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第十話

「まずはジェットコースターに、回転ブランコ、ゴーカート、フリーフォールにメリーゴーランドと……。あ、あと大観覧車も!」

「ま、まあ……、それくらいならなんとか全部いけそ――」

「午前中はそんなもんね!」

「って、午前中でそれまわるのかよ!?」


 日月(ひづき)のバイオリズムは高調期(こうちょうき)まっただ中だ。


「だってせっかくフリーパス買ったんだから、時間いっぱい楽しまなきゃ損でしょ?」

「お前にはゆったりと遊園地の雰囲気を楽しもうという考えはないのか?」

「遊園地まできてゆったりなんて、もったいないじゃない」

「はあ……」


 優樹はため息をついて空を見上げる。

 空は綿菓子を散らしたようにわずかな雲があるだけのほぼ青色。

 快晴と言ってさしつかえないだろう。


 雨が降ると憂鬱(ゆううつ)になり、晴天なら心軽やかになるのが人間というもの。

 だが晴れ晴れとした天気にもかかわらず、優樹の心中はどんよりとした雲が一面を覆っていた。


「俺のお年玉が……」


 意外に堅実な性格である優樹が小学生から貯め続けてきたお年玉貯金。

 その残高がここ数日間、恐ろしい勢いで減っている。優樹の心が重い理由だ。


 ふたり分のフリーパス料金で、めったにお目にかかることのない諭吉様があっというまに旅立っていった。

 アルバイトをしている高校生ならいざ知らず、中学生の身には非道(ひど)く――特にふところ的に――痛い。


 テンションの上がりきらない優樹をよそに、ジェットコースターからフリーフォールまで怒濤(どとう)のごとく駆け抜けた日月(ひづき)はご機嫌だった。


「次っ! 次はメリーゴーランドね!」

「お前ひとりで行ってこいよ。この歳でメリーゴーランドは……、さすがにちょっと」

「むー。一緒に乗りたいのに」


 頬をふくらませて抗議の声をあげる。

 日月からの再三にわたる参戦要請をどうにかしのぎきった優樹だったが、代わりに『日月がメリーゴーランドに乗っている間、どこにも行ってはならない』という条件をのまされてしまう。


