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第二十一話

 時間は少しさかのぼる。

 優樹と日月(ひづき)が男の追撃を振り払い、体育館に逃げこんだ時のことである。


日月(ひづき)。あいつの視界を奪えれば、何とかなるかもって言ってたよな?」

「うん」


 優樹の問いかけを日月が肯定する。


「だったら……、何とかなるかもしれない」

「どういうこと?」

「消火器の粉末で視界を奪うのは、もう無理だろう。あいつも対策を立ててくるだろうし」

「うん」

「だから、今度はこの体育館全体を使って目くらましをする」

「どうやって?」


 日月にとってはこの建物が何に使うものなのか、そしてどんな設備があるのかもわからない。

 いくら事前知識を得ているとはいえ、そこまで細かい情報を網羅(もうら)する余裕は時間的にないからだ。


「人の目は明るさや暗さにある程度順応できるよな。でも、突然暗くなったり明るくなったりすれば慣れるまでにどうしても時間がかかる。だからそれを利用しよう」


 優樹の考えた作戦はこうだ。

 まず体育館内へ差しこむ光を完全に遮断(しゃだん)する。カーテンを閉め、非常灯を壊しておく。

 次にスポットライトや天井の水銀灯を含め、リモコンで操作可能な照明を全てつける。

 男が体育館に入り、明るさに慣れた頃を見計らって照明を落とす。


「これならあいつの視覚を奪うことは可能だろ。ただ、視覚を奪われるのはこっちも一緒だから、片目だけでも閉じておくか?」

「でもそれじゃ、あからさまに怪しいでしょ?」

「そうだな……」


 思案する優樹を見て、日月はポーチの中から何かを取りだして言った。


「これ、使えないかな?」


 そう言う日月の手には、いつぞやの遊園地で手に入れた眼帯がのせられていた。


「まだ持ってたのかよ。それ」

「ほら、こうすれば」


 と、日月は眼帯を右目につける。


「ケガしたように見えない?」

「……そうだな。わけもなく片目を閉じておくよりはマシか」


 眼帯だけでは光を完全に遮断することができなかったため、救護用に備えつけられていた包帯を折り重ねて内側へ包んでおく。

 さらには照明器具置き場にあったなんだかよくわからない黒い布も適当に破って眼帯の裏に重ねた。


「で? これであいつの視界を奪ったとして、お前の言う『何とかなる』というのは?」

「……これ」


 日月はポーチの中から手のひらサイズの道具を取り出した。

 それは携帯電話ほどの大きさで、先端にふたつの突起があり、側面にはボタンがついていた。


「なんだ、それ?」

「スタンガン……、みたいなもの」

「みたいな……、ってなんだよ。スタンガンなら知ってるけど」

「普通のスタンガンじゃ威力が弱いから、ボクが作ったの」


 気まずそうに声が小さくなる日月を、ちらりと見やって優樹がこぼす。


「お前……、結構物騒なヤツなんだな」


 市販品よりも強力なスタンガンもどきを、かの男へ確実に叩きつける。

 そのためにふたりは作戦をさらに()る。


 スタンガンを持つのは優樹。

 照明を落とした後、優樹は体育館の壁づたいに男の背後に回りこむ。

 その際に足音を隠すため、音響リモコンで大音量の音を流すことで視覚とあわせて聴覚も奪っておく。

 視覚と聴覚を失うのは優樹も同じだが、そこは地の利を活かす。

 場所が通い慣れた学校の体育館である。目を閉じていても広さと距離はある程度把握することが可能だ。

 照明の下、満足な視界が得られた状態と同じ時間というわけにはいかないが、あらかじめ歩数を確かめておくことでだいたいの目星をつけることができた。


 日月の役目は男の牽制だ。

 眼帯を取ることでただひとり視界を確保することができる。

 優樹が男の背後に回りこんだ頃合いを見計らって、非常用の懐中電灯を直接男の目に当てるのがその役目だ。

 男の視覚にダメージを与えた後、スポットライトをつけて男の注意を引くと同時に優樹が男にスタンガンを打ちこむまでの時間を稼ぐ。


