6.砂糖細工の壊れる音、あるいは沈黙の拒絶
「……え? 莉央ちゃん、まだあの約束のことを……?」
隣家の玄関先、湊の母親は困惑したように眉を下げた。
夜の冷気が、パジャマの上に羽織った莉央の肩を刺す。莉央は縋り付くような思いで、あの日——砂場での結婚の約束を口にしたのだが、返ってきたのは、自分の母親と同じ「過去の笑い話」としての反応だった。
「だって、莉央ちゃん。あなた、学校では凄く人気者で、部活の子たちとも楽しそうにしていたでしょう? 去年のバレンタインだって……」
「……あれは、その、湊に恥ずかしいものを渡したくなくて……っ」
「あの子には、うちを経由して市販のチョコをくれたわよね。でも、お母さん同士の噂で聞いたの。莉央ちゃんが学校では、他の男の子たちに一つずつ手作りの可愛いラッピングをしたチョコを渡して歩いてたって。だから……湊も私も、あの子へのチョコは、ただのご近所付き合いの『義理』なんだって思っていたのよ」
「違う……違うの、おばさん……!」
莉央は玄関先で膝をつき、嗚咽を漏らした。
「私はずっと、湊だけだと思って振る舞ってきたのに。湊が私を待っててくれてるって、勝手に信じて……っ。なのに、どうして、みんな湊を諦めろって言うの……っ」
湊の母親は、黙ってその泣き声を聞いていた。しかし、その眼差しに同情はあっても、かつての「未来の義母」としての甘さは一切なかった。
「莉央ちゃん。湊がどうして、今の『水瀬さん』と呼ぶ距離感を選んだか、教えてあげるわね。あの子……高校に入ったばかりの頃、あなたのことを何度も話していたわ。でも、あなたが他の男の子たちに囲まれて笑っている姿を何度も見るうちに、自分の入る隙間なんて最初からないんだって、そうやって自分を納得させて……夢に逃げたのよ」
「え……?」
「あの子、最近ね。バイト先の店長の娘さんの話をよくするの。専門学校に通っていて、同じパティシエを目指している、一歩先を行くお姉さん。湊は今、その人と夢を語り合うのが一番楽しいみたい。親としてはね、あの子が同じ志を持つ人と、前を向いて歩くのを応援してあげたいのよ」
追い打ちをかけるような言葉に、莉央の視界が歪む。
『店長の娘』。共通の夢を持ち、自分にはない「湊と同じ時間」を共有する存在。
「……そもそも、莉央ちゃん。あなた、湊と最後にまともに会話をしたのはいつ?」
その問いに、莉央は絶句した。数ヶ月、半年……。いや、記憶にある「温かな会話」は、もう年単位で遡らなければ見つからない。
母親も、親友も、そして湊の母親さえも。
自分だけが止まった時間の中で、腐りかけた砂糖菓子のような約束を抱きしめていたのだ。
「……ごめんなさい……っ、ごめんなさい……っ」
莉央は顔を覆い、子供のように泣きじゃくった。その様子を見かねたのか、湊の母親は静かにため息をつき、最後の手向けのように告げた。
「わかったわ。後日、一度だけ、湊と二人きりで話す機会を作ってあげる。……でも、それが本当に最後よ。莉央ちゃん、十分に覚悟ができたら教えて。その時まで、あの子には何も言わないでおくから」
莉央は返事もできず、ただ震える体で頷くしかなかった。
差し出された「最後のチャンス」は、希望というより、引導を渡されるための舞台のように思えてならなかった。




