黒翼の賢者 Ⅰ
この話には軽いものですが
(言葉による)いじめを思わせる表現
戦闘描写
が含まれます。
話のうちの、極わずかではありますが、苦手な方はご注意ください。
-Light and Dark―光と闇の物語
「黒翼の賢者」
世界暦1608年、秋
近海の東南に位置する島。
その島は火山と、その辺に流れる川を利用した技術で栄え、古くから火の神を祭っている。
そのためここは、「火の島」と呼ばれている。
物語の始まりは、その山の中に、一人の幼児が迷い込んだところからだ。
「……こわくなんかない、こわくなんかないんだ……」
緑色の髪を伸ばし、それを後ろで一つに束ねている幼年の男の子が、木々が茂る山の中を、べそをかきながら一人で歩いている。
「こわくなんか……。やっぱりこわいよー」
もう山に入ってから四時間ほど経過している。山の日は早い。すでに辺りは暗くなってしまった。
「どうしよう……」
辺りを見回しても、見えるのは山の木々のみ。
「だ……だれかー!」
男の子が叫ぶと……
ガサッと、近くの茂みから音がした。
「な…なに……?」
男の子がその音に足を止めると…
「わぁ!」
突然茂みからナニかが飛び出し、男の子に襲い掛かる。
「わ~っ!!」
ナニかの牙が、男の子をとらえようとしたその瞬間!
「――っ!!」
意味のよくわからない不思議な言葉が聞こえ、そのナニかが切り傷を作り血を散らせながら吹き飛ばされた。
返り血が、男の子の肌を汚す。
「あ……」
男の子が恐怖に体を震わせる中…ナニかは目に見えないなにかにまた切り刻まれると、動かなくなり、やがて消滅した。
「やっと見つけた」
後ろから、そのナニかを倒したのだろう者の声がする。
恐怖で気を失いそうになる男の子が、月明かりのなかに見たのは……。
十歳児程の自分より少し大きい背丈の体と…その背に付いた、黒い、大きな翼だった。
「……と、まぁ、そういったことがあって、木の実拾いに山へ入り、道に迷ってしまった僕は、無事に家へ帰ることができたんですよ」
世界暦1617年、秋。
火の島。この世界唯一の魔法使い輩出機関、「ルビファン魔法技術学校」の学生寮の談話室。
そこで、肩程まで伸びる豊かな緑色の髪を下ろした少年が語っていた。
「へぇ。その男の子が、九年前、五歳だったセンパイなんだ?」
「まぁ、そういうことですね」
少年の前には、紫色の髪の少女がいた。
少年を「センパイ」と呼ぶ彼女は、明らかに少年よりも年上だ。
「それより、ロディー、僕のことは『イオ』でいいですよ。あなたの方が年上でしょう?」
少年―イオは、少女―ロディーに笑いかける。
ロディーはその言葉に肩の力を抜くが、苦笑いを浮かべて答える。
「あ、いやぁ、そうなんだけどぉ……。あたし、去年ここ入ったばっかだし、生まれたときからこの学校で魔法に触れてきたイオさんは、やっぱセンパイだよ」
そう、イオは、この魔法学校の学校長で、同時にここ火の島の村長でもある男の息子で、生まれたときからこの学校で育ってきた優等生なのだった。
「センパイはすごいよ。その歳でもう中級だし。そこらの大人にも負けないでしょうね」
ここの生徒は個々の実力で三つの級―上級、中級、初級―に分けられ、それに対応した部屋を与えられる。
「そんなことはないですよ。…じゃあ、そろそろ部屋へ戻ります。また」
「は~い。また、この国での話聞かせてくださいね~」
イオは、謙遜してから、静かに自室へ戻る。
ロディーに見送られながら、彼は静かな笑みを浮かべた。「謙遜」したが、内心彼は喜んでいたのだ。
ロディーの言うとおり、下手な大人より、よっぽど自分のほうが魔法において優れている自信があった。
まだ若すぎるから、上級にはなれないというだけで。
でも、まだまだだ。かつて自分を助けてくれた魔法使いのようになる、それが彼の目標だった。
「今は、もう二十歳前くらいになってるのかな?」
「父上、用事とは何でしょうか」
イオは、父である長に呼び出されて長の私室に呼ばれていた。
「おぉ、イオ。来たか。…実は、客人が来ていてな。私の友人だ。滞在の間、慣れない地でのサポートを、お前に頼みたい」
