第十二話
連日、優樹は日月に振り回されていた。
端から見れば中学生同士のデートに見えるのかも知れないが、当の本人たちには全くその自覚がない。
まして優樹にいたっては半分いやいやながらつきあっているようなものだ。
だがさすがにこれだけ毎日一緒に居ると、少しずつではあるがお互いに打ち解けてくる。
時々発せられる日月の電波話を軽くいなしながら、文句を言いつつも優樹は充実した春休みを送っていた。
日月はファーストフードがいたくお気に入りの様子だった。
どうやら遊園地でたまたま食べたハンバーガーが妙に気に入ったらしい。
商店街にあるファーストフード店へと勝手に突撃していく日月の後を、ため息つきながら優樹はついていく。
いくら安価なファーストフードといえど、中学生の優樹には正直痛い出費である。
だが、おいしそうにハンバーガーやポテトを頬張る日月の笑顔を見ると、盛大に息を吐きながらも腹を立てることができない。
それは優樹がふたりでいることに心地良さを感じはじめている何よりの証拠だった。
「んんん、おいしい!」
今日も今日とてハンバーガーを頬張る日月。
「しっかし……、ほんとよく食べるよなぁ、お前」
貯金しておいたお年玉の残高が日に日に減っていく現実をひとまず頭から追いやり、あきれ果てた優樹が言う。
「だってこれおいしいんだもん」
ハンバーガーのケチャップを口の端につけたまま答える日月は、ずいぶんと幼く見えた。
大人っぽく見えたり、子供に見えたり、電波話をしたり。
本当に不思議な女の子だと優樹は思う。
見ていて飽きないというのも確かだが。
「それよりさ、勇気。いい加減その『お前』って呼ぶのやめてくれない?」
ケチャップついてるぞ。
と言いかけた優樹の機先を制して日月が唐突に注文をつける。
「……じゃあ、なんて呼べば良いんだよ?」
「普通に日月で良いじゃない」
一瞬言葉につまった優樹とは対照的に、飲み物を選ぶような気安さで答える日月。
「ひ、日月か?」
「当たり前でしょ。それがボクの名前なんだから」
「あ、ああ……。わかった」
優樹の耳が少しだけ赤くなる。
幼い頃ならいざしらず、思春期まっただ中の男の子にとって女の子を下の名前で呼び捨てるというのはなかなか抵抗があるものだ。
学校でそれをやったら間違いなく周囲にひやかされるだろう。
「ん? どったの?」
「なんでもねぇよ」
照れ隠しに無理やり話題を元に戻す。
「昨日も食べたばっかりなのに、うまそうに食うなあ」
「えへへへ」
「だいいち、コレってカロリーも高いし、添加物もどっさり入ってるらしいからな。毎日食べるのは体に良くないと思うぞ」
「そうなの? んー、まぁでも複製体だから別にいいけど」
体に良くない、という優樹の説明に日月はちょっとだけ視線を上に向けて考えこんだように見えた。
だがすぐに気を取り直して訳のわからないことを言いはじめる。
「複製体? なんだそれ? ……なんか前もそんなこと言ってなかったか?」
「あ、そっか。まだ話してなかったっけ」
右手にハンバーガーを持ったまま、左手でポテトをつまむ日月がそっけなく答える。
「複製体っていうのは、ボクたちみたいな文化調査士が異時間で活動する時に使用する稼働用素体のことを言うんだよ」
「はい?」
またか? また電波話か?
そんな優樹の困惑をよそに日月は淡々と説明を続けていた。
「ひらたく言うと、ボク自身の体はボクが生まれた時代に残ったままで、勇気の目の前にいるボクの体は擬似的に構成された偽物の体ってこと」
「……すまん。さっぱりわからん」
「時間を移動するって大変なんだ。実体をそのままこの時代まで持ってくるのはとても多くの手間や費用が必要だからね。だから普通は本体を残したまま神経体、――意識、精神とか言った方がこの時代の人にはわかりやすいかな? 精神だけをこっちに持ってくるんだよ」
いや、わかりたくもないんだが。
と優樹は表情だけで訴えようとするも、日月にはやはり伝わらないらしい。
「で、この時代で複製体を構成して精神をつなぐっていうわけ。遠隔操作の……えーと、ロボットみたいな感じかな」
「ロボットって……、どう見ても人間だぞ。触った感じだって、人間にしか思えないし」
「そりゃそうだよ、ロボットっていうのはあくまで例えだもん。複製体の構成元素は人間とまったく同じだし、血液や汗だって流れるもの。物質的には完全に人間の体と同じだから、複製体って呼ぶわけだし」
「ついていけないよ……、まったく」
この電波癖さえなきゃ、良いんだがなあ。
心中でぼやきながらも、一応話にのっかってやるあたり、優樹のお人好しがうかがえる。
「だいいちそんなこと俺に話しても良いのか? 普通は秘密とかじゃないのか?」
「いいのいいの。どうせ記憶消すんだし」
あっけらかんと即答する日月。
「ちぇっ! もう出ようぜ」
誰が見ても苦々しげな表情で優樹が投げやりに言う。
