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第十三話

 暗闇に溶けこんだ人影が息を潜める。

 あたりを包む静寂のカーテン。

 ときおり思い出したように差しこむのは遠くから聞こえる踏切の警報だけ。


 街灯の明かりも届かない建物の中、張りつめる緊張を楽しむように口をゆがめて笑みを浮かべる。

 その人影は追いかけてくる少女の様子を建材の物陰(ものかげ)に隠れてうかがっていた。

 その表情に追いたてられる側の切迫(せっぱく)した(あせ)りはまったく感じられない。


 人影から一方的に観察されている側の少女は、対象を見失うという追跡者にあるまじき失態を(おか)していた。

 ときおり周囲を見回し、全神経を研ぎ澄ませながら一歩ずつ足音を立てないよう進んでいる。

 もはやどちらが追われる者かわからない。


 その様子を見た人影が愉快そうに笑みを浮かべた。

 音を立てぬようにそっと足もとから建築用のボルトをつまみ上げると、少女の背後にある通路めがけて投げつける。


 ボルトは通路の壁にあたり、そのまま幾度(いくど)()ね返る。

 音源はたかがボルトひとつ。

 だが深い静けさの中にあって、金属とコンクリートの衝突する音は必要以上に大きく響いた。


 慎重にむき出しのコンクリートを踏みしめていた少女がとっさに背後を振り向く。

 少女の意識がそれたことを確認した人影は、声もなく笑いながら反対方向へ駆けはじめた。

 人影に気づいた少女が追いかける。

 ふたり分の靴音が不協和音を(かな)でながらあたりの壁に反射し続けた。


 工事用階段を駆けあがった人影は、階段の出口そばに組み上げられた簡易足場のクランプを手に持ったパイプで殴りつける。

 強固に固定されたはずの足場は、なぜか通り抜けざまの一撃だけで不安定に揺れはじめた。


 数瞬の後、足場の一部が崩れ、ブランケットが階段をまさに駆けあがろうとしていた少女へと一斉に襲いかかる。

 少女はとっさに身をひるがえして降りかかる凶器を避けようとしたが、狭い工事用の階段ではすべてを避けることもかなわない。

 無意識に頭を両腕でかばった少女の左腕に一本のブランケットが勢いよくぶつかる。

 あちらこちらで不快な衝突音を響きわたらせながら、無数の部品がその運動エネルギーを無駄に消費していく。


 やがてあたりに響きわたる金属音がおさまった時、少女の目の前には自分めがけて降りかかってきた多数の残骸(ざんがい)がつみ重なっているだけであった。

 少女は追跡に失敗したことを悟ると、負傷した左腕を押さえながら引き返していった。






 温かさのかけらも感じられない場所で日月(ひづき)はひとりの男と向かい合っている。

 あい変わらず果ての見えない地平線。

 影も差さない完全な平面の床。

 色のない無機質(むきしつ)な世界が日月(ひづき)と男の周囲に広がっていた。


「少々度が過ぎているのではないかな?」


 表情の読めないポーカーフェイスのまま、体を紫紺の長衣に包んだ男が冷たく言い放つ。


「す、すみません」


 日月は身を縮ませ、うわずった声で返答した。

 優樹に接触している時の行動が逐一監視されていることは十分に理解している。

 その上でなかば観光気分に優樹を連れ回していたのだ。


 本来の目的を逸脱(いつだつ)して楽しんでいるのは、はたから見れば明らかだったろう。

 指示に反した行動は取っていないので、期限がくるまでは厳しい追及はたぶんない。

 日月はそう思っていた。

 だが、面と向かって指摘されるとさすがに真摯(しんし)に答えるしかない。


「でも期限までには必ず彼の記憶は――」

「勘違いしているようだが」


 日月の言葉を男がさえぎる。


「私が言っているのは記憶消去の件ではない」

「え?」


 無感動そうに見えた男の表情が微妙にゆがむ。

 一瞬の沈黙の後、男はかすかにため息らしきものを()いて少女の左腕に視線をやる。


「その腕の傷。私の目をごまかせるとでも思っているのか?」

「あ……!」


 反射的に左腕の傷に手を当てる日月。

 その反応自体が男の言葉を肯定していることに他ならない。

 治療をすませて長袖の服で隠していたが、それだけで隠し通せると思っていた少女の考えはいささか甘いと言わざるを得ないだろう。


「確かに奴らのやっていることは許されぬ犯罪だ。該当時代の法においてはもちろんのこと、当然我々の法にてらしても見過ごすわけにはいかん」


 言葉の内容とは裏腹に、抑揚の少ない事務的な口調で話していた男の語気がほんの少し強くなる。


「しかし、君はただの文化調査士にすぎない。君のやっていることは越権行為だ」


 反論もできない日月に向かって男は立て続けに言葉をぶつけていく。


「まして奴らは武装している。偽装(ぎそう)のため、時代にあわせた原始的な武装にとどまっているとは言え、治定官(じじょうかん)でもない君がどうこうできる相手ではない」


 見る見るうちに元気をなくしていく日月へ、さらに強い口調で突きつける。


「いいかね。これは警告だ」


 その言葉を聞いて日月が身を固くする。


「実体化時のトラブルについては、不運な事故として酌量(しゃくりょう)の余地がある。対象の記憶消去を期限までに完了しさえすれば、それほどの問題にはならんだろう」


 語調は冷たいながらも優しい言葉が日月の耳に届く。

 だがそこで一転して厳しい雰囲気をまとわせた男が言った内容は、日月を落ちこませるのに十分な効果を持っていた。


「だが、越権行為により何らかの問題を発生させるようなことになれば、それこそ資格剥奪(しかくはくだつ)もあり得ると覚悟しておくように」

「は、はい……」


 日月にできたのは、かろうじてそう返事をすることだけだった。


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