2:王に拝謁す
この世界に召喚されてからというもの、俺の毎日はひどく単調だった。
朝はエルデ・Eに起こされて、一緒に朝食を食べて、訓練して、一緒に昼食を食べて、訓練して、一緒に夕食を食べて、水浴びをして、眠る。寝る前にちょっとだけ猫の女の子と話すのを除いて、生存に最低限必要なこと以外はすべて訓練に費やしている形である。その成果もあってか、剣と槍と弓を一通りは扱えるようになった。あくまでも扱えるという程度であって、専門に訓練している兵士には勝てないと思う。ひょっとしたら勝てたりするのかもしれないが、なにしろ相手がエルデ・Eしかいないものだから自分が彼女より弱いということしかわからない。武技を磨くのもいいが、せめて読み書きくらいは教えてほしいものだ。
そんな俺の生活に変化をもたらしたのは、重々しい鐘の音だった。
「ああ……お帰りになられたのか」
俺のことを一本しかないはずなのに三本に見えるというちょっとよくわからない槍捌きで突きまわしていたエルデ・Eは槍を収めると耳を忙しく動かしつつ跪いた。
「どうしたんですか?」
「陛下がお帰りになられたのだ。勇者殿も」
「あ、はい」
見様見真似でエルデ・Eの真似をしてみる。そうか。大層豪勢な城だと思っていたが、王、いなかったのか。俺の扱いが宙ぶらりんだったのもその影響なのだろうか。それにしては随分長いこと不在だったようだからここは別宅のようなところなのだろうか。しかしエルデ・Eはお帰りになられたと言った。でも……エルデ・Eだからなあ……
数ヶ月も延々と行動を共にしていれば互いの性格もわかってくる。このエルデ・Eは、なんというか、頭が残念な人だ。誰かと遊ぶのが楽しくてしょうがない犬だ。もしくは年下の子分を前に背伸びして偉ぶっているおねえちゃんだ。フレンドリーで扱いやすいのでそれは助かるが、物事には限度というものがある。
今のところそんな彼女としか話すことを許されていないのは、彼女が余計なことを喋れない奴だからだろう。俺を召喚した連中が情報を絞っている以上、彼女の話は実際的なものを除いて価値がないとみていい。なにしろ、残念な人である。彼女からなにかしらの説明を受けるたびに、言われたことをそのまま言ってるんだろうな、というのがひしひしと伝わってくるのだ。ぶっちゃけアホの子な彼女はあくまでも現場で剣を振るうだけの人であって、俺に用のある連中の駒でしかない。反抗するにせよ、恭順するにせよ、いい加減に自分の頭で考えられて、かつ俺が召喚された目的を理解している人間と話さなければいけないというのに。
そんな彼女は目下俺を極限まで鍛えるのが楽しくてしょうがないようだが、そのおかげで他のことが頭からすっぽ抜けている感がある。想像だが彼女は俺の監視業務なんかも担っていたんじゃないだろうか。盲目だから、と理由づけするのは好きじゃないが、彼女の感覚は異様に鋭い。挙動は見えていないとは思えないほど達者だし、俺が一度訓練を少しでも先延ばしにしようと城の通路を遠回りに歩いていたら、すぐさま現れて「迷子になってはいけないぞ勇者殿」と笑顔でのたもうた。気配だけで俺がどこにいるかわかったらしい。別に脅しではなく、本心で迷子になったと思っていたようなのが救いではある。
そんな彼女がいる城から脱走などできるはずもないし、なにか不穏な行動に及ぼうとするだけで察知されるはずだ。それに、俺が感知できないだけでなにかしらの監視体制に置かれているのはほぼ間違いない。氏素性の知れない人間を連れてきて思い通りに働かせようというのだから、さすがにそれぐらいのセーフティはかけているだろう。
……別に監視なんて必要ないけどな。ほんと訓練しかしてないし。エルデ・Eが四六時中横にいるし。本人は監視してるつもりもないんだろうが。脱走にしても反逆にしても、情報が足りていない今では自殺行為だし。特にする必要性も感じないし。
「勇者殿、もういいぞ。訓練を再開しよう」
