……それ、あたし……えへへ」



 照れてまた赤くなるリトと大笑いするトスカを尻目に、ユリウスは踵を返し闘技場から下りて屋敷に向かい始めた。

 

 ポーリンが半泣きでそれに追いすがる。



「兄様、待って! リトはやけくそで悪口言ってるだけだよ。怒らないで話を聞いて!」



「部屋に戻る。話を聞く気も時間もない。出かけるからな」



「お嫁さん候補のところ? バッカじゃないの! そんなユーリの事好きでもない人なんかここに連れてきたってあたしは認めないからね。絶ーっ対ここに居座って、邪魔してやるー!」



「いいからリトは黙ってて! 大体、貧弱とか頑固とか仏頂面とか、口が悪すぎるよ!」



「ちょっとポーちゃん、ユーリの悪口やめてよね! ひどいじゃない!」



「あんたたち……。いつまでやってるつもり? ユーリならとっくに消えたわよ」



 こうして、ユリウスは約束もない令嬢に会いに行く羽目になったのだった。





「――ああ……ユリウス様、憎らしい方。一体、私の他に何人の姫君がこの逞しい胸をご存知なのでしょう……?」



 不快な猫なで声で我に返り、気が付くと子爵令嬢はユリウスの胸元に擦り寄ってきていた。

 

 彼女の髪が波のように揺れるたびに、むせ返るような甘ったるい匂いが絡みついてくる。



「……貧弱だと言われた」



 その小さな呟きに、令嬢は訝しげに顔を上げた。



「なんておっしゃったの、もう一度」



「いや……なんでもない。独り言ですよ」



(そうだ、人間と聖獣を比べるな! そもそもなんであいつはアトラの腕枕で寝てるんだ? 聖獣とは言え、奴は男だぞ。はしたないにも程がある!)



 憮然としてユリウスはベッドの上に起き上がり床に足を下ろした。


 突然の中断に令嬢が目を丸くする。



「急用を思い出しました。帰ります」



「ええっ? そんな、どうして……!」



 ユリウスは手早く衣服を身につけながら、部屋の隅に据えられた衣装棚に目をやった。



「一つだけ聞いてよろしいか。もしシオン公爵夫人となり、慣例通り私との別れの時が来たなら、あなたはどうしますか」



突然の質問に戸惑いを装いながらも、令嬢はその問いに如才なく答えた。



「そんな悲しい事おっしゃらないで。でもわたくし、覚悟はできております。ユリウス様との思い出を偲びながら、公爵家の重き任と誇りを受け継ぎ、次の公爵になるであろう我が子にも、その宿命と戒律を説き……」



「すばらしい。実際、あなたが一番理想に近い方でした。美しく賢く、そして……したたか。あなたなら私が死んだ後も容易に次の幸せを求めてくれる。ですが、そんな完璧さが少々鼻につくようになってしまいました」



 令嬢の顔が徐々に強張ってくる。


 それがとても滑稽で、ユリウスは更に彼女を追い込んでみたくなった。



「急に訪ねておきながら、こんな失礼を許してください。どうか続きは、予定通りそこの衣装棚の中で息を殺している方とどうぞ」



令嬢が声にならない悲鳴を上げる。


同時に、衣装棚からはみ出していた青いローブの裾がシュッと中に吸い込まれた。



「実に残念ですよ。あなたの恋人達はきっと私が死ぬまで待っていてくれたでしょうね。私もあなたなら、心痛む事なく責務をまっとうできたはずです。でもまあ、お互いそれなりに楽しんだ訳ですから良しとしましょう。ああ、次回のお約束はキャンセルしてください。……永遠にね」



真っ青になって言葉を忘れた令嬢を残し、ユリウスは嘘とまやかしの宴を後にした。






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