「よし。これでいこう」

「うん」


 作戦に都合の良い位置から男が入ってくるように、正面入り口以外にはあらかじめ鍵をかけておく。

 もちろん男が鍵を破壊して正面以外の入り口から入ってくる可能性もあるが、その場合でも完全に作戦が失敗するわけではない。十分修正可能な範囲だった。






 スタンガンを打ちこまれた男は今、優樹の足もとにあお向けで倒れている。

 視線はうつろなままで、時折四肢(しし)痙攣(けいれん)を起こしたように揺れていた。


 ようやく明るさに目が慣れてきた優樹は、ゆっくりと周囲を見回した。無事な日月の姿と、足もとに倒れた男を見て大きく息を吐く。

 安心からか、その手から滑るようにスタンガンが抜けて床に落ちた。

 日月はそんな優樹のもとへ近づくと、ただ無言のままにスタンガンを拾い上げる。


 多少回復してきたのだろうか、優樹には男の目が日月の方へ向いているように感じられた。

 だが、体の方はまだ指ひとつ動かせないようだった。


 これまでに優樹が見たことのない表情をした日月がスタンガンを男の胸に押し当て、そのままスイッチを押す。


 無表情のまま。


 それは喜怒哀楽をはっきりと表す、快活(かいかつ)な少女が優樹に見せた――初めての表情だった。

 スタンガンから放たれた衝撃に、男の体が大きく跳ね上がる。しばらく小刻みに痙攣(けいれん)していたが、やがて動きが完全に止まった。


「し、死んだのか?」


 見るからに呼吸もなく、瞬きひとつしない男の体を見て動揺した優樹が訊ねた。

 日月は優樹の方を見もせずに、首を横にふって答える。


複製体(コピー)との接続を切っただけだよ」


「そういうことだ」

「え?」


 驚きの声をあげたのは日月。

 優樹もとっさに声の方を向き身構える。


 この場にいたのは優樹と日月、そしていまや生命活動の気配すら感じられない足もとの男だけだったはず。

 優樹が驚いたのはいないと思っていた第三者の出現に対してであり、日月が驚いたのはその声の主に覚えがあったからである。


監督官(かんとくかん)……」

 弱々しい声で日月が言う。

 そこにいたのは紫紺(しこん)の服を着たひとりの男だった。

 若作りをしたおっさん、というのが優樹の感じた印象だが、それは男の所作(しょさ)が妙に大人びていたからである。

 純粋に見た目だけを評価するなら、十分若いと言われる年齢に思えた。


「せっかくの警告も無駄になったわけだな」

「す、すみません。ボク……」


 冷気でもまとっているのではないかと思わせる冷ややかな視線を日月に向けながら、紫紺の男は淡々と言った。


「まあ良い。おかげで手配犯をひとり捕まえることができた。あちらの身柄は本館の治定官(じじょうかん)が確保したようだ」

「だれなんだ?」


 らしくなく恐縮している日月に優樹が問いかける。

 日月の様子からして敵意を持った相手ではないことはわかるが、突然現れた正体不明の人物に優樹も戸惑っていた。


「ボクの……、上官」


 日月の答えはいたってシンプルなものだった。

 上官という言葉を聞いても、中学生の優樹にはいまいちしっくりこない。

 身近な大人と言えば両親や学校の教師たちくらいである。

 いずれも優樹にああしろこうしろと言ってくるが、それは上司や上官といったものとは全く異なるだろう。

 なんとも言えない違和感を消化しきれないでいる優樹に向かって、日月の上官が声をかけてきた。


「長谷川優樹だな」


 まさか自分に声をかけてくるとは思わなかった優樹は、必要以上に驚き肩をびくりと跳ね上げた。

 どうして相手が自分の名前を知っているのか、という疑問すら抱く余裕がないくらいに。


「今回は本当に申し訳なかった。こちらのいざこざに巻きこんでしまったな」


 口には謝罪の言葉を並べながらもどこか熱のこもらない男の言葉に、優樹は少し気分を害する。

 そしてその言葉を頭の中で反復(はんすう)するうちに、明確な怒りが芽生(めば)え始めた。


「……ずっと見てたんですか?」


 優樹と日月、そして足もとに横たわる男。