ポテトも全部食べ終わった日月は文句も言わずに片づけを始めた。
このファーストフードチェーン店は食べ終わった後のゴミやトレイを客自らがゴミ箱やトレイ返却場へ持って行くシステムになっている。
店内に入るやいなや日月からの質問まみれとなり、そのことを説明させられた優樹だった。
日月が自分のテーブルを片付けている間、ふと優樹の目がとなりのテーブルに向けられる。
そのテーブルの上には片付けられないままのゴミとトレイが、ぽつんと残されていた。
たまにいるのだ。
片付けがセルフであることを知らない一見の客や、システムを知っていてなお放置したまま店を出る不届きな輩が。
しばらく躊躇した優樹だったが、しょうがねぇなとつぶやきながらとなりのテーブルに残されたゴミとトレイを手早く片付けると、出口付近の回収場所まで持って行く。
店を出た途端、日月が唐突に問いかけてくる。
「ねえ勇気。なんでとなりのテーブルまでわざわざ片づけてたの?」
「なんでって……。なんとなくっていうか……、邪魔くさそうだったから」
「ふうん。じゃあ、なんで最初は片づけるのを躊躇したの?」
「だって……、もともと俺には関係ないゴミだし。そりゃあ、自分や連れが残したのだったら片づけるのは当たり前かもしれないけどさ」
言いにくそうに目をそらしながら小声で答える優樹。
「それに、なんつうか……。良い子ぶってるみたいで恥ずかしいじゃねえか」
「良い子ぶってるわけじゃないよ? 実際に良いことしたんだから」
どうして恥ずかしいの?
と首をかしげながら日月が追求する。
「いや、だからそういうふうに見られたくてやってる、って思われたくないんだよ」
「気にしすぎじゃないの? だいいちそんなうがった見方しかできない人たちからどう思われても別に良いじゃない」
「そうは言ってもな。やっぱ人からどう思われてるかって気になるもんだろ」
「そういうもんなの? えへへ……」
無理やり納得したふうの日月だったが、そのまま突然笑いはじめて優樹を気味悪がらせた。
「なんだよ、急に笑って」
「いやいや、そういう葛藤があの短い時間にあったとは思わなかった」
そう言うと今度は温かい笑顔をまっすぐ優樹に向ける。
「でもね、それよりも嬉しいの。勇気がそんな器の小さな人間じゃないってことがわかって」
うんうんとひとりで頷きながら、さらには拳を握りしめて力説し始めた。
「さすが勇気! 勇気の名前は伊達じゃないよね! うんうん、自分の殻を打ち破るのも勇気だよね!」
まるで自分のことのように誇らしげな顔で、優樹を褒めたたえる少女がそこにいた。
そんな日月を見て優樹はふと違和感に気づく。
「日月」
「ん? なあに?」
「お前なんか勘違いしてないか?」
拳をほどいた日月が今度は目をまばたかせながら問い返す。
「何を?」
「前から変に思ってたんだけど、なんで俺の名前が優樹だから勇気があるとかないとか……」
さらに小首をかしげる日月。
「何を言ってるのかよくわからないよ? 勇気」
「だからな、俺の名前は優樹だろ?」
「ちがうの?」
「いや、違わないんだけど」
どうにも会話がかみ合わない。
やはりなにかがおかしいと優樹は改めて感じた。
「だったら良いじゃない。勇敢で困難に立ち向かう強い意志をもって――」
「ほら、やっぱり。日月の言う勇気っていうのはそっちの勇気だろ。俺の名前はこういう字を書くんだよ」
そう言うと優樹は手近にあった石で地面に文字を書き始めた。そこには『優樹』という文字が記されている。
「んー? これなんていう字なの?」
「こっちの字は優れているとか優しいとかいう意味。こっちの字は樹木って意味だ」
「あれえ? そうなの?」
「たぶんお前の考えてる勇気はこっちな」
と今度は『勇気』の文字を書いてみせる。
「うーん……。でも読み方は一緒なんでしょ? だったら別に良いんじゃないの?」
しばらく双方の漢字を見比べていた日月だったが、実際にはあまり興味がないらしく、そっけなく言い放つ。
「お前……、いま漢字の存在意義を根こそぎ否定したな」
優樹の突っこみもどこ吹く風、日月は『優樹』と書かれた地面をじっと見つめ続ける。
「でもこの名前も良いよね。優しい木ってことでしょ? ボクはこっちの名前も好きだな」
終始主導権を握られっぱなしの優樹がかろうじてしぼりだしたのは、これまた何のひねりもない照れ隠しだった。
「お、おお。サンキュ」
名前の漢字をずっと勘違いし続けていたことなど特に気にした様子もなく、相変わらず日月は優樹の名を呼びながら引っ張り回す。
「優樹。優樹」
書けば違いは明らかなのだが、口に出して呼ぶ場合には気分的なところ以外さしたる変わりもない。
実際日月にとっては大した問題ではないのだろう。
結局この日も夕方まで振り回された優樹がそろそろ家路につくことを切り出そうとしたその時、電器屋の店頭にディスプレイされたテレビから夕方のニュースが流れ始めた。
