いきなり迷子!?
「ちょっと……闘技場ってどこよ…!」
広い。広すぎる。
もうどれくらい、この広い屋敷の敷地をグルグルと歩き回っているのか。
受付をした時にもらった案内書によれば、会場の闘技場は確かにこのシオン公爵家の敷地内に位置している。
ちゃんと地図通り進んできたはずなのに、行けども行けども森が続き、闘技場らしき建物どころか人っ子ひとり見当たらない。
『諦めて帰ろうぜリト。どうせもう間に合わない……』
リトの頭の中でいつもの声が響いた。
「うるさいわね! だいたい、アトラがその気になってくれないからいけないのよ。しかも都見物に夢中になって、受付も最後になっちゃったし、方向感覚には自信あるとか言っといて迷ってるし」
『おい……! それは全部お前がしたことだろう』
「ああもう、細かい事はどうでもいいわよ! うわぁん! 闘技場ってどこー? 間に合わないよー」
赤毛に近いはちみつ色の長い髪をかきむしり、リトはたった一人、森の中でしゃがみ込んでしまった。
相棒のアトラはまだリトの中から姿を現さない。
「アトラ、あんたそれでもあたしの聖護獣なの? あたしがこんなに困ってるのに、なんか笑ってない?」
『笑っちゃいないが、そもそも俺はリトが自警隊になるなんて反対なんだ。このまま採用試験に間に合わなきゃいいとは思ってる』
「なんでよ。あんたとあたしのコンビは、村じゃ負け知らずで通ってたのよ? この才能を、不穏分子も多いこの国の為に生かさなきゃバチがあたるってもんよ」
『お前は女の子だぞ!』
「それが何なの。この国の自警隊は男女問わずでしょっ。とにかく闘技場を探すのよ!」
森の中、ひとりでツバを飛ばしまくるリト。
だが、こんな光景もこの国では珍しくない。
このシオン公国には、聖護獣と呼ばれる聖霊を身体に宿し、共存する者が多く存在していた。
聖護獣はそれぞれ特定の人間の前に導かれ、同意を得てその人間に宿る。そして、その能力に基づき様々な恩恵を宿り主に与えるのだ。
リトも、そんな聖護獣を宿す人間の一人――。
「………闘技場?」
さわわ……と風に乗って聞こえてきた声に、リトは振り返った。
大きなブナの木の陰から、一人の若者がこちらを見ている。
サラリとした薄いブルーグレーのローブをまとい、襟足から長めに伸びている髪は銀色。
自警隊を束ねるシオン公爵の敷地内には居ても、どう見ても武官と言うより上品な文官の類だ。
「よかった、人がいた! すみません、闘技場はどっちですか? あたし、今日の自警隊採用試験を受けるんです」
「試験を? 君が?」
若者はじっとリトを見つめていたかと思うと、ふと柔らかく微笑んだ。
「闘技場は、ここからずっと西にある丘の上だよ。こんな森を抜けるより、表通りから行った方が早いと思うけど」
「うそっ! だってほら、これによると公爵家の敷地内に……」
リトは思わず立ち上がって、若者に地図を突き付けた。
「だから、そこも公爵家の敷地なんだよ」
「はあっ? なにその広さ。この地図、縮尺おかしくない!?」
「はは。それはすまなかった。ここの闘技場はわりと有名なんでね。アバウトな描き方になったのかもしれない。それより君、順番は何番? もうだいぶ試験は進んでると思うが……」
「二十五番……最後なの。どうしよう、もし間に合わなかったら……」
今にも泣きそうなリトの肩に手を置き、若者はしばらく目を閉じた。
「……大丈夫。今、私の聖護獣に伝言を頼んだよ。進行係に、最後の受験者が来るまで待っているように伝えてくれと」
「あなたの聖護獣は闘技場にいるの?」
「ああ、仕事があってね。私だけ他に用事ができて、先に帰ってきたんだ」
よく見ると、若者の背中からは細い糸のような気の流れが出ている。これが彼の聖護獣と繋がっているのだろう。
「さ、早くお行き。あまり試験官を待たせてもいけないよ」
若者がリトの背中をそっと押した。
「うん、ありがとう。あなたも公爵家にいるんでしょ? 試験が終わったらお礼にくるわね。お名前は?」
「いいよ、そんなの。……私はユーリだよ」
けれどリトはもう駆け出していた。
「ユーリ! あたしが合格したら同僚ね。そうなるように、祈ってて。ま、あたしが負ける訳ないけどねー!」
ユーリに向かって大きく手を振ると、彼も笑いながら手を振り返してくれた。
屋敷の森を抜け、西に向かって走る。
動きやすいブーツとショートパンツ。ビキニの上にシャツを一枚羽織っただけ。
これがいつもの戦闘服なので、準備運動とばかりにリトは全速力で走った。
「いい人に会えてよかったね、アトラ。親切で物腰も柔らかくて、やっぱ都の人は村の男どもとは違うなー」
『ふん……あやつ、余計な事を』
不服そうなアトラに構わずリトは前方を指差し、声を上げた。
「あっ、見えた。あの丘の上の建物だ。やっぱりかなり距離があるじゃない……。アトラ、お願い!」
『……チッ』
またたく間にリトは熱い気の塊に捉えられ、丘の上にそびえ立つ闘技場まで一気に飛ぶ。
その様子を、町の一角にある窓から、一人の人間が食い入るように見つめていた。