 日が落ちてからどれくらい時間が経ったのかわからないが、それでもかなり長い間三人は争っていたはずだ。


 その決着がついた途端に日月の上司というこの男は現れた。

 そう、タイミングが良すぎる。

 この男は最初から自分たちの戦いを傍観(ぼうかん)していたのではないかと、優樹が疑念を抱くのも無理はない。

 だが目の前の男は優樹の怒気など意に介した様子もなく、淡々と答える。


「腹を立てる気持ちもわかるが、私も私なりに背負っている義務というものがある。高みの見物をするような趣味も、またそんな余裕もない。無論、犠牲者が出なかったとはいえ、もっと早く駆けつけていたら負傷者すら出さずにすんだ、と非難されれば返す言葉もないがね」


 心を見透かしたかのような男の回答に、優樹も折れざるを得なかった。


「……すみません」

「謝る必要はない。むしろ謝罪するのはこちらの方だ」


 そっけなく言うと、男は日月と優樹を順に見る。


「さて、あまり時間もない」


 今度は足もとの人物へ目を向けると、さらに感情の抜け落ちた口調で告げた。


「私はこの始末をつけなければならないのでな」


 そして日月と視線を交わすと、有無を言わせず指令を下す。


「君は君の義務を果たしてきたまえ。三十分後にはここを離れる」


 日月は男に向かって頷くと、優樹を連れて体育館を出て行った。

 その姿を見送った後、ようやく夜の体育館が本来の静寂を取り戻す。




 ひとり静かな体育館に残された監督官の男は、二人が出て行ったドアを見つめてつぶやく。


「義務、か…………。とはいえ……、それは私の役目だろうな」


 本館が日月に出した指令、つまりは遭遇者の記憶を消去すること。

 それこそが日月の背負う義務であった。


 既にその期限は迫っている。

 日月自身の問題も一応の結末を得た今、このタイミングで少年の記憶を消去するのが最も適切である。少なくとも男はそう判断した。


 だが実際のところ、日月に優樹の記憶を消去することはできないだろうと考えていた。

 初めて時間を越えた年若い部下が、あの少年にずいぶんと入れこんでいることを否定しようがないからだ。

 相手の記憶を消去することは、その人間と死別するも同然である。

 (した)えば慕うほど、想えば想うほど、その別れはつらい。


 今は部下を監督する立場にいる男にしても、新米だった頃には少女と同じような失敗をした。

 意図せず知己(ちき)を得たこともあるし、それがために悲しい別れを何度も経験した。


 死に別れたわけではない。

 だが記憶を消去した相手にとって、自分は世の中に存在しないも同じである。

 そしてこちらから会いに行くことは一切の例外なく許されることがない。


 男はその地位が上がるにしたがって権限も大きくなったが、それでも訪ねゆくことが許されない時代がいくつもある。

 その数がつまりは男にとって忘れ得ぬ出会いと別れの数に他ならない。

 初任務の新米が自分の手でその別れを決断することは難しい。かつての自分がそうであったように。


 だからこそ少年の記憶を消去するのは上官である自分の役目だと、そう思っているのだ。

 男は優樹の記憶を消去する準備のために、懐から十センチ角ほどの板状の端末を取り出すと、指先で板をなぞり優樹の情報を読み出した。

 読み出された情報をその目に捕らえた途端、男は思わず息をのみ、切れ長の目を大きく見開いた。


「そういうことか。だから本館も……」


 その視線の先には、たった今解禁されたばかりの情報が映し出されている。

 端末に目を奪われた男は、ここ数日の疑問が氷解(ひょうかい)したことに思わず声を漏らした。


「光栄と言うべきなのかな」


 そして男にしては珍しく口元をほころばせ、苦笑気味につぶやくのであった。


2015/09/09 知己のルビを「ちこ」→「ちき」に訂正

2021/04/04 誤字修正 誤る → 謝る

※誤字報告ありがとうございます。

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