エルデ・Eの声に顔を上げると、彼女は既に槍をぶんぶんと振りまわしていた。最近あまり驚けなくなってきたが穂先が目で捉えられる速度を突破している。これ俺に向けるんじゃないだろうな。さすがに死ぬぞ。
「あ、はい……ちょっといいですか」
「なんだ?」
「陛下って……」
「王様だ」
「……どんな方ですか?」
「髭が長いぞ」
「……」
テメーいい加減にしろよ、と槍で殴りかかりたくなったが、そんなことをしても「不意打ちは感心しないな勇者殿!」と地面に吹っ飛ばされるか空に吹っ飛ばされるかだ。猫の女の子との会話も似たようなものだが、あちらは知性を感じる応答なだけまだマシである。
「勇者様、地狼様!」
俺が覚悟を決めて槍を構えたところで、城内から召使いらしき女性が走ってきた。
「なんだ」
さあこれから、というところで中断されたのが気に入らないのか、エルデ・Eは不満げだ。
「はい。陛下が勇者に参上をとの仰せで、つきましては勇者様のお召し替えを」
「今からか?」
「何分失礼があってはならないことでございますから」
「そうか……そうだな。勇者殿」
厳めしく、しかしながらとても残念そうにエルデ・Eは俺を促す。俺には会話に入る権利もないんだな。別に何を話すというものでもないが。
「わかりました。また明日よろしくお願いします」
「ああ。勇者殿、国王陛下の御前では失礼のないようにな」
「はい」
装備一式をエルデ・Eに預け、俺は城内に入る。振り返ると彼女は手に槍を持ったまま、下を向いてぼんやりと突っ立っていた。
そんな姿を見て、俺が来る前の彼女はなにをしていたんだろうと、ふとそんなことを考えた。
いつもより早い湯浴みを済ませ、この日の為に用意されていたという服の着付けをする。細かな箇所の調整を終えた後に、自分の部屋へ案内される。疲れが見えるようではいけないので休んでいろとのことだった。
合間合間に使用人たちに話しかけてみたのだが、相変わらず必要最低限のこと以外は曖昧な笑顔で封じられてしまう。正直、気分が悪い。せめてもう一人、あの狼女以外の話相手を用意してほしかった。別に彼女が嫌いなわけではないのだが……まあ、うん。物事には限度というものがある。
「ご主人様?」
部屋に入ってきた猫の女の子が不思議そうな声を出す。そんな顔は初めて見たな。
「ああ……今日は陛下にお会いすることになってさ、それまで休んでろって」
「そうですか」
「俺、この世界に来てからこんなになにもしないの、初めてだ……いっつも訓練してたからなー」
「そうですね」
そう頷く彼女に手招きして、ベッドの縁に腰かけている俺の隣に座らせる。小さな足と一緒に尻尾がゆらゆらしていた。
「なあ」
「はい」
「名前……やっぱり、教えてくれないか?」
「どうして私の名前を知りたいのですか?」
「いや、なんか……俺、こうして話すの、君しかいないから……誰も口きいてくれなくて……」
「え」
俺の一言に目を見開いた彼女は、慌てて上を向いた。硝子のように無機質な外見に反して彼女には感情がないわけではない。抑えているというか隠しているというか、そんな感じだ。いつも俺の前では作ってるけど、たまに素が出てるしな。それも演技かもしれないが。
「だ、だめ……かな……」
「命令しますか?」
「……それは、しない」
「そうですか」
ここ数カ月俺としては精一杯のコミュニケーションを図ってきたつもりだったのだが、やはり名前を教えてくれるところまでは信頼してもらえていないらしい。なんだかどうでもよくなって、ごろんと寝転がった。
「聞いていいかな」
「なんなりと」
「その……首輪、それってどういう魔法がかかってるのか、教えてくれないか。そもそも俺、魔法があるらしいってことくらいしか聞いてないんだけど」
王の謁見を控えた緊張からか、俺はついそんなことを口走っていた。俺の世界では奴隷と聞いていいイメージはないし、おそらくこの世界でもそうだろう。とはいえ、俺はこの世界ではまだ新参者だ。よくないとか気に入らないとか、そういうことを言える立場ではまだない。エルデ・Eに聞いたってどうせまともな答えは返ってこないとはいえ奴隷である彼女にそういうことを尋ねるのは気まずいからやらないでいたのに。
