誘惑ショコラ
夕飯を食べたあとは居間で寝転がりながらバラエティ番組を見る。
今夜の番組は、旬の芸人たちが新作ネタを披露するコント特集。
腹を抱えて笑うコントもあれば、つまらなくて「いまのうちに便所行っとこ」と思ってしまう程度のコントもある。
いま見たコントはコンビニ店員とコンビニ強盗の掛け合いもので、腹を抱えて笑うを通り越して笑いすぎて呼吸困難になりかけた。コントの時間は短くても無駄も不足も全くなく、店員のキレキレの会話に散々笑わされて、オチで更に笑った。
便所に行きたくなってからコントが始まったのだが、尿意を忘れてしまうくらい面白かった。
テレビは番組からCMに切り替わった。
コンビニコントの直後だからというわけではないだろうが、一番人気のコンビニスイーツ『初恋ショコラ』のCMが始まった。
国民的人気のアイドルグループ(だが男)が『初恋ショコラ』を片手に踊りながらキャッチフレーズを口にする。グループの人数分のCMパターンがあるらしい。高校の教室で女子たちが「何パターン見た?」「あと一つでコンプ」と騒いでいるのがウザったい。
今夜のCMは一番人気の何とか君だ。男のアイドルの名前なんか覚える気もないから、全部『何とか君』
何とか君の顔がズームアップしてキャッチフレーズを言った。
『ケーキとぼくのキス、どっちが好き?』
「ケーキに決まってんだろ」
テレビに向かって即答する。アイドル男子への反発心? ノーノー、俺はただの菓子好き男。
それを知ってる親戚のおばさんが発売直後に『初恋ショコラ』をお土産に持ってきてくれた。
濃厚なチョコの風味を味わえるチョコレートスポンジケーキでメチャクチャ旨かった。こんなのお高い洋菓子店に行かなければ手に入らないと思っていた。それがコンビニで買えるなんて。
初恋だかキスだか知らないが、俺にとっては最高のチョコケーキというだけ。
CM見たら食いたくなってきた。夜十時過ぎてるけどまあいいか。
「コンビニ行ってくる」
一応、母親に声かけた。
「はーい」
うちの親は放任で夜に出かけるのも咎められない。俺も十七歳になる今まで咎められるようなことをしていないから、だと思う。
「出かける前にトイレ行っときなさいよ」
子ども扱いすんなよ……そういや便所に行くのを忘れていた。信頼はされているはず、信頼は。
◎◎◎
俺は運が良い。思いつきでコンビニに買いに行ったのに、『初恋ショコラ』が一個だけ残っていたから。
親戚のおばさんも「大人気でなかなか手に入らない」と言っていたもんな。ならば、おばさんはどうやって三個(おばさん、母、俺)も手に入れたのかわからないが。
まあ、そんなことはどうでもいい。
最後の一個に手を伸ばしたら、それを横からかっさらわれた。
俺の目が『初恋ショコラ』を追って、横から手を出したヤツの顔をとらえた。
女だった。ふわふわの長い髪をふわふわのゴム(?なんか布っぽい)で横にまとめて、服装も大人っぽい。『きれいなお姉さんは好きですか』のCMに出てきそうな感じ。
「それ、俺が先に取ろうとしてたんですけど」
「はあ? しょんなのだりぇが決めたの? どこきゃに君のにゃまえがきゃいてあるの?」
ヤバイ。こいつ酔っぱらいだ。ろれつが回ってない。
改めて顔を確かめれば目もうつろだった。
相手が男だったら俺もここで引き下がったと思う。
だけど相手は女で、なんだかんだ言っても力押しなら負けないはずだと強気になった。力でどうにかしようとは思ってないけど、万が一逆ギレされても自分の身は守れるはずという意味で。