「父上の…客人?」
尊敬する父の客人…しかも友人であるという。一体、どんな人物なのか……。
イオは、期待を孕んだ目で、その客人を出迎える。
「イオ。私の友人、ライだ」
父の紹介と共に現われたのは、どう見ても自分より年下の少年だった。
「……え?」
「ライ、これは私の息子、イオだ。困ったことがあったら、これに聞いてくれ」
「…わかった。気遣いに感謝する」
ライは口数少なく、イオに軽く目をやる。
「え、えと……。当校の中級クラス所属、イオ=グレネードです」
イオは少し虚勢を張るような意味もあって、「中級」を強調して名乗った。
「……ライだ。よろしく」
しかしライは、特別な反応は見せない。
「イオ、早速だが、ライを部屋へ案内してやってくれ」
「わかりました……」
ライのことはちょっと気に入らないが(尊敬する父と対等に口を利いている時点でアウト)、父の言い付けは絶対なのだ。
イオは、しぶしぶライを案内する。
「この階が学生寮だ。この廊下のつきあたりは談話室、クラスに関係なくすべての生徒が自由に出入りできる。そこを左に曲がった先は階段。降りると一般の総合受け付けがある。それから…この十字を左に曲がって…右手の一番奥がライ、君の部屋だ。僕の部屋は廊下を挾んで向かいのここ。何かあったら訪ねてきて構わない。…こんなとこかな、とりあえず」
イオがしぶしぶではあるが丁寧に説明しながら部屋まで案内する間、ライは黙って後を付いてきた。
なんだかんだ言いつつ、手が抜けない性分なのだ。
「……中へ入ろうか」
父にそこへ案内するようにと言付かった、もう何年も使われていない部屋。一緒に渡された鍵でドアを開ける。
「―っ!」
中を初めて見て、イオは思わず声をあげそうになった。
(僕の部屋よりよっぽど広い…。まさか…これは上級クラスの生徒の…?)
「ねぇ。中、入らないの?」
ここへ来て、ライが初めて声を発した。
「あ、悪い」
イオは急いで中へと入る。
「部屋のことで、何か聞きたいことは?」
「……ない」
ライは静かに、部屋を見て回る。
「そっか、それはよかった。……一つ聞いていいかな?」
「何?」
ライは歩みを止めて、イオの方を向く。
「あの…。君、いくつ?あと、なんて呼べばいいかな?」
「質問、二つになってる」
「あ。気にしないでよ、このくらい」
「……歳は十一…だったと思う。呼び方は…ライでいい、とりあえず」
ライは、無表情でそう言った。
「とりあえず?……そっか。じゃあ、ライ。よろしく」
イオは精一杯の笑顔を取り繕って、手を差し出す。が、
「……なに?」
ライはただ差し出されたイオの手を見つめるだけ。
イオは怒りを堪えて笑顔を崩さず答える。
「何って、握手だよ。知らないの?」
ただし、ちょいとばかし皮肉を混ぜることも忘れない。
「握手……。よろしく」
ライは少々戸惑いつつ、イオの手を取る。
「じゃあ、僕は部屋に戻るから」
イオは手を離しドアの方に向き直ると、廊下へ出た。
「……イオ!」
それを、ライが呼び止める。
(あいつ……今、呼び捨てに……)
しかし、そんな気持ちは一切表情に出したりしないで答える。
「なんだい?」
「魔法に関する文献が置かれた部屋はあるかな?」
「魔法文献?」
「うん。読みたいんだけど」
「……普通の読書本とかだったら談話室の本棚に結構あると思ったけど…。魔法文献は、各自の所有物だから……」
「そうか……」
口調は気に掛かるものの、その残念そうな顔は十一歳だという歳相応の幼いものだった。
「……僕のでよければ、貸せられるけど?」
「本当に?!いいのか?!」
「あ、ああ……」
不意の笑顔。いきなり見せられた幼い顔に、毒気を抜かれてしまう。
「……本が読みたくなったら、僕の部屋に来るといい」
「ありがとう」
「……。―っ!じ、じゃあ、もう行くからな」
気に入らないはずなのに、思ってもみなかったことを口にしていた。そんな自分に驚き、イオは、半ば逃げるようにそこを去った。
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