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第七話

 商店街を抜けた先、港へと続く川沿いにその公園はある。

 そこは砂漠へたたずむオアシスのように、周囲の無機質な空間からは隔絶(かくぜつ)した場所だ。


 小さな子供向けに置かれたたくさんの遊具があり、多くのベンチと成長した立派な広葉樹が大人たちには休息の木陰(こかげ)を提供してくれる。

 風景に溶けこんで久しい大木の数々と、その間をぬうように敷かれた散策(さんさく)用の小道が公園の南北を貫いていた。

 その小道を一組の少年少女が、主に少女の方がはしゃぎながら歩いている。


「すごい! 木だよ。樹木だよ。おっきいよ!」

「木ぐらいでそんな大げさな。昨日の公園だって木くらい……、あぁ、あれは木と呼べるほどのもんじゃないか」


 あまりに感激する日月(ひづき)に答えようとして、優樹は昨日の公園を思い出した。


「すごいね。これ、触っても大丈夫なのかな?」


 相変わらず優樹にはよくわからないことを日月(ひづき)は聞いてくる。


「あ? 別に触れないでくださいなんて書いてないし、良いんじゃないのか?」

「炎症とか起こさないかな?」


 自分の手と木の表皮(ひょうひ)を交互に見ながら、誰にともなく不安そうにつぶやく。


「普通の木だし、大丈夫だろ?」


 日月の心配など少しも理解ができない優樹は、あっけらかんとして答えた。

 同時に自分の手で木に触れて、安全であることを証明してみせる。


 日月はそれを見て少し緊張をゆるめ、だがしかし恐る恐るゆっくりと手を伸ばす。

 一枚の葉もまとわず、命の気配があまり感じられない薄茶色の幹をそっと触ったかと思うとすぐに手を引っこめる。

 そんなことを何度かくりかえし、両手で樹木に触れることができるようになった頃、ようやく日月の表情から不安の色が消えていた。


「これが本物……。なんだかゴツゴツしてるね」


 やがて大事な宝物へ触れるように、やさしく樹幹をなではじめる。


「でも、温かいね……」


 温かい?

 風変わりな感想をぶつけられた優樹は疑問に思った。

 だが嬉しそうに見上げる日月を見てそれを口にすることもできず、頭をかいて視線をそらす。


 しばらくの間公園の木々を物珍しそうに見て回る日月だったが、ようやくひとごこちついたのか、公園の外へとその興味を向けはじめた。


「勇気、勇気」

「今度は何だ?」

「あの川って、海に続いてるのかな?」


 公園のすぐ横を流れる川を指さして、日月が問いかける。


「……ああ」


 確かに海へ続いている。

 だが歩いて海まで行ったところで何があるわけでも無い。

 優樹にとっては見飽きた光景が広がっているだけだ。


「海、行きたいな!」

「いってらっしゃい」


 日月の提案に対して即座に切り返す。

 優樹のそっけない返答に日月は頬を(ふく)らませる。

 その様子を見た優樹は、心の中だけでそっと『不満爆発間近のぷちフグ娘』と表題をつけておいた。


「連れてってくれないの?」

「夏でもあるまいし、この時期に海へ行く理由が俺にはない」

「いいじゃない、せっかくだから海見たいの!」

「いいか。海まではこの川にそって下ればたどりつく。いくら方向音痴な人間でも迷うことはない。距離もたいしたことはない。歩きでも十五分あればつく。そしてお前には自分で歩く足がある。極めつけに俺には海へ行く理由がない」


 立て続けに理由を指折り数えて優樹が力説する。

 そんな優樹を最初は恨めしそうに(にら)んでいた日月だが、やがて膨らませた頬がみるみる縮んでいく。

 先ほどまでの元気はどこへいったのか、意気消沈した様子で声をしぼりだした。


「だって……」

「だって、なんだ?」

「……怖いんだもん」


 日月の意外な言葉を聞いて、優樹は戸惑った。

 海が怖い?

 過去に(おぼ)れかけた経験でもあるのだろうか?