 ひとりご機嫌な日月を乗せて、メリーゴーランドが動き始めた。


「勇気ー!」


 優樹の目の前を通りすぎる日月が手を振ってくる。

 日月の無邪気な笑顔に、優樹は少し苦笑しながら小さく手を振ってやった。


 だがしかし、優樹は基本的なことを忘れていた。

 誰もが知っていることであろうが、メリーゴーランドはその稼働時間がゼロになるまでただひたすらに周回動作を続けるのだ。

 そう、何周も何周も。

 そのつど白馬の背にまたがった日月が優樹の目の前を通りすぎていった。


「勇気ー!」


 毎回大声で優樹の名前を呼び、笑顔で手を振りながら。


「勇気ー!」

「勇気ー!」

「勇気ー!」


 メリーゴーランドに乗っているのは小さな子供ばかりだ。

 それを見守るのは父親や母親、あるいは祖父母らしき年齢の大人ばかり。

 子供たちも自らの保護者へ向けて手を振っている。


「パパー!」

「お母さーん!」

「じいちゃーん!」


 といった声に混じって、見ため中学生の女の子がこれまた見ため中学生の男の子に向けて大声で呼びかける。


「勇気ー!」


 これはかなり恥ずかしい。

 メリーゴーランドが一周するたびに優樹の中にある何かが削られていく。

 気をゆるめると一目散に逃げ出してしまいそうだった。

 これだったらいっそのこと一緒にメリーゴーランドに乗った方が良かったのか、と思い浮かべかけた優樹はあわてて首を左右に振る。


「どっち選んでもさらし者じゃねえか」


 周囲の大人たちは微笑ましそうに見ているだけなのだが、優樹本人には居心地が悪いことこの上なかった。


 早く終われ。

 早く止まれ。

 早くここから離れたい。


 祈るような気持ちで念じ続ける優樹の願いが通じたのか、ようやくメリーゴーランドがその動きをゆっくりと止める。

 ほっと息をついた優樹のもとへ、ショートカットの少女が駆けよりざまに不満をのべた。


「なんで途中から無視するのさ!」

「恥ずかしいだろうが!」


 だが少女の反論はひどく非論理的だ。


「手を振られたら振り返さないとダメなの!」


 両腕を何度も振りおろしながら主張するさまは、小さな女の子だったら愛らしいことこのうえないだろう。

 残念ながら目の前にいるのは小さいとは言いがたい年齢の人物だったが。


「お前はどこの五歳児だ!?」


 優樹のつっこみに頬をふくらませながら少女が言い返す。


「ボクはこれでも十二歳だよ!」

「は?」

「十二歳!」

「はい?」


 ひとつふたつとまばたきをした優樹が我にかえる。


「じゅ、十二……?」

「うん。何か問題が?」


 そう言って不敵な笑みを浮かべた日月に気おされて、優樹はつまりながらも答える。


「あ、いや……、てっきり俺と同じくらいの歳かと……思ってた」


 日月は首を少し傾げて考えると、そっけなく答えた。


「ああ、複製体(コピー)だからだよ。多分」

「は? なに?」


 耳慣れない言葉に疑問を抱く優樹だったが、そんなことはお構いなしに我が道を行くのが目の前の少女だった。


「勇気。ボクお腹すいた。なんか食べようよ。……あっ、あれおいしそう! 早く行こうよ!」


 優樹の袖が細い指に引っぱられる。

 きっと遊園地を出る頃にはさぞやヨレヨレにのびていることだろう。


 日月が目をつけたのは園内のフードコートで売っているハンバーガーだった。

 全国チェーンのバーガーショップで売っている安かろう悪かろうの品ではない。

 しっかりと肉汁が閉じこめられた厚みのあるビーフパティを使った、本格的なハンバーガーだ。


 焼きたての香ばしいバンズに挟まれているのは、みずみずしく食感のあるレタスや輪切りにされたトマト。

 香辛料と調味料で無理やり味をととのえたものとは違い、ひき肉と野菜本来の旨味をそのままに味わえる本物だった。


 当然のことながら素材が良ければ完成品の値段もそれなりになる。

 ましてや遊園地の中だ。代金は通常の五割増しである。

 ハンバーガーとポテト、そしてドリンクのセットで今度は野口博士が軽やかに脱走していった。しかも二人三脚で。

 あっという間に薄くなっていく財布に優樹は人知れず恐怖する。


「はむっ」


 そんな優樹の心中を察することもなく、赤みがかったショートカットの少女は迷いなくハンバーガーにかぶりつく。


「おいしい! おいしいよ、勇気!」


 目を輝かせ喜ぶ日月を見て、優樹は苦笑いを浮かべる。


「そりゃ……、よかったよ」


 高い昼ご飯を買った甲斐があるというものだ。優樹は自分もハンバーガーをかじりながら、日月に視線を向ける。

 よほど気に入ったのか、日月は右手にハンバーガーを持ちながら左手で熱々のポテトをつまみ、そうかと思えばドリンクに手を伸ばす。そして再びハンバーガーにかぶりつく。

 忙しく食欲を満たす日月にあきれながら優樹が注意をうながした。


「おい、そんなにあわてて食べなくても――」


 と言ったそばから、日月の左手がコーヒーの入ったカップを盛大にはじき飛ばす。


「きゃっ! 熱っ!」


 右手のハンバーガーに意識を取られたまま、左手でカップをつかもうとしたのだろう。

 わずかに距離感をつかみ損ねた手がカップを取り逃した。


 あちこち引っ張り回されて汗をかいた優樹は冷たい炭酸飲料を選んでいたが、日月はあれだけ動き回ったにもかかわらず、熱々のホットコーヒーを選んでいた。

 その選択が悪い目に出て、カップからこぼれたホットコーヒーが日月の左手首にかかってしまった。


「だ、大丈夫か!?」

「う……ん。ちょっと熱かっただけ」


 日月が顔をしかめながら返事をする。

 すぐにペーパーナプキンでぬぐったものの、日月の色白な腕はコーヒーのかかった部分だけほんのりと赤みがかってきていた。