俺は酔っぱらい女が提げている買い物カゴの中身を見た。これから更に一杯やるつもりなのか、ビール半ダースや缶酎ハイ、柿ピー、チー鱈、その他もろもろ。激辛なんとか煎餅とか、強烈酸っぱ燻製とか、ありえない組み合わせ。
「そんな刺激物ばっかりと一緒に買われる『初恋ショコラ』がかわいそうだ」
「あ? こりぇ『初恋ショコラ』っちぇゆーんでゃあ」
ダメだ、こいつ。絶対こんなヤツに買われちゃダメだ。
「とにかく、これは俺が先に見つけて、俺が買おうとしてたんだ。あんたはそれを横取りしたんだろ」
「横どょり……うう、うえ、うえええええん」
酔っぱらい女が大声で泣き出した。
店内に響く女の泣き声。店員が「どうかしましたか」と寄ってくる。さっき見たコンビニコントの再現か? 俺はコンビニ強盗じゃないのに。
「ちょっとあんた泣くなよ。俺なにもしてないだろ」
言外に俺は無実だと主張する。
とりあえず店の外に引っ張り出せばいいかと思ったが、買い物カゴがある。
「どうすんのこれ、買うの?」
酔っぱらい女がうぇうぇ言いながら財布を俺に託した。そのまま、一人で店の外に出て行く。
俺に会計しろっていうのか? 俺が悪人で財布持って逃げたらどうするつもりなんだよ。そこまで後先考えなくなるとは、酔っぱらいってスゲー。
「すみません、お騒がせしました」
なんで俺が謝らなければならないのか納得できないが、この場を収めるために謝った。
酔っぱらい女のためにミネラルウォーターを追加して(どうせ金は酔っぱらい女の財布から出す)『初恋ショコラ』もカゴに入れて会計を済ませた。
店の外では酔っぱらい女がある一点を見つめて立ちすくんでいた。
なにやってんだろ?
俺はミネラルウォーターのペットボトルの口を開けて女に手渡した。
「一口飲めよ。酔いざましになるかわかんねーけど」
泥酔状態の経験なんかないけど、酔っぱらいに水を飲ませる様子はテレビドラマで見たことがある。
「ありがと」
酔っぱらい女がペットボトルに口を付けて傾けた。喉の動きはよくわからないけど「……んく」と小さな呻き声みたいな声にドキッとした。色っぽい? まさか。さっきまでうぇうぇ泣いてたんだぞ。
酔っぱらい女は水を半分ほど飲み下してからペットボトルのキャップをしめた。
「ケーキとぼくのキス、どっちが好き?」
酔っぱらい女が棒読みで言う。女が見ていた一点は『初恋ショコラ』の販促ポスターだった。
俺が無言でいると「どっち?」と返事を促された。
なんで見知らぬ酔っぱらい相手に答えなきゃならないんだ。
「ケーキ」
俺はコンビニの買い物袋の中から、小分けに袋入れした『初恋ショコラ』を取り出して、残りを袋ごと女に手渡したそうとした。
しかし女は受け取りを拒否する。
「『初恋ショコラ』の代金は俺が払ったから。それ以外はあんたのだから持って帰ってくれ。財布も」
いかにも女物の長財布は受け取って肩掛けカバンに入れていたが、コンビニの買い物袋は拒否。
「ほら」
再び袋を突き出したら、ようやく女の手が伸びてきた。しかしその手は袋を通りすぎて俺の首の後ろに回される。顔が寄ってきて酒臭くて俺は顔をしかめた。
唇が触れそうな距離で女が問う。
「君、彼女は?」
「い……いない」
「なら横取りじゃないね」
どういう意味かと問い返すまでもなく、俺の唇が塞がれた。
俺のファーストキスだった。こんちくしょう。
唇を離して呆然としている俺に女が再び問う。
「ケーキとぼくのキス、どっちが好き?」
「……どっちも」
「どっちもはダメ。どっちか」
酔っぱらい女は意地悪く笑う。さっきまでうぇうぇ泣いていたくせに。
俺は生まれて初めて無断外泊をした。
名前も知らない酔っぱらい女に『初恋ショコラ』ごとお持ち帰りされたのだった。