2.溶けない砂糖の約束、焦げ付く独占欲
「……えっ、あ、もしかして。莉央の幼馴染の……湊くんだよね?」
有名洋菓子店『ベル・エキップ』の厨房。ステンレスの台を磨いていた瀬戸 湊は、聞き覚えのある名前に手を止めた。振り返ると、今日から接客のアルバイトとして入ったばかりの女子生徒——莉央の親友である、佐伯 結衣が目を丸くして立っていた。
「あ……。うん、そうだよ。佐伯さん、だっけ。莉央の友達の」
湊は少しだけ気まずさを感じながらも、作業の手を休めて律儀に一礼した。
「よろしく。厨房は戦場みたいに忙しいけど、表の接客も大変だと思うから。何か困ったら聞いて」
「……あ、うん。丁寧だね、湊くんって。莉央からは『昔からの腐れ縁で、最近は全然喋ってない』って聞いてたから、もっとぶっきらぼうな人かと思ってた」
結衣はどこか意外そうな、それでいて興味深げな視線を湊に向ける。
湊は苦笑いしながら、手際よく絞り袋の準備を始めた。その無駄のない動き、真剣な眼差し、そして客への敬意を忘れない誠実な受け答え。
「コミュニケーションは大事だからね。美味しいお菓子を届けるには、チームワークが必要だし」
そう言ってはにかむ湊の横顔に、結衣は一瞬、言葉を失った。
数日後。放課後の部室棟の裏で、結衣は莉央を呼び止めた。
「ねえ、莉央。あんた、ちょっとマズいよ」
「ええっ? なあに、結衣。いきなり怖い顔して……。私、何か忘れ物でもしたかなぁ?」
莉央は首を傾げ、おっとりとした口調で聞き返す。陸上部の練習上がりで上気した頬が、夕日に透けていた。
「湊くんのことだよ。バイト先の大学生のお姉さんたちがさ、みんな湊くんのこと狙ってるよ? 『真面目で可愛いし、将来有望なパティシエの卵だ』って、もう大人気なんだから」
その言葉を聞いた瞬間、莉央の動きが止まった。
「……え? なんで? 湊は、私と将来結婚するんだよ……?」
「はあ!? それって幼稚園の頃の約束でしょ? あんた、本気で言ってるの?」
「本気だよお……。だって、湊は嘘つかないもん。私が『お嫁さんにして』って言ったら、湊、ちゃんと頷いてくれたんだから」
莉央は至極当然のように、ふんわりとした笑顔で返した。だが、結衣の冷ややかな指摘が容赦なく飛ぶ。
「あのね、あんた。他の男子とあんなに仲良くしてたら、湊くんだって距離置くって。バレンタインだってそう。あんた、他の人には手作り配りまくってたのに、湊くんには市販のチョコを親経由で渡しただけでしょ? それ、どう考えても脈なしサインだよ」
「それは……だって……」
莉央の声が少しだけ震える。
「湊はパティシエを目指してるんだよ? 私みたいな素人の手作りなんて、恥ずかしくて渡せないよお……。他のみんなに渡したのは、業務用チョコを溶かして固めただけの、すっごく安い安いやつだもん。湊には、失礼なもの渡したくなかったんだよぉ」
「それ、本人に言わなきゃ伝わらないから。……ねえ、莉央。最近、湊くんと最後にまともに喋ったの、いつ?」
結衣の問いに、莉央は記憶を遡る。
……一ヶ月前? いや、二ヶ月前。廊下ですれ違った時に会釈をしたのが最後だろうか。
湊は確かにあの時、悲しそうな顔もせず、ただ「普通」に、遠い親戚に対するような穏やかな微笑みを浮かべていた。
『昔は好きだったよ。でも現実はそんなもんだよ』
湊の心の中で、あの幼い日の約束は、すでに美しく梱包された「思い出」という名の棚にしまわれている。
莉央の背中に、冷たい汗が伝った。
目の前の結衣の瞳に、自分と同じような——いや、もっと熱を帯びた「好意」の光が宿り始めていることに、莉央はようやく気付いてしまった。
「あ……。うそ。待って、結衣……。湊は、私の……」
「早い者勝ち、かもよ?」
結衣が冗談めかして笑う。だがその目は、決して笑っていなかった。




