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第五話

 小さな漁港と小さな工場群、そして小さな商店街。

 それが優樹(ゆうき)の住む町のすべてだった。


 電車で二十分ほどの距離に大きな都市があるため、ベッドタウンとして発展してきたこの町には、少なくとも優樹(ゆうき)の目からみれば特筆すべきものが何もない。

 大人たちの言う、『海と山に囲まれた自然豊かな土地』に価値を見いだすほど優樹は年老いていない。


 どうせなら都市部に住みたかった。

 そうすればわざわざ満員電車にゆられて会社まで通勤する父親の苦労も減るし、買い物だって便利だ。遊び場だって街中(まちなか)にはあふれている。


 優樹の年頃なら誰しもがそう考えるだろう。

 両親が自分たちの収入やら税金の優遇(ゆうぐう)やらと格闘しながらようやくの思いで手に入れたマイホーム。

 だがそれも、中学生の優樹に言わせればわざわざこんなへんぴなところに建てなくてもいいのに、ということになる。


「おかげでこんな苦労をする」


 優樹はため息をつくと、目の前に続く坂道を見てつぶやいた。

 海と山に囲まれた自然豊かな――といえば聞こえが良いが、その実態は海と山に挟まれた細長くせまい土地である。


 町を横断する幹線道路沿いに商業施設が建ち並び、近年になって広がり続ける埋め立て地には工業施設が集まっている。

 利便性のいい場所は住宅地として高値がつくため、学校のように公共の施設は自然と不便な土地へ追いやられていく。

 優樹の通う中学校も例外ではない。


「どこのバカだよ。こんな坂の上に学校建てたのは」


 住宅地として造成(ぞうせい)が困難な山肌に建てられたそれこそが、優樹の通う中学校だった。

 その立地とたどり着くまでの険しい道のりから、地元では『山寺』と呼ばれている。

 山寺なんてものはまだ良い方で、ひどいのになると『地獄坂中学校』、『隔離施設』といった不名誉な名称すら他校では広まっているらしい。


 学校へ行くには、おおよそ二百メートルはあろうかという急な坂をのぼらなくてはならない。

 入学式の日、延々と続くのぼり坂に呆然とした新入生は、なにも優樹ひとりではないだろう。


 とはいえ二年間ものあいだ毎日通いなれた道だ。

 毎朝の通学も今ではそれほどつらく感じることはない。


 ただし、一日一度だけなら。


「こんな坂、一日に二回ものぼらせんなよ……」


 坂の先に見える校門を見てうんざりしながら誰にともなくぼやく。

 そう、今はもう夕暮れ時。優樹にとっては本日二度目の登校だった。


 いつも通り部活を終えて帰宅した優樹は、自室のベッドに腰をかけたタイミングで本日提出期限の課題があったことを思い出した。

 結局その課題のせいで、不本意ながらも一日二度も登校するという苦行を味わうことになったのだ。

 課題の提出をすっかり忘れていたのは優樹の方なので、つまるところ一般論で言えばただの自業自得である。

 様々に悪態をつきながら坂をのぼり、課題提出の後に顧問教師からの説教をちょうだいした優樹が帰途についた頃には、空も赤く染まりきっていた。


 思えば朝から優樹はついていなかった。

朝起きれば目覚まし時計の電池が切れていて、あやうく遅刻しかけたし、そのせいで学校前の坂を全速力で駆けのぼるはめになった。

 年度最後の大掃除ではよりによってトイレ掃除を割り当てられ、とどめはこの再登校だ。


 ふと優樹は昨日の出来事を思いだす。


「まさかあの髪の毛で、呪いとかかけられてないよな?」


 髪の毛を抜き取られたときの痛みを思い出し、意味もなく頭をさすりながら坂をくだっていく。

 途中、校外へロードワークで出かけていた野球部の一団とすれちがった。

 運動部の一年生たちにとっては迷惑な話だろうが、中学生になったばかりの新入生を鍛えるのにこの坂は格好の場所らしい。

 この坂が地獄坂と呼ばれるようになったゆえんである。


 新入生の時に同級生からいろいろ誘われたが、やっぱり運動部に入らなくてよかった。

 そんなことを考えながら坂をくだっていた優樹だが、何の気なしに向けた視線の先に人影を見つけてしまう。

 そして次の瞬間にはその心情を表現するかのように眉をしかめた。


 鮮やかに染まった坂の途中、ガードレールに腰をもたれかけて優樹をみつめているその人影は、紺色のアウターに身を包んでいる。

 優樹の記憶野(きおくや)へ強烈にきざみこまれた――できることなら忘れてしまいたい――その姿はまぎれもなく昨日会ったばかりのあの少女だ。