危惧に反して猫の女の子はすらすらと答えてくれた。
「これは隷奴ノ輪と呼ばれています。着用者に設定された主の命令を強制します。私の隷奴ノ輪はご主人様を主として登録されています」
「そういうものなのか……だからいつも命令するかって聞くんだな」
「はい」
頭を上げて様子を窺う。と、俺を窺っていたらしい女の子とばっちり目が合った。薄青の瞳の中で縦長の瞳孔が収縮する。
「あはは、ごめんごめん」
「別に謝るようなことではありません」
つんと澄ましてそんなことを言っているが、その後ろで尻尾がびんびんに逆立っていた。驚く以外の反応もどうにかして見たいが、それは地道に話して信頼関係を築くしかないか。無表情なのは首輪のせいじゃなくて彼女の意思であるということもわかったわけだし。
「なあ」
「はい」
「触っていい?」
「え?」
「しっぽ」
「……嫌です」
「どこならいい?」
「……触りたいんですか、ご主人様」
「耳とか」
「嫌です」
「背中とか」
「嫌です」
「肉球ってあるの?」
「ありますけど嫌です」
「しっぽ」
「先程も言いましたが、嫌です」
「おなか」
「すごく嫌です」
「おし……いや、さすがにやめておこう」
「賢明です」
「おしり」
「言うの!?」
おお、ツッコミが来たぞ。俺の話術も捨てたもんじゃないな。
しまった、と狼狽を露にする彼女があまりにおかしくて、俺はにやにやしてしまう。そうそう、これ。こういう会話が欲しかったんだよな。
「今のはここだけの秘密な」
「……なんのことか、わかりかねます」
つれない一言だけおいて彼女はベッドから降りてしまった。起き上がって謝ろうとしたところで、部屋にノックの音が響く。
「勇者様、そろそろお時間です」
「わかりました。今行きます」
兵士らしき声に返事をして、頬を叩いて気合を入れる。これから正念場だ。俺をどうしてこの世界に呼んだのか、その本当の理由を聞きださないと。
「じゃ、行ってくるな」
「行ってらっしゃいませ、ご主人様」
ちょっとの間にすっかり自分のペースを取り戻してしまった猫の女の子に手を振って、俺は外に出る。
そこで一呼吸置いた後、徐にさっき閉めたドアを開いて中を覗く。
さっきのしおらしい態度はどこへやら、猫の女の子は扉に向かって思いっきりエア猫パンチをかましているところだった。
「にゃっ……」
「……ぶふっ」
完全に固まった気の毒な猫をほっといて、俺は今度こそ部屋を離れた。
護衛の兵士に先導されて、長い廊下を歩く。日頃俺が歩くことを許されている通路と違って空気に土臭さがない。俺や他の騎士たちのように訓練を終えてそのまま場内を歩くような連中が通らないのだろう。
「少しだけ、いいかな。歩きながらでいいんだ。重要と言えば重要だがそう大したことでもないんだが」
「はい?」
護衛の兵士に勇気を出して話しかけてみるとまともな返事がもらえた。
「こちらの礼儀作法を一切教えられていないんだが、王の御前ではどう振る舞えばいいんだろうか。礼を尽くすつもりではいるんだが、なにぶんわからないことばかりで。これだけはいけない、というようなことはあるだろうか」
日常の疑問はだいたいあの二人にぶつけたが、こればかりは普通の人間に聞きたかった。「人間のやりかたは知りません」はしょうがないにしても「勇者殿なら大丈夫!」はな。もうほんとな。高い地位についているようだしいざとなったら庇ってくれよ地狼様。
「素直に申告すればよろしいかと。陛下は頑迷なお方ではございません」
「ありがとう」
「いえ。勇者様の心遣いには感服いたしました。そのお心を忘れなければ問題はないでしょう」
やはり素直に話して無難に振る舞うしかないか。ないとは思うがここまで来て無礼討ちされたら涙も出ない。俺をどうして呼び出したのか、具体的に何をさせたいのか、どうしたら元の世界に帰れるのか。他にも聞きたいことは山ほどあるが、とりあえず抑えるべきはこの三点か。迂闊なことを言わなければ全部曝け出してしまったっていいわけだしな。なんの企みがあるでなし。
