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跼天蹐地  作者: DC_DKV
6/10

6:界に囚はる

 その始まりと違い、この近くにあるという獣人の拠点への旅は順調だった。森にはウサギやシカもうろうろしていて食べ物に困ることもなかったし、天候にも恵まれた。慣れない野宿で俺が体調を崩す気配も今のところはない。

 セレステも気分が落ち着いてからはあの狂態はなりを潜め、元のツンツンした女の子に戻っていた。自分の命を握っている人がなにを考えているかよくわからないというのは、結構応える。チューチュエなるセレステの知り合いに便宜を図ってもらえなければ、俺は処刑されるだろう。かといってこのまま森を彷徨っていたり人間の領域まで脱走しようとしても野たれ死ぬのは目に見えている。結局、彼女に頼るしかない。

 この世界に来てからというもの俺は権力者の顔色を窺ってばかりだ。今の俺には勇者という肩書以外なんの価値もないからしょうがないことではあるのだろう。勇者。これほど俺に相応しくない称号もない。人間たちがなにを期待していたかは知らないが俺は自分しか助けられない人間なのだ。だから、早く日本に戻って、なすべきことをなさねばならないのに。

 罰とは思いたくない。



「ナギ、止まって」

 俺の背中でセレステが声を上げたのは一見なにもない森の中だった。

「どうした?」

「結界」

「結界?」

「えーと……呪術で張られてる、余所者の侵入を拒む領域とかなんとか……あんまり詳しくないの」

「呪術? それって魔法とは違うのか?」

「え? ぜんぜん違うけど?」

 呪術。魔法があるとは聞いていたがそれとは別のファンタジー技術があるらしい。城で俺をこの世界へ召喚した技術がなんなのかくらい聞いておけばよかった。唸っているとセレステは俺の頭をぺちんと叩く。狩りをするので精一杯で道を歩き通すだけの体力はないから、と俺に背負われてこの二日間。重くない? だの疲れたら言ってね? だのしおらしくしていたのは最初だけで、いつの間にやらにゃんにゃん文句を並べて叩き放題だ。我慢するのが筋とはいえたまに横の川にぶん投げてやりたくなる。

「それよりナギ、設定は覚えてる?」

「もちろん。俺はセレステ様が脱走する途中で捕まえた捕虜で、重要な情報を握っているためチューチュエ様に直接引き渡す必要がある」

「よろしい。チューチュエにはほんとのこと言うけど、他の獣人にはそれで通してね」

「ああ」

 事実その通りだからボロも出ないだろう。後はセレステ様の話術に期待だ。獣人の中でのセレステの扱いがどうかは知らないが、南方の獣人の長に面識があるというのだからそれほど悪いものではないはずだ。ロリだけど。口悪いけど。

「それで、大事なことなんだけど……ナギ」

 俺の背中から降り、しばらく空間を触ってなにかを確かめた後、セレステはこれまでになく真剣に俺を見つめてきた。

「これから結界を解く合い言葉を唱えるんだけど、耳を塞いでて。聞いちゃだめよ。絶対聞いちゃだめだからね」

「危ないのか?」

「そ……そう、危ないの。いい? 聞いちゃだめよ? 絶対よ? 絶対だからね?」

「ん、わかった」

 侵入を拒む領域というのだから、それなりの制約もあるのだろう。言われた通りなにも聞こえなくなるよう両手で耳を塞ぐ。セレステは俺が耳を塞いでいるかしつこいくらいに確認した後、大きく深呼吸をした。呼吸に合わせて小さな胸が膨らんだりへこんだりしている。もう十分、というところで目をきゅっとつぶり、手をちろりと舐めた。彼女のひりつくような緊張がこちらまで伝わってくる。呪術と結界か。思えばファンタジーらしいものに遭遇するのはこれが初めてだ。獣人は最初こそ戸惑ったものの、現代にいた動物の延長線上くらいの感覚だし、身体強化は目新しいものではない。せっかく異世界に来たのだし、これぐらい楽しんだっていいだろう。なにかを振り切るかのように右手を振り上げ、セレステは何事か叫んだ。いくら目を凝らしても周囲の空間に変化はない。

