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第六話

 翌日の優樹はこれまた不本意だった。


 学年末の試験も既に終わり、明日から春休みという週末の金曜日。

 学年の変わり目でもあるため長い休みにつきものの課題も――部活の課題を除けば――ない。

 本来なら足取りも軽く家路につくはずだった。


 だが校門をぬけ、そこで自分に向かって大声で呼びかけてくる少女を目にした瞬間、優樹はそれが(はかな)い願望であったことを思い知る。


 優樹としてはそれからのことをあまり思い出したくはなかった。

 というより混乱していてあまり記憶が定かではない。


 予想通りに周りから向けられる好奇の視線。

 聞き慣れた声で発せられるひやかしの言葉。

 周囲の状況などおかまいなしに屈託のない笑顔で手を振る少女の姿。


 混乱の極みにおちいった優樹が落ち着きを取りもどしたのは、そこから一目散(いちもくさん)に逃げ去った後、その少女と肩をならべて商店街を歩きはじめてからだった。


 明日からの春休みでしばらくは学校に行かないですむのが不幸中の幸いといえる。

 いや、よく考えてみれば、明日から春休みなのだ。

 たとえ少女に毎日学校の前で待ち伏せされたとしても、今日さえしのげばそれで良かったんじゃないか。

 その事実に気がついた優樹だったが、もはや今さらの話だった。



「んー? なにこれ? 楽しそう!」

「へぇ、お店ごとに売ってるものが違うんだね」

「あ、あれ街灯っていうんでしょ? 夜になると発光するんだよね?」


 商店街に着くなり妙にはしゃぎ出す少女。

 優樹にとっては見慣れた看板や店頭の販売促進用ポップに目を輝かせて、右へ左へふらふらと歩き回りはじめた。

 パン屋、ケーキ屋、肉屋に八百屋。

 目につくお店へ片っ端から首を突っこんでは嬉しそうに騒ぐかと思えば、優樹の服を引っぱって街灯を指さし、今にも飛びあがらんばかりに声をはずませている。


 最初に出会った時、そして昨日公園で話をした時には優樹と同年代といった印象を受けたが、今日の少女はまるで別人のように見えた。

 学校ではおとなしい女の子が、祭りの雰囲気に浮かれて気分が高揚(こうよう)している。そんな感じだ。


「おい」


 最初はあっけにとられていた優樹も、さすがに人目が気になりはじめていた。


「すごいすごい! 実物見るの初め――」

「こら!」


 肩に手をかけて少女を捕まえる優樹。


「ん? 呼んだ?」

「とりあえず言いたいことは山のようにあるが、まずは弁解を聞こう」


 ようやく得た主導権を手放さないためにも、優樹は口早に告げる。


「弁解? なんで?」

「来月から俺の居場所が微妙に……、主に精神的に息苦しくなるというか、めまいがするほど重くなるこの心労に対する謝罪と弁解を要求する」


 せいいっぱい重々しく話を切り出した優樹であったが、目を輝かせるばかりの少女には全く伝わっていないようだった。


「あ、あそこ行ってみたい! ね、ね、行こうよ!」

「お前は人と会話ができない子か!?」


 優樹の容赦(ようしゃ)ないつっこみに、少女は頬をふくらませて抗議(こうぎ)する。


「むー。あんまり人のことをお前呼ばわりするのは感心しないよ。ボクにだってちゃんとした名前があるんだからね」


 むくれっ面の少女の顔は、やはり昨日までの印象よりも幼さを感じさせた。


「じゃあ、名前を教えろよ」

「人に名前をたずねる時は、まず自分から名乗るのが礼儀じゃないのかな?」

「どうして今の流れで俺から名のらなきゃいけないんだよ? おかしいだろ」


 異を唱える優樹に、少女は立てた人さし指を前後に振りながら(さと)すように付け加える。


「そ・れ・に。女の子の方から先に名のらせるなんて、男としてどうかと思うよ?」

「……ったく、これだから女は」

「ん? 何か言った?」


 これだから女は面倒くさい。

 そう言いかけた優樹だったが、このままではいつまでたってもらちがあかないと判断し、さっさと会話を進めることを優先した。


「……長谷川。長谷川優樹(はせがわゆうき)