「とりあえず、これで冷やしとけ!」


 優樹はそう言うと炭酸飲料が入った自分のカップを日月に押しつけ、先ほどのハンバーガーショップへと走って行く。

 道行く人とぶつかりそうになりながらも短い時間でたどり着くと、店員相手に何かを訴えているのが日月にもわかった。

 いくつか言葉を交わすうちに、優樹の様子や店員の反応が変わってくる。

 どうやら険悪(けんあく)な雰囲気になっているようだ。


 やがて優樹はハンバーガーショップの前を去り、今度はとなりにあるアイスクリームショップの店員相手になにやら頼みこんでいた。

 だがやはり色よい返事がもらえなかったらしく、さらにとなりの串焼き屋へと足を向けている。

 どう見ても悪い意味で目立っていた。


 やがて優樹が駆け足で戻ってきた優樹の両手には、透明なビニールに包まれた氷がのせられていた。


「ほら! これ使って冷やせよ!」

「……ん。ありがと」


 ほんの少しの間、優樹の顔を呆然と見つめていた日月は、感謝を口にしてそれを受け取る。

 手首に氷の入ったビニール袋を押し当てる様子を見て、優樹はようやくホッとした表情でイスに腰かけた。

 日月はそんな優樹へ視線を移すと、いたずらを成功させた子供のようにニヤリと笑って口を開く。


「勇気」

「ん? なんだ?」

「なんかすっごく……。目立ってたよ」


 と、いっそう悪い笑顔で日月が告げる。


「へ?」


 それまではあわてていたがために周囲からの視線にも気づかなかったのかもしれない。

 だが冷静になった優樹が思い返してみると、確かに先ほどの行動は目立ってもおかしくはない。

 さりげなく周囲を見回した優樹は、少なくない人の目がこちらを向いていることに気がついた。


 とたんに優樹の顔が赤くなる。

 耳にいたってはそれこそ火傷をしたかのように真っ赤になった。


 多感な少年にとって人の注目を集めるというのはあまり嬉しいことではない。

 もちろんそれには個人差というものがあり、人によっては他人から注目されることに慣れていたり、あえてそれを望む者もいるだろう。

 だが残念なことに、優樹は人からの注目を浴びて喜ぶ性格ではなかった。

 動揺を隠せず、人の視線から逃げるようにうつむいた優樹に向かって日月が言った。


「みんな見てたよ。子供とか指さして笑ってたし」


 コロコロと笑いながらそう口にする日月を、優樹がにらみつける。


「お前なあ! 誰のためだと――」

「ありがと」

「――思ってる、ん……」

「それだけボクのことを心配してくれてたってことでしょ? 周りの目が気にならないくらいに」


 咲き誇る花を思わせて日月が笑顔を浮かべる。


「さすが勇気だよね! だって勇気だもんね!」


 まるで自慢するかのように誇らしげな声で強調する。


「よくわかんねえけど……、なんでお前がそんな自慢げなんだよ……?」

「えへへ」


 そんな優樹の問いかけに、日月は嬉しそうに笑みをこぼす。




「じゃあ今日中に残り全部、乗っちゃおうか!」

「全部は無理だ! ある程度妥協しろ!」


 お腹を満たしたふたりは――主に日月の主導で――ふたたびアトラクションのはしごを始めた。

 最初に日月が標的にしたのはバイキング。

 いわゆる海賊船を()した巨大なブランコのようなものだ。


 アトラクションとしてはわりとありふれたものだが、意外なことに順番待ちの長蛇の列ができていた。

 どうやら海賊映画とのコラボレーションキャンペーン中らしく、期間限定の大人気を(はく)しているらしい。


 待ち時間にうんざりしていると、遊園地のスタッフがカゴを持って順番待ちの客になにやら配り始めた。

 やがて優樹と日月のところまできたスタッフからふたりが受け取ったのは、映画に出てくる海賊が身につけているのと同じデザインの眼帯だった。


 いわゆる限定品というやつなのだろうか。

 おもちゃにしてはしっかりとした作りの眼帯を、行列に並んだちびっ子たちがさっそく身につけていた。

 もちろん優樹のとなりに立つ色白肌の同行者が、同じように嬉々として装着していたことは言うまでもない。


 バイキングのアトラクションで楽しそうに絶叫したあと、のどが渇いたとわめく日月にジュースを要求される。

 またもや目減りする財布の中身を憂いうなだれる優樹をよそに、日月は休む暇もなく迷路に突入していく。


「あ、行き止まりだ! じゃあ、こっちね!」

「ちょっとは頭使えよ!」


 いきあたりばったりで縦横無尽(じゅうおうむじん)に迷路内をかけずりまわる日月――と、腕をひっぱられて引きずり回される優樹だった。

 ねずみでももう少し理性的に出口へ向かうだろうに、とうんざりしてつぶやく優樹の声は彼女の耳に届かない。


 ティーカップのアトラクションではやめろと叫ぶ優樹をよそに、目の前のハンドルをものすごい勢いで日月が回し続ける。


「ヨーソロー!」

「ヨーソローじゃねえ!」


 尋常(じんじょう)ではない速度で回転する視界。

 遠心力で座席に押しつけられる体。

 目眩(めまい)を覚える脳。

 そして苦笑いを浮かべる遊園地のスタッフ達。


「すごーい! 海が見えるよ! 海が!」

「ゆらすな! 観覧車乗ってる時ぐらいじっとできねえのかよ!? お前は!」


 恋人達の定番アトラクションである観覧車に乗ってみれば、およそムードとは無縁(むえん)のふたりだった。


「じゃあ、次はあれね!」

「ほら! 勇気! はやく、はやく!」

「急いで勇気! 時間なくなるよ!」


 そして今日も優樹の一日が過ぎ去っていった。

 嵐のような少女に手を引かれながら。


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