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息苦しい沈黙が流れて、僕と葛葉さんは向かい合ってにらみ合った。葛葉さんがなんて返事をしてくれるのか、全く解らなかった。
いつもはこう言う空気をぬぐい去って行く篠田も、物事をどんどん進めていってしまう花園さんも、何も言わなかった。
葛葉さんは月明かりの中で一瞬悲しげな顔をすると、次の瞬間にはまたあの妖艶な笑みに戻っていた。
「そうだよ。君の言う通り、私は犬。正確に言えば犬神ね。そしてこの神社を乗っ取りもしたけれど。……君はやっぱり若いね」
葛葉さんの最後の一言が引っ掛かった。けど、わざと気にしない様にして言い返す。
「返してくれよ! この神社を!」
「騒がないの。どうして天野さんが君の記憶だけ残したのか、そして、これがどれだけお互いを苦しめているのか、解らないの?」
胸の中に押さえきれない熱の塊があった。吐き出してしまえば、それはアメノヒを思う言葉になり、ホクトを呼ぶ声になると思った。。
「解るさ! アメノヒが苦しむのは許せない。でもっ、僕がアメノヒを思って苦しみ続けるなら、それは大歓迎だ。お前の知ったこっちゃない!」
「自分本位な考え方ね。私にもここを渡せない理由があるの」
「知らないよ、そんなのっ」
息を荒くしている僕を、葛葉さんは静かに見下ろした。
「犬神の私を怒らせると怖いわよ」
「どんな風にさ」
「こんな風に」
にょき、と頭から黒い耳を出し、お尻から黒い尻尾を出し、薄い瞼を閉じた。その瞬間だけ、葛葉さんは生きている人間じゃ無くて、どこかの家の窓辺に置かれた人形の様に思えた。
葛葉さんの体はさっき現れたときの逆回しみたいに細かい塵になっていくと、夜のそよかぜに煽られてぱらぱらと流れて行ってしまった。
「おいっ! どこ行くんだよ!」
「ここ、ここ」
背中から花園さんの声がした。思わず振り返る。
そこには、頭に黒い狐の、いや、犬の耳をつけた花園さんが立って、今まで観た事も無いような色っぽい笑みを浮かべていた。
「あなた、この子に手は出せないでしょ?」
「おい! 恭香!」
篠田が花園さんの格好をした葛葉さんの肩をつかんで揺らした。と、花園さんは顔を歪め、信じられないくらい醜悪な顔をして、片腕を一閃した。
「やかましい!」
「うっ!」
篠田の体は小石の様にはねとばされ、土の上をゴロゴロと転がった。
「篠田!」
「どう、手を出せないでしょう?」
得意げに言い放つ花園さん。起き上がった篠田が唇を噛んで悔しそうな顔で葛葉さんを睨みつけている。
花園さんの体が、葛葉さんに乗っ取られている。