「勇気? それが君の名前?」

「ああ」

「へぇ。とっても良い名前ね!」


 名前をほめられて悪い気はしない。優樹が返す言葉にも多少の照れがこもってしまう。


「そ、そうか?」

「うん。名付けた人が込めた、思いの強さが伝わってくる名前だよ」


 名前をほめられたことはこれまでにもあった。

 だが幼い頃ならいざしらず、中学生ともなればそれが大人特有のお世辞(せじ)で言っているのか、それとも本心なのかくらいはなんとなくわかる。


 だからこそ、彼女のストレートな物言いは優樹にも初めての経験だった。

 屈託(くったく)なく笑顔で名前をほめてくれる少女を目の前にして、優樹は嬉しくもあり気恥ずかしくも感じた。


「……」


 とっさに言葉が出てこなかったのは、そんな優樹の動揺が表れた結果である。

 間をおいて、気を取り直した優樹が少女にあらためて問う。


「今度はお前の番だぞ」

「あ、そうか。えーとね。ボクの名前はヒヅキっていうの」


 嬉しそうに少女が答える。


「みずき?」

「ヒヅキ」

「いつき?」

「ちがうちがう。ヒ・ヅ・キ」


 少女の名を聞いた優樹だが、いまいちピンと来ないようだった。

 そんな響きの名前に心当たりのない優樹は、ひまわりのように笑顔を浮かべたままの少女へたずねる。


「ずいぶん変わった名前だな? どういう漢字を書くんだ?」

「えっ? か、漢字……?」

「そう、漢字」


 漢字、と聞いた途端に少女の笑顔が固まった。

 目が微妙に泳ぎ、手が落ち着かない様子でふらふらと揺れている。

 タイトルをつけるなら『あたふたする電波女』だな、と優樹は思った。


「…………」

「…………」

「えーと……、ちょ、ちょっと待ってて!」


 沈黙に耐えきれなくなった少女は、そう言いながら目に入った商店街の書店へと走って行く。

 店に入るなり少女は首を忙しく振り回しながら右往左往し、あちらこちらへと視線を泳がせている。

 さすがに挙動不審(きょどうふしん)に映ったのだろう。店員に声をかけられていた。


「おいおい」


 店の外からそれを見ていた優樹は思わず眉をしかめてしまう。

 店員に声をかけられた少女は、これ幸いとばかりに大げさな身振り手振りを加えて何かを伝えているらしい。

 ようやく店員からの疑惑を払拭(ふっしょく)することに成功した少女は、嬉しそうにとあるコーナーへ向かう。

 少女が向かった先にあるのは――。


 漢字辞典の棚だった。


「まてまて」


 さすがに優樹もあっけにとられる。

 少女は漢字辞典を手に取ると、必死にページをめくり続ける。

 引き方がわからないのだろう。妙に時間がかかっていた。

 

 あっけにとられた優樹の耳に、商店街の喧騒が背景音楽のように流れてくる。

 鮮魚店の威勢が良いかけ声や、ときおり通りすぎる車のエンジン音がどこか遠い世界からの音に感じられた。

 となりの電器店では、ディスプレイされたテレビ画面から近頃世間を騒がせている通り魔事件のニュースが流れている。

 頭上では電線にとまったカラスが気のぬけた声で鳴き、おもちゃのバットを手にした子供が全力で優樹の横を駆けぬけていった。


 考えてみればずいぶんマヌケな時間だったと優樹はあとから思い返したのだが、この時はあっけにとられるあまり、そのことに気がつかなかったのだ。

 優樹が見守る中、ずいぶんと苦戦した様子の少女は漢字辞典を開いたままレジへと向かう。

 そしてあろうことか、(おが)み倒して紙とボールペンを店員から借り受けると、何やらその場で紙に書きはじめた。


「こらこら」


 さすがに電波の女はやることが違う。もしかしたら今のうちに逃げた方が良いんじゃないかという考えが優樹の頭によぎったころ、満面の笑みを引き連れて電波少女が戻ってきた。


「お待たせ! ほら! これがボクの名前だよ!」


 『勝訴』という題名がつきそうな勢いで、名前が書いてある紙を少女が優樹に突きつける。

 そこには『日月(ひづき)』と簡単な漢字が二文字、幼稚園児が初めて書いたような下手くそな文字で記されていた。

 もっとも日月(ひづき)の努力もむなしく、優樹にとって正直そんなことは既に些事(さじ)と化している。


 優樹は手のひらを額にあてて眉間にシワをよせる。

 そしてため息をついた後、笑顔の少女に向けて思いの(たけ)をぶつけた。


「いや、もう、どっから突っこんだら良いのかわからねえ!」

「んー?」

「お前、店の中で辞書引いてただろ!」

「うん」

「どこの世界に自分の名前を辞書で調べるやつがいるんだよ!?」

「ここにいるよ?」

「ってか、名前の書き方も知らねえって、百パーセント偽名(ぎめい)じゃねえかよ!」

「むー、それは聞き捨てならないよ。偽名なんかじゃないって」


 そう反論して日月はまたも頬をふくらませる。


「だったら調べたりせずに自分の名前くらいその場ですぐに書いてみせろよ!」

「だって漢字なんてほとんど使ったことないんだもん。基礎習得項目にも入ってなかったし」


 また電波か?

 優樹は頭を抱えたくなった。


「どこの外国の人だ! お前は!」

「文句が多いよ? そしてうるさいよ。勇気」


 かたや日月はどうでも良いとばかりに()()ない言葉を返す。

 優樹は大きくため息をつくと、絞り出すように自らの心情を吐露(とろ)した。


「もう……、疲れた」

「ほら。まだまだ行きたいところはたくさんあるんだから。時間はあんまりないんだし、早く行こうよ、勇気!」

「おい! 引っぱるなって! ちょっと! なあ、聞いてるか!?」


 日月は強引に優樹の手を引っぱると、楽しそうに走りだす。

 振り回されるばかりの優樹は、日月が自分のことをいつのまにか名前で呼ぶようになったことにすら気づいていなかった。


 四方八方を獲物の群れに囲まれてよりどりみどり、喜びのあまり無計画に突進する肉食獣の子供。

 そんな表現がぴったりの日月に優樹はただ連れ回されるがままである。

 やがて商店街をぬけ、次なる獲物に目を輝かせた日月は、あわれな犠牲者の手をまたもや引っぱって走り始めた。


「勇気、勇気。ボクあそこ行ってみたい」

「無理やり引っぱっといて、行ってみたいもクソもねえ!」


 わめく優樹の体は、思いのほか力強い手になされるがまま、ただ引きずられていくだけだった。


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