 優樹はともすればひきつりそうになる頬を、動かさないよう保つのに少しばかりの努力を必要とした。

 そのままそしらぬ顔で通りすぎようとした優樹に向かって少女が口を開く。


「昨日はごめんね。いやぁ、ボクもちょっとあせっちゃっててさ」

「……」


 なおも気づかぬふりをして素通りする優樹に少女が声を荒げる。


「ちょっと! なんで無視するの! キミだよキミ!」


 わざとらしくあたりを見まわす優樹。


「ほかに誰もいないってば!」


 聞こえないとばかりに再び歩きだす優樹。


「だから無視すんなって言ってる――」


 嫌な予感がしてふり返った優樹の目に映ったもの、それは今まさに優樹の首めがけてくり出された少女の右腕が横一文字に着弾しようとするところであった。


「――でしょうが!」


 いくら優樹の反射神経が人並み以上とはいっても、さすがにそれは避けられなかった。




 しばらく首を押さえてうずくまっていた優樹は、少女にうらめしそうな視線を向けて言い放つ。


「お、お前はラリアットをくらわせんと会話もできんのか!」

「キミが無視しようとするのが悪い!」

「ああ、悪うござんしたね! じゃ、俺は用がないからもう帰るよ!」


 きびすを返そうとする優樹の服を少女がとっさにつかむ。


「ちょ……! だから待ってよ! キミにはなくてもボクには用事があるんだって!」

「初対面の相手にチョップかましたり、髪の毛ぶち抜いたり、あげくの果てにラリアットしてくるような女には用がない!」

「話聞いてくれないんなら、明日も明後日もずーっと待ち伏せしてやる!」

「なっ……!」


 優樹の脳裏に嫌な景色が浮かんだ。下校する学生であふれる地獄坂。

 ガードレールに寄りかかり、誰かを待つ見慣れない少女。

 部活仲間と一緒に坂をくだる優樹。それを見つけて声を上げる少女。

 周囲から好奇の視線を一身にあびる優樹。

 そして校内に広がる根拠のないおもしろ半分の噂の数々――。


 耐えられそうになかった。


「……わかった。わかったから待ち伏せは勘弁してくれ」


 それは優樹の降伏宣言だった。




 いくら下校ラッシュが終わった時間帯とはいえ、そろそろ部活帰りの運動部員たちが坂をおりてくる頃合いだ。

 話を聞くにしても目立つ場所を避けたい優樹は、坂の途中にある小さな公園へ少女を連れて入った。


「よし、誰もいないな」


 公園に誰もいないことを確認して、ほっとする優樹に少女がいぶかしげな表情でたずねてくる。


「なんでそんなに人の目が気になるの?」

「そりゃお前、学校で噂とかされたらいやだろう?」

「んー……。よくわかんないや。でも、ま、いっか。ボクの話も人にあんまり聞かれたくないからちょうどいいし」

「で、話ってのはなんだよ?」


 あらためて優樹は少女を見る。背丈は優樹よりも頭半分ほど低く、体型は身長からすればやや細め。歳は優樹とほぼ同年代に見えた。


 少女の装いは昨日と同じくどこかの制服にありがちなありふれたデザインだ。

 しかし優樹はてっきりブレザーだと思っていたのだが、落ち着いてよく見てみると彼女が身につけているのが小さめのボタンコートであることに気付く。

 きちんと見れば襟元からは左右一対の紐らしき物がぶら下がっており、生地の質感もどこかやわらかそうだった。

 それをブレザーと勘違いしていたのだから、いかに昨日の優樹が動揺していたかわかろうというものだ。


 コートの下には白いブラウス。

 ひざ丈よりも少し短めのスカートは濃い緑地にえんじ色のチェック柄で、スカートをはいていなければ少年と間違われかねない原因であるショートカットの髪が、夕陽を受けて赤みがかっている。


 少女は目を閉じ小さく深呼吸をすると、ゆっくりと瞳を開き、意を決したように話し始めた。


「外装体を見られた以上は仕方ないんだけど……。キミの記憶を消さなきゃいけないんだ」


 とても長く感じる数秒が時を刻む。

 間の抜けた沈黙があたりを支配した。


「……………………はい?」

「主体時系列……、えっと、キミたちがいるこの時代から見ると未来って言うのかな? ボクはそこからこの時代の文化調査士としてやってきたの」


 優樹はあっけにとられた。少女がなにを言っているのかさっぱりわからなかった。というよりもむしろ理解したくなかった。


「転送された場所ですぐに外装体(がいそうたい)を解いて、この時代の一般的な装いに変更したんだけど、どうもその瞬間にキミがあの場所に居合わせちゃってたみたいで」


 優樹は内心ひどく動揺した。やばい、これっていわゆる『電波』ってやつか?