 もういいよ、と合図されたので耳から手を放すと、セレステは猫っぽく顔を洗い始めた。いや、猫の獣人だからまさしく猫なのか。

「これで終わりか?」

「なんでがっかりしてるの?」

「いや……」

 言われた通りにしていたつもりだがセレステの声に棘が含まれている。ご機嫌斜めの原因はわからないが、この話題には踏み込まない方がよさそうだ。

「いいから行こう」

「ああ」

 一刻も早くここから離れたい様子のセレステは俺を促すと前に一歩踏み出そうとして……ぽてんと転んだ。

「んにゃっ」

「大丈夫か?」

 近寄ろうとしたところで、踏み出した一歩がなにかに絡め取られる。まずい、と思った頃には地面が近づいていた。

「ぎにゃっ!」

 胸のあたりから嫌な音が聞こえた。おそるおそる、おそるおそる手で触って確かめてみる。

「なんで触ってんのよ! 早くどきなさいよ!」

「ごめん……って、あれ?」

 倒れた拍子にセレステを下敷きにしてしまったらしい。慌てて立ち上がろうとしたが、どうしてか俺の体はピクリとも動かなくなっていた。

「ち、ちょっと……ナギ?」

「ごめんセレステ、体が動かないんだが……これ、結界?」

「嘘でしょ……どうにかならない?」

「どうにもならない」

「耳、塞いだりとか……」

「……できない」

「……う、ううう、うううううう……」

 俺の下でセレステは悩み始めた。ほとんど動けないのか、もぞもぞ動かれるのがくすぐったい。こんなことになるなら倒れた直後のまだ動けたときに、手を動かすのではなく転がってセレステの上からどけばよかった。後悔先に立たず。

 しばらくごろごろした末に、セレステは大きな溜息をついた。

「ナギ、あのね……いい、これから私が緊急時の合い言葉を言うんだけど、忘れてね、絶対覚えちゃだめだからね、忘れてね」

「それはセキュリティとかまずいんじゃないか?」

「私専用の合い言葉だから……そんなことはどうだっていいの。忘れなさいよ? 絶対に忘れなさいよ?」

「あ、ああ……」

 先程よりもなお真剣な彼女に気圧されて俺は頷いた。忘れます忘れます絶対に忘れます、と三回約束させられて。腹の下から響いてきたのは棒読みどころかイントネーションすら消し去られた乾いた声だった。

「オネエチャンアノネセレチャンノオマタガカユイノオネガイキノウミタイニサスッテ!」

 おねえちゃんあのねせれちゃんのおまたがかゆいのおねがいきのうみたいにさすって。

 お姉ちゃん、あのね、セレちゃんのおまたが痒いの。お願い昨日みたいにさすって。

 なるほど。なるほどなるほど。

「うわぁ……」

「シャーッ! 考えなくていいの! 忘れて! 忘れなさい! 忘れるって言ったでしょ!」

「あ、う、うん……忘れるよ……?」

「なんで疑問形なのよ! 忘れて! 約束したでしょ!」

「ごめんなセレステ、俺君にそういう趣味があるとは」

「ちがーう! ちーがーうーのー! この合い言葉決めたの私じゃないから! 結界組んだショワンウーって人だから!」

「そういうこともあるんだね」

「他になにもないわよ!」

 ごめんごめんと謝ってもセレステの怒りは収まらない。合い言葉で余裕がないところに少々からかいすぎたようだ。どうにか宥める言葉を捻りだそうとしたところで、視界がぐらんと揺れた。

「う……」

「ナギ?」

「いや、なんか急に気分が悪くなって……これ、結界か?」

「ど、どうだろう……違うと、思うんだけど……」

 急な眩暈は収まる様子もなく、世界はぐるぐると揺れ動く。

「ナギ! ナギ、しっかりして!」

 腹の下でセレステが叫んでいる。だいじょうぶだよ、と意味もなく口にしようとしたところで俺の意識は暗転した。



 その日。彼と彼女の、最初の日。

「それで? どうするつもりだったの、これ」

 意識を奪われ床に転がされた彼を指さす友人に、彼女は言い淀んだ。

「どうって……利用価値は十分にあると思うけど」

「そうかしら。勇者……異世界より召喚された、人間であり、権能を持つ者。殺してしまうのが我々獣人にとっては一番無難でかつ最善の道である、というのは理解しているわよね」

「……わかってるわよ、それくらい」

 友人の言葉は獣人の南方拠点であるここホトオリを預かる将軍、ひいては獣人全体の立場から発されているものだ。それを否定してしまうことは彼女にはできない。課せられた義務から逃げ、ただただ己の過去を掘り返しているだけの彼女――セレステには。

「ただ、勇者召喚についてはわからないことが多すぎる。彼を今殺しても次の勇者が補填される可能性があるわ。彼と違って獣人に攻撃的で、権能も殺戮に有用であり、私たち獣人に致命的な打撃を与える勇者が」

「彼の人格を信用すると? それに、彼があなたに権能の全貌を見せていないということは十分考えられるわ。その本性を隠して我々の本拠地に潜入している、と考えた方がよりもっともらしい」

