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第三話

「いい? ちゃんと話を聞いてよ?」


 少女は幼い弟に言い聞かせるような口調で、ゆっくりと話し始めた。

 物言いは優しかったが、その右手はようやく馬乗り状態から解放された優樹(ゆうき)の左手首をしっかりとつかみ、逃がさないという意思を明確に示している。


 川土手で向かい合って立つ二人は、遠目に見れば仲の良い恋人同士が手をつないでいるように見えたかもしれない。

 だが実際のところ、少女には他人から自分たちがどう見えているかを想像する余裕は全くなかった。

 優樹(ゆうき)の方はもちろん言うまでもないだろう。


「キミ、見たでしょ?」


 少女が真剣なまなざしで問いかけるが、そもそも何のことだかわからない優樹には答えようもない。


「見たって……、何をさ?」

「え、えーと……、何を見た?」

「はあ?」


 優樹はますます困惑した。お前の会話にはいつも主語がない、と友人からよく指摘を受けているのは優樹本人の話だが、目の前の少女はどうやら彼に輪をかけて会話に難があるらしい。


「あ、あのね。あそこにボクが居たのは見たでしょ?」

「……ああ」


 あそこというのはおそらく公園のことだろう。

 正確に言うならば公園にあるトイレの裏だ。


「いつから……、見てた?」


 さっきまでの強い語調はどこへ行ったものやら、おそるおそる聞いてくる少女を見て逆に優樹は普段の調子を取り戻した。


「いつから、って言ってもなぁ。通りがかりにちょっと目に入っただけだぜ。俺、そこまで悪趣味じゃないぞ」

「ほ、ほんと? 良かったぁ」


 安心したのだろうか。肺いっぱいで深く息をはいた少女は、ひざを折って座りこんだ。

 逃げられないように優樹の左手首はガッチリつかんだまま。


「何してたのか知らないけど、俺には全然興味がないし、実際何も見てないんだから」


 そろそろ解放してくれよ、と暗にほのめかす。


「まぁ、最初に見た白い妙な服はちょっと気になるけど」


 今となっては目の錯覚(さっかく)だったかもしれないと優樹は思っていた。

 あんな短い時間で着替えられるわけもないし、一瞬のことだったので見間違いだろうと思っていたのだ。


 その言葉を聞いて、それまでうずくまっていた少女の体がピクリと動く。

 少女の頭に犬の耳でもついていればきっと愛らしい動きを見せてくれたに違いない。

 ゆっくりと顔を上げた少女の瞳はちょっとだけうるんでいた。


 ころころと表情の変わる子だなあ。

 余裕が出てきた優樹は少女を見てそんな印象を持った。


 さしずめ今の表情は『飼い主に叱られて落ちこむ忠犬』ってとこか?

 一応美術部のはしくれでもある優樹は、目の前のモチーフへ失礼な題名をつけた。

 もちろん心の中だけで。


 のろのろと立ち上がった少女は泣きそうな顔で問いかける。


「白いって……、あの外装体(がいそうたい)を見ちゃったの?」

「がいそう? よくわからないけど、白いのは見えたよ。コスプレかなんかなのか? 変な形だったけど」


 ガクリ、と再び少女のひざが折れた。


「あぁ、やっぱり……。やっぱり見られてたんだ……。どうしよ。もしかして来たばっかりなのにもう強制送還? 資格取り消しとか? そんなぁ……」


 理由はわからないが、目の前の少女はずいぶん落ちこんでいるように見えた。

 あいかわらず優樹の左手首はしっかりとつかんだままであったが。


 どうやら自分を責めるつもりはなさそうだ。優樹はそう感じて安心した。

 もともと落ちこんでいる人間を目の前にして、放っておけるほど優樹は冷たい性格でもない。

 それによく見ると結構愛らしい顔つきをしている。

 身の危険がないとわかったからには、優樹にもそれなりの寛大さを見せる余裕が生まれた。


「安心しろよ。別に誰かに言いふらしたりはしないしさ。は、裸を見たわけじゃないんだから」


 優しい言葉をかけ、少女に敵意がないことを示そうとしたが、『裸』のところでどもるあたりがいかにも初心(うぶ)な中学生男子である。


 とにもかくにも優樹は早くこの状態から解放されたくて仕方がなかった。

 優樹にとって女の子というのは口やかましくてやたらと自分を子供扱いする、どちらかといえばあまり関わりあいになりたくない存在だった。


 もちろん中学生ともなればクラスの中には色気づいている者もそれなりにいる。

 そういった彼ら――もしくは彼女たち――は、同い年のクラスメイトという立ち位置から恋愛対象の男女へと自分の配役を積極的に変えようとしている。


 だが、優樹自身はそういった役どころに正直あまり興味がなかった。

 気が合う男の子同士で遊んでいる方がよほど楽しいし、まるで言葉の通じないエイリアンのような女の子と接点を持ちたいとも思わない。


 しばらくのあいだ片手で顔を覆っていた少女は、ようやく気持ちを落ち着かせたのか、優樹に顔だけを向けるとまたもや意味不明なことを言い放った。


「髪の毛、一本ちょうだい」

「はぁ?」

「いいからちょうだい、髪の毛」


 言うが早いか、機敏(きびん)な動作で立ち上がり、空いている方の左手で優樹の頭から髪の毛を抜き取った。


「痛ってぇ!」

「あ、ごめん。抜きすぎた」


 その手には四、五本の黒髪が握られている。


「とりあえず、今日のところはこれでいいや」


 少女はそう言うと、それまで離すことのなかった優樹の左手をようやく解放し、そのまま振り返ることなく立ち去っていった。


 心なしか肩を落としながら遠ざかっていく少女を見送り、優樹はようやく解放された安堵(あんど)感に息をつく。

 気分転換に出かけたつもりがとんでもない目にあってしまった。このまま帰って母親の小言をあびるのも本当なら気が進まない。

 とはいえ今日はどうにも日が悪いらしいと感じた優樹は、家一番の権力者がおかんむりでないことを祈りつつ、おとなしく家路(いえじ)につくことにした。


「なんだってんだよ? まったく……」


 誰に聞かせるでもなくつぶやきながら。


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