 この女、春になると増えるっていう『あぶない人たち』のひとりなのか?

 そんな危険信号が優樹の脳裏に響きわたった。

 しかし少女はそんな優樹の戸惑いなどお構いなしに話し続ける。


「でもボクたちの仕事はあくまでも調査と観察であって、この時代の人間と接触を持ったりするのは許されない。そんな権限は与えられていないんだ。」


 あっけにとられる優樹をよそに、少女はツンと伸ばした人さし指を前後にゆらしながら話す。


「今回のことは偶発的な事故ということで、監督官(かんとくかん)も厳罰はないだろうって言ってくれたんだけど……。さすがに目撃者の記憶は消すように命令されちゃって」


 少女はそこまでを話し終えると優樹と正面から向かい合う。そしてひと息つくと首を少し傾けながら可愛らしい笑顔でこう言った。


「だからキミの記憶を消させてください」

「やだ」


 関わらないのが一番だ、とばかりに優樹は即答した。


「ええ。なんで? ボクの話、わかりづらかった?」


 その後、延々と電波話が続いた。未来から過去への不干渉ルールや過去改変が未来へ与える影響。

 あげくの果てにはなんとかという博士の論文を持ちだして少女は時系列間のもつれを修正する必要性を説こうとする。


「どう? これでキミの記憶を消さなきゃいけないって納得してくれた?」

「納得しない」

「うう……。困るんだよ、それじゃあ……」

「記憶を消すのになんで俺がいちいち納得しなきゃいけないんだよ。消せるんだったら勝手に消せばいいんじゃないのか?」


 電波話とは思いながらも、つい疑問を相手にぶつけてしまう優樹。


「そりゃ、最終手段としてはそうかもしれないけど……。一応ルールなんだよ。異なる時代に暮らす人間の記憶を改変するときは、極力相手の同意を得てから実施することっていうのが。それは時間干渉できない時代の人たちへ、ボクたちが一方的に干渉する優位性と引き替えに守るべき礼儀なんだ」

「そりゃまた……。感心なことで」


 頭を抱える少女を視界の端に残しながら、優樹は赤く染まりつつある夕暮れ時の空へ視線をそらしてつぶやいた。

 よくできた妄想だな、と心の中では妙に納得しつつ。


「うん! 決めた!」


 少女はその小さな手で握り拳をつくると、意を決したように無責任なことを言い放った。


「後回し!」

「なんだそりゃ?」

「記憶消去の執行期限は二週間あるんだ。だからギリギリまで強制執行はしないで待つ!」


 力強く宣言するわりには、ずいぶんと熱意のない内容である。


「で、その間はボクもゆっくりとこの時代を見物して回ることにする!」


 優樹はもはやまともに少女の相手をする気がなくなっていた。

 いや、そもそも最初から相手にしたくなかったのだが。


「あー、そうかい。よかったな。じゃ、がんばれよ」


 だからもう俺には関係ないとばかりに棒読みの激励を残し、話を打ち切ろうとする。


「ってことで、案内よろしくね」

「なんでそうなる!」

「だってボクはこの時代に不慣れだから案内してくれる人が欲しいし、かといってむやみとこの時代の人たちに接触するのはよくないんだよ」


 少女が優樹の顔を指さして言う。


「その点キミとはもう無関係ってわけでもないし、一緒にいれば記憶消去の説得も同時にできるじゃない」


 名案を思いついたとばかりに、少女が満面の笑みを浮かべる。


「全部お前の都合じゃねえか! 俺にはメリットまったくねえ!」

「えへへ。もう決定だよ」


 優樹の抗議は耳に届いていないのか、呼び止める声もむなしく少女は足早に公園から立ち去っていった。

 最後に優樹へトドメのひと言を投げかけて。


「明日また迎えに来るからね!」

「えっ? なっ……! け、結局くるのかよ!」


 やっぱり今日はついてない。

 みるみるうちに長くなってゆく自分の影と共に、優樹は小さな公園の中で呆然と立ちすくんだ。


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