『――のニュースをお伝えします。まずは先週から被害が相次いでいる通り魔事件の続報です』
以前からトップニュースで報じられていた連続通り魔事件の概要がアナウンサーの口から伝えられる。
目撃情報が多数寄せられているにも関わらず、警察の追跡を煙に巻くその逃走・潜伏能力は古今類を見ないという。
メンツに関わるため公式には警察も認めていないが、建物の周囲を二十名以上の警官に囲まれた状態から姿をくらますという離れ業をやってのけたと噂されている。
殺害の方法はナイフで切りつけるという単純なもの。
だが被害者の遺体は原形をとどめないほどめった刺しにされているという。
しかも標的は老若男女を問わないらしく、七十を超えた老人や幼稚園児までもが被害にあっている。
そのことが犯人の残忍性と事件の話題性をさらに高めていた。
『――昨夜十一時頃、警官隊に取り押さえられた犯人は直後に意識不明の重体に陥り、救急搬送先の病院で死亡が確認されました。逮捕された際に自殺するため、あらかじめ口の中に薬物を仕込んでいたと思われ――』
ニュースは犯人の逮捕を報じていた。
逮捕現場をヘリコプターから撮影したとみられる上空からの画像が消え、画面が切り替わる。
これまでの目撃情報や監視カメラの記録が映し出され、ふたりの男――初老の男と若い男――の映像が不鮮明ながらもテレビ画面へ現れた。
『――ただ、これまでの一連の犯行状況や目撃情報から犯人は単独犯ではなく複数犯と見られており、警察では今回自殺した犯人との関係解明と残った犯人の逮捕へ向け、引き続き捜査に全力を尽くすとのことです――』
「……!」
テレビに映る犯人たちの映像を見た瞬間、日月が声もなく息を呑む。
見開かれた日月の目が一枚の画像に釘づけとなったまま微動だにしない。
やがて時計の時間を気にしていた優樹が日月の異変に気づく。
「おい。どうした?」
「……」
優樹は日月の視線を追ってニュース映像に目をやると、何の気なしにつぶやいた。
「ああ、例の通り魔事件か。ようやく犯人捕まったんだ――、ん? まだ残ってんのかよ。犯人ひとりじゃなかったのか」
「……」
「しっかし、ひどいよな。幼児まで被害にあってるんだろ? しかもめった刺しにされて血まみれだったって話だし。この辺ももしかしたら危険か――」
「……ん」
「ん? 何か言ったか?」
様子がおかしいことに気がついた優樹は、となりに立つ日月へと視線をうつす。
そこにいたのはいつもの快活さを失い、ひどく弱々しい印象を与える少女だった。
「おい、日月?」
「ごめん……。ごめんね……」
声をかける優樹にも反応せず、日月は同じ言葉をくりかえした。
先ほどまで笑顔を浮かべていた少女は両手で顔を覆い、肩をかすかに震えさせる。
そして誰にともなくただ謝り続けていた。
「ごめんなさい……」
顔を手で隠しているとはいえ、彼女が泣いているのは疑いようもなかった。
困ったのは訳がわからない優樹の方だ。
街中で顔をふさぎ泣き続ける少女。その傍らに同年代の少年――つまり優樹のこと――がいる。
どこからどう見ても優樹が泣かせているようにしか見えない。
あちらこちらから非難の視線が突き刺さる。
実際には周囲を見渡したわけではないが、優樹にはそう感じられた。
針のむしろとはこのことか。
「と、とりあえず。ちょ、移動しよう」
まずはこの状況から脱出するのが優先と優樹は判断した。
いつもの賑々しい様子とはうって変わった日月の背に手を添えながら、人影の少ない公園を目指して歩いて行った。
知り合いに見つかりませんように、と祈る余裕も無いほどうろたえながら。
公園のベンチに座った後も日月は相変わらずの様子だった。
何を悲しんでいるのか、優樹にはわからない。
何で謝り続けているのか、それもわからない。
理由をたずねても返事はなく、ただ静かに泣き、そして同じ言葉をくりかえすだけだ。
目の前の少女が悲しんでいることはわかる。
だがその理由もわからない以上、優樹には慰める事すらできなかった。
気の利いた言葉ひとつ出てこない自分の無力を、優樹は痛烈に感じさせられる。
そんな時間がしばらく続いた。
どれくらいの時間がたったのだろうか。
ようやく落ち着いた日月が消え入りそうな声で優樹への謝罪を口にし、加えてただ一言だけ告げる。
「ごめん。今日はもう帰るね」
「あ、ああ……」
優樹には問いただしたいことがいくつもあった。
だが、いつもの傍若無人ぶりがすっかりなりをひそめた日月の様子に言葉をつまらせる。
その日の優樹にできたこと、それはうち沈んで去って行く日月をいつまでもただ見送ることだけだった。
2021/04/01 ルビ不備修正 苦々しい
2021/04/01 ルビ不備修正 賑々しい
※ご指摘ありがとうございます。