「であるなら、こうして捕虜になるはずがないのでは?」

「裏切りの毒はここぞというときに使われるものよ」

「そうだけど、そうだけど……」

 彼女の理性は友人を肯定している。彼を殺してしまう。そうしてしまうのが一番いいのだ。わかってはいても、それが正しいことではないと感じている自分がいる。せめてなにか、彼を助けられる理屈はないだろうか。いくら考えてもそれらしいものは思いつかない。殺してしまう。それが一番、いいことなのに。

 それでも、彼を生きさせてあげたかった。鬱陶しいくらいに話しかけてきた彼。この数日を共にした彼。あんなにも必死に縋ってきてくれた彼を。

「チューチュエ……彼に隷奴ノ輪をつけて、私がいつも一緒にいるようにするわ。いざとなったら……私が、殺す」

「あなたにそれができる? 情が移ったりしない?」

「できる」

 この手で、彼を殺す。そう考えるだけで彼女の背筋をなま温かいものが這いのぼった。逆立つ毛を撫でつけて、言葉を積み重ねる。

「それに、話してみた限り、彼はこちらの人間にそれほど愛着はないようだった。うまくやれば懐柔できるかもしれない」

「あなたが懐柔される方が先よねえ」

「そんなことないわよ!」

 ついむきになって怒鳴る彼女を友人は穏やかな微笑み一つであしらった。

「実はね、あなたが結界にひっかかったちょっと後から見てたのよね」

「えっ……ど、どのあたりからよ」

「あなたが勇者の下敷きになって喚いてるところくらいから、かな」

「んにゃっ、そ、それってまさか……」

「もちろん、聞いたわよ。お姉ちゃん、あのね」

「ち、ちょっと待って! やめて! お願いだからそれだけはやめて!」

 聞かれた。あれを。あの合い言葉を。耳を赤くして俯く彼女を友人はそっと抱き寄せた。鮮やかな朱の羽毛に包まれて彼女の肩から力が抜けていく。

「ごめんなさいね、脅したりして。実のことを言えば、勇者を捕らえたならサンプルとして生かしておくつもりではあったのよ。幸いあなたとも随分仲が良いようだし、そう強くもないようだし。殺したりしないわ」

「ほ、ほんとう?」

 顔を上げた彼女に友人は優しく微笑んでええと頷く。ただし隷奴ノ輪はつけさせてもらう、という但し書きには納得してもらうしかないが、彼も命を奪われるよりは奴隷になることを選ぶだろう。彼女がほっと胸を撫で下ろしていると、友人はくすくすと笑い始めた。

「で? あなたのことはもう話したの?」

「私のことって……いや、その、なんのことだか」

「あら。親近感を感じたからそうまで優しくしているのだと思ったけど。彼は勇者で、あなたの最大の敵よ?」

「そ、そうだけど、でもナギは……ナギは、そういうんじゃ……ないし……」

「そう、名前で呼ぶくらい仲良くなったの。忘れないよう言っておくけど彼は人間だからね。懐柔するとは言っても最低限の距離は取りなさいよ。あなたって人と関わるの下手糞だから心配なのよねえ」

 口では心配と言いながらからかっているのが丸わかりだ。当然ながら、一軍を指揮し種族間の折衝もこなしてみせるような相手に彼女が口で勝てるわけもなく。

「わ、わかってるけど、ほら、隷奴ノ輪もつけることだし」

「外せるあなたが言っても説得力ないわねえ、悲しいかな」

「う、ううう……」

「せっかく帰ってきたんだし、いい加減男の一人でも見つけて落ち着かせようと思ったのに……人間がくっついてちゃねえ。近くに男がいるからって安心してると間に合わなくなるわよ。ただでさえあなた婚期ギリギリな上に、いつまでたってもロリなんだから。ロリコンしか捕まえられないんだから妥協ってものをしなさいよ」

「今それは関係ないでしょ! ほっといてよ!」

「心配してあげてる親友にそれはないんじゃない?」

「そ、それはそうなんだけど、いやでも、今はほら、ナギのこと優先しないとだし……」

 あれよあれよと言う間に話は彼女に都合が悪い方へ転がっていく。数年ぶりのやり取りに辟易しながら、彼女は未だ意識を失って倒れている彼を見た。起きたらどうやって脅してやろうかと、八つ当たりの方法を考えながら。早く起きてほしいな、と思いながら。

 その気持ちをなにと呼ぶのか、彼女はまだ知らない。

 その日。彼と彼女の、最初の日。

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