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「といってもなあ」
校門を出て、今朝の四つ角まで歩いてきて、僕はそう呟いた。
だって、手掛かりが何もないのだ。制服を着ていたなら学校を調べられるし、そもそも普通の人なら、事故の後あんなに素早く現場をあとにしたりは出来ないだろう。
行き交う車の流れを見ながら、僕は今朝の事を思い出していた。
迫り来る自動車。脳を揺さぶるクラクションの音。そして、ひしゃげた車のボンネット。
彼女の微笑みを、ちらり、と思い出す。
全てが数秒のうちに起きたなんて、どうしても信じられなかった。
彼女がいなければ、僕はこうして今日の今頃、ここに立つ事もなかったのだろう。そう考えてみても、助かった今となっては、その想像は靄かなんかの様に掴み所が無く、形がはっきりしないものだった。
でも、ビルに開いた大穴は今朝のままだし、その近くにはテープが貼られて、近づけない様になっている。
「ああ……」
車道の信号が黄色に変わる。車の流れが速度を落とし、そして、止まった。
「ん…………?」
あれ? 何か、向こう側の歩道に変な女の人がいる。いや、風貌が変なわけじゃない。むしろ綺麗な人。灰色のパーカーの裾にはオリーブ色のプリーツスカートが覗いている。落ち着いた色合いの服装に、黒い髪をポニーテールにしているのも相まって、鋭い感じの美人だ。目元が涼しい。
いや、涼しい、と言うよりもさ、あれは睨みつけてる、と言った方が正しいかも。横断歩道の向こうから、めちゃくちゃ睨んで来てる。なにこれ、怖い。
僕は身の危険を感じて、とりあえずこの横断歩道を渡るのは諦めた。四つ角から離れて、通りに沿って一つとなりの横断歩道へと向かう。そうだよね。怪しい人がいるならば、出来るだけ避けなきゃ。
が、あろうことか、彼女は通りの反対側を僕を追う様に歩き出したのだ。僕が足を早めれば彼女も歩調を早め、僕が立ち止まると彼女も足を止める。横断歩道の信号は青なのに、渡らず車道の向こう側を歩き続けるのも、どこか不気味だ。
話し掛けて、「止めてくれ」と言うのも怖いしなあ。これはあれです。ストーカーですよ。
って言うか、僕、そんな熱烈な愛は受け止められない。今朝の彼女は自分から去ってしまった。幼さと慈愛の入り交じった笑顔を思い出すたび、今日の僕の胸は何度も締め付けられる。
だから、ごめん! 君の愛は受け取れない!
と、ブラックヘアー・ザ・ストーカーに伝えられたらなあ、と思いながら、僕はゆるゆると歩道を歩き続けた。彼女が僕についてくる限り、僕もみすみす家に変える事は出来ない。隙を見て逃げ出すしかないか。
通りは駅前のバスロータリーへと繋がっている。駅前にはごみごみとした横町が有るし、そこに逃げ込んでしまえばこっちのものだろう。相手がどれ位ここら辺の地理に詳しいか知らないけど、僕は生まれてこのかたこの町に住み、産湯を近くの公園の池で浸かったんだぞ! いや、産湯は嘘だけど。雑菌とかで病気になっちゃう。
駅前に近付くに連れ、だんだんと人の通りが増えてきた。飲み屋の並ぶ薄暗い横町の入り口が、通りへぱかり、と開いている。
今だっ!
僕は素早く横町へと飛び込み、店の軒先をすり抜けながら、奥へ奥へと走り込んだ。幸運な事に人が少なく、僕はするりするりと横町の中を走る事が出来た。
「はあッ……、はあ……」
そんなに体力有るわけでもないからな……。だんだん息が切れてきた。
もう大丈夫だろう、と思い、後ろを向く。
そこには、真っ黒で大きな瞳が……。
「何で逃げるのよ」
「ぎゃあああああああ」
真後ろにいたし! 全然撒けてなかったし! 全く足音なんか聴こえなかったのに!