辿り着いた謁見の間は映画のセットのようで、しかしスクリーンのそれではない、確かに使われている場所の質感があった。奉る者と受ける者と、地位の差を明示するための場所。居並ぶ護衛の兵士たちを意識しつつ、その絨毯に跪く。
どうでもいいが謁見の間にいる偉そうな人は全員髭が長かった。俺はいらっとした。
「よくぞ来た、勇者よ。余はイュンヤング王国が統治者、イュンヤングである」
「はっ」
玉座にかけていた老人が立ち上がり、杖の先をこちらに向ける。少しだけ残っていた余裕が吹き飛ばされた。さすがに本物の王様は格が違った。話しかけられるだけで肌がぴりぴりする。
「勇者よ――この世界は、滅びを迎えておる。我ら人と彼奴ら獣人どもとの終わりなき戦。それによって枯れゆく大地。穢れゆく空。言おう、そなたには絶望を討ち滅ぼす光となってもらいたい」
「王の眼を疑うわけではございません。しかしながら、私に何ができますでしょうか……?」
「勇者よ、お前を選んだのは余ではない、世界だ。世界がそうであると言うのならそうなるのだ。そなたは全力を以て委ねればよい」
口の中がからからに乾いていた。ここには見知った顔など一人もいない。みんな人間だ。エルデ・Eはいない。どんなに頼りにならなくても、ここにいてくれれば少しはましなのに。
「王よ、私は役目を果たしたならば……」
「安心せよ、帰るも留まるも可能と聞いておる」
「……ありがとうございます」
王はそれを聞くと満足そうに頷いて座った。同時に背後でドアが開く気配がする。退出せよ、ということだろう。一刻も早くこんな場所から逃げ出したかった俺はありがたくそうさせていただいた。
部屋ではエルデ・Eが待っていた。
「勇者殿、ご苦労であった」
「失礼はなかったと……思うんですけど」
「勇者殿なら大丈夫!」
あれほどむかついた言葉も、もう一度笑顔で言われるとそんな気がしてきてしまうから不思議なものだ。彼女が持ってきてくれた林檎のような果物をありがたく頂く。気配りもできるんだな、などと失礼なことを考えつつ、俺はほんのりと上品に甘いその果物を楽しんだ。
「聞いてもいいでしょうか」
「なんだ、勇者殿」
訓練が変わるのは明後日からだからな明日は一緒だからな、とちょっぴり悲しそうにエルデ・Eは言った。基礎体力はもう十分にある。ここからは彼女ではなく人間に教わることになるのだろう。だから最後に聞いておく。
「あなたは……何者ですか?」
この城内で俺が見たことのある獣人はエルデ・Eと猫の女の子だけだ。その他はすべて人間だった。謁見の間の顔ぶれと王の言葉からしてここは人間の国なのに間違いない。では、どうしてエルデ・Eのような獣人が要職についているのか。
俺の質問にエルデ・Eは一瞬怯んだが、すぐに胸を張って答えた。
「自分はイュンヤング王家に代々仕える地狼の当主だ。地狼の権能、その証である『E』の称号を代々引き継ぎ、王家を守護している。容姿こそ同じだが、獣人と一緒にしてもらっては困る」
「エルデが名前で、Eが称号だったんですね……獣人と戦争をしてるんですか?」
「そうだ。獣人は人間を喰らい畑を焼く害悪だ。滅ぼさねばならない」
いつもの底が抜けた明るさとは違う、骨を削ぐような武人の鋭さでエルデ・Eは言い切る。
「そうですか……」
「勇者殿もそのために呼ばれたのだ。自分の訓練が勇者殿の助けになるよう願っている」
では、と一礼してエルデ・Eは去っていった。
ベッドに横たわり、天井を見上げる。
猫の女の子は今日はもう来ないだろう。それでよかった。一人になりたかった。
城内の様子と猫の女の子を奴隷にしていることからして獣人と戦争をしているのだろうとはなんとなく見当がついていた。獣人。エルデ・Eが特別なのではない。猫の女の子がそうであるように、一般の獣人も外見こそ違えど中身は人間と同じだ。
それらを殺せという。
お前はそのために呼ばれたのだと、そのために訓練をしてきたのだとエルデ・Eは言う。
あれほどまでに甘かった果汁の後味は少し苦かった。