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20.三原色のカノン、あるいは溶け残った甘い約束

二学期の喧騒が戻った校庭に、驚きと戸惑いの声が広がるのは必然だった。

「一軍」の象徴だった莉央が、休み時間のたびに「地味な職人」と揶揄されていた湊の教室を訪れるようになったからだ。その隣には、いつも通り涼しい顔をした結衣もいる。


「……たく、結局こうなるのかよ。湊、お前あんなに苦労して昇華したって言ってた癖にさ」

海斗が呆れたように肩をすくめ、湊の机の端に腰掛ける。

「いいじゃない、海斗くん。湊が『本当の自分』を取り戻したんだから、外野がとやかく言うことじゃないでしょ?」

結衣が茶化すように応戦し、莉央はおっとりと、けれど幸せそうに目を細めて笑う。

「ふふっ、海斗くん。湊のことは、もう誰にも渡さないからね?」

「はいはい、ごちそうさま。……湊、お前もなんか言えよ」

「……悪いな、海斗。でも、これが俺たちの出した答えなんだ」

湊は少しだけ困ったように笑い、手元のレシピノートを閉じた。四人の笑い声が、かつて断絶していた「カースト」の壁を、軽やかに飛び越えて教室に響き渡る。


放課後の『ベル・エキップ』。

そこには、以前にも増して熱量を帯びた、湊と香織の議論があった。

「……湊くん。君のあのお菓子作りの『空白』を埋めたのが、私じゃなかったのは正直、悔しいわ」

香織は、焼き上がったばかりのスポンジの弾力を確かめながら、独り言のように零した。

「でも、パティシエとしての君の『未来』を預かっているのは私よ。そこだけは、絶対に譲る気はないから」

「……はい。よろしくお願いします、香織さん」

湊の真っ直ぐな返答に、香織は凛とした笑みを浮かべる。


「あーあ、二人で世界作っちゃって。私も混ぜなさいよ」

そこへ、ホールから戻った結衣が割って入った。

「私ね、決めたの。湊くんが将来自分の店を持った時のために、経営やマネジメントを本格的に学ぶわ。私はあんたの『現在』であり続けるって決めたんだから」

「えっ、結衣……経営を?」

「驚いた? あんたみたいな職人気質、誰かが手綱を握ってあげなきゃ店なんて潰れちゃうでしょ」

結衣の宣言に、湊と香織は顔を見合わせて驚き、やがて可笑しそうに笑った。


客席には、部活帰りの莉央が頻繁に顔を出すようになった。

「湊、今日の新作も美味しいねっ! でも、結衣も香織さんも、湊に近すぎだよぉ……」

「莉央さん、これは仕事なの。公私混同しないで」

「そうよ莉央。私は今、湊くんと『現在』を共有してるんだから」

カウンター越しに繰り広げられる、華やかな三人の攻防。その中心で、湊は肩をすくめながらも、以前よりもずっと力強い手つきで泡立て器を動かし続ける。


家では、湊と莉央の母親たちが、二人から「おばあちゃんとの約束」の真実を聞かされ、ハンカチを濡らしていた。

「……ごめんなさいね。あの子たちの決意が、そんなに深いものだったなんて。私たち、邪魔ばかりして……」

「いいのよ。これから、あの子たちが歩む道を、今度こそ私たちが一番近くで応援しましょう」

二つの家族を繋いでいた糸は、後悔を糧にして、より強固な絆へと編み直されていった。


そんな慌ただしい日々の中、久しぶりに二人きりで帰る下校路。

西日に照らされた長い影が、ゆっくりと歩道を並んで進んでいく。


「……莉央。これ、持ってきたんだ」

湊がカバンから取り出したのは、丁寧にラッピングされた、あの「ラング・ド・シャ」だった。

「わあ……っ、おばあちゃんの!」

莉央は目を輝かせ、一枚を大切そうに口に運ぶ。サクッという軽い音と共に、バターの香りが二人の間に広がった。


「……おいしい。やっぱり湊のお菓子は、世界一だね」

頬張る莉央の顔には、かつての「作り笑い」ではない、心からの、あの日約束した太陽のような笑顔が溢れていた。


湊が最終的に誰の隣を選ぶのか、あるいは誰も選ばず夢に生きるのか――。

その答えは、まだ誰にもわからない。

けれど、二人の小指の先には、今も目に見えない「あの日の約束」が、思い出の味と共にしっかりと結ばれていた。

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