 いや、それだったらわざわざ海を見に行きたいなんて言い出さないだろう。


 ひとつ確かなこと。

 それは目の前の少女が本当に不安そうな面持ちで、優樹の表情をちらちらとうかがっていることだ。


 そしてもうひとつわかったことがある。

 優樹はこれまで女の子というものに近寄りたいとは思っていなかった。

 それは確かだ。口ではかなわないし、ことあるごとに集団でギャアギャアと騒ぎ立ててくる。

 大人ぶってこちらをいつも子供扱いするのも気にくわない。


 だが目の前の少女はどうだろう。

 確かに小うるさくて生意気で、おまけに電波発信機満載ではあるが、どことなく放っておけないところがある。

 なんだか行き場のない捨て猫を目の前にして試されているような気がしてきた。


「しゃあねえな。一緒について行ってやるよ」

「ほんと?」


 先ほどまでの落ちこみっぷりはどこ吹く風。


「行こう行こう! 早く行こう! すぐ行こう!」


 とたんに目を輝かせた日月は優樹の腕を取り、いそいそと川沿いの道へ歩き出す。


「なんだこれ?」


 あまりに見事な少女の豹変(ひょうへん)に、自分の判断は失敗だったんじゃないだろうかと思い始めた優樹だった。






 優樹の住んでいる町は面積の七割以上が山と森に囲まれている。

 そのため平地部分は海と山で挟まれた東西へ広がる細長い土地に限られる。

 結果的に山のふもとから海までの距離は短くなり、町の商店街から海まで歩いてもせいぜい十五分ほどである。


 それだけの距離にもかかわらず、優樹が海へ行くのに乗り気でなかったのは『海へ行っても何もない』からであった。

 一応の砂浜はあるものの、もともと海水浴場があるわけでもなく観光客が訪れるほどの絶景でもない。

 季節が来れば週末に潮干狩りをする家族でにぎわうこともあるが、この時期はまだ水も冷たく、わざわざ海へ遊びに来る物好きもそうそういないだろう。

 ここに居るふたりを除いては。


「海だ。本物だ……」


 宝物を見るような目で海を見つめていた日月が思わずつぶやく。

 川沿いに歩いてくる途中から、少しずつ見えてくる海の広さに言葉少なくなっていた日月が堤防までやってきた時に初めて発した言葉だった。

 優樹が止めるのも聞かずに堤防から砂浜へ駆け下りると、打ち寄せる波を前に振り返ってこう問いかける。


「ねぇねぇ。海の水って触っても平気なんでしょ?」

「何言ってんだ? あたりまえだろ」


 べたつくからあんまりおすすめはしないけどな。

 と余計なことを言わないのはあまりに楽しそうな日月に水を差したくないからだ。

 優樹にもそれくらいの心配りはできる。


「一緒に来てくれないの?」

「冷たいからやだ」

「…………じゃあ、そこにいてよ? 黙ってどっか行っちゃやだよ?」

「はいはい。わかった、わかった」


 優樹の気のない返事に不満そうな表情を隠そうともしない日月だったが、それよりも海への興味が上回ったのだろう。

 気を取り直すと、おそるおそる波に近づき、その細い手を差し出して母なる水に触れる。


「きゃっ! 冷たーい!」


 楽しそうに声をあげて笑う。

 かと思えば、手についた海の水をなめると一転してしかめっ面になり。


「うぅ、すごくしょっぱい」


 とまるで子供のようなことを言いはじめる。

 そんな日月の様子を堤防へ腰かけたまま見守っていた優樹は、周りに誰も居ないことを確かめた上で、あえて声に出してぼやいた。


「まったく。何やってんだろな? 俺は……」


 堤防の上で仰向けに寝転がり、空を見上げる。

 心を洗い流す波の音。潮の香りを運んでくる風。体の(しん)を温めてくれる心地よい日差し。

 少しだけ肌寒いのが残念だったが、それも日が当たっていればたいして気にならない。


 こんな時間もたまにはいいかもな。

 そう思い、優樹は流れて行く雲をただぼんやりと見つめ続ける。


「えへへ。ただいま」


 波との追いかけっこを堪能(たんのう)した日月が戻ってくるまでには、短くない時間が流れていた。


「ちゃんと待っててくれたんだね」

「そりゃ……、まあな。ここまで付き合っといて放って帰るのもどうかと思うし……」


 そう答える優樹に、日月は顔をほころばせる。


「さすがはボクが見こんだだけのことはあるね!」


 そう言って両手を腰にあてると、自慢げに胸を張って何度もうなずく。


「なんでお前がそんな得意げなんだよ」

「いいから、いいから」


 優樹の不満を軽くいなした日月は、優樹と頭をつきあわせるように寝転がった。

 頭のてっぺんに互いの息づかいを感じながら、同じように空を見上げる。


 どこまでも真っ青に続く空の中を、ゆっくりと雲が流れていく。

 冬の終わりとともに、すべてのものが色鮮やかに輝きはじめるように思えた。

 青空ですらもその色を濃くし、鮮烈な光を放っているように感じられる。


「空。青いね」

「ああ」

「雲。ふわふわだね」

「ああ」

「風。気持ちいいね」

「ああ」


 見慣れた光景。

 だがここのところは優樹もゆっくりと空を見上げることがなくなった。

 こうやって青い空を眺めていると、とげついていた心がほんのりと温められるような感覚がする。


「いいなあ……」


 優樹に向けて言ったわけではないだろう。

 ひとりごとのように小さな声で日月がつぶやく。


 少女の短い言葉に隠された感情が優樹の心をゆさぶる。

 それがなんなのかは優樹自身にもわからない。

 ただ、少年の心にやるせない気持ちが泡のようにそっと現れて彼をまごつかせた。


「ふんっ、お前の住んでたところには海も空もないのか?」


 だから理由のわからない違和感を取りはらおうとして、つい少女へ向けてよけいな一言をぶつけてしまう。


「あるよ……、でも……」


 しばらく沈黙したのち、日月は弱々しい声で答えて起き上がる。

 そして堤防に腰かけると海の方角に顔を向けた。


 かしましく騒いでいた少女が一転して見せたその様子に、茶化すこともできず優樹は無言で言葉を待つ。

 だが続くはずの言葉がなかなかやってこないのを感じると、同じように起き上がり、腰かけてそっと彼女の横顔をのぞいた。


 日月の視線は遠い空の向こうに向けられている。

 何を見るでもなく、ただ遠いかなたへ。

 優樹はその姿を見て息をのみ、そして困惑した。

 なぜか少女が泣いているような気がしたからだ。


「海の水を手にしたり、風に吹かれたりなんて……、まともな人なら絶対しない」


 そう、これは電波話だ。

 優樹は自分に言い聞かせる。


 暇をもてあました少女が自分をからかって遊んでいるだけの作り話だ。

 自分はその遊び相手に選ばれただけ。そのうち少女も飽きてくるに違いない、と。

 だがどうしてだろう。彼女の瞳がこんなにも悲しそうに見えるのは。


「ボクたちの生きてる時代ではね。海も空も人には……、優しくないから」


 優樹の戸惑いをよそに、感情を抑えた少女の言葉が海から吹いてくる風にのって流れていった。


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