表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/21

12.三位一体のルセット、あるいは現在地の証明

決戦の前夜。街灯の青白い光が、公園のベンチに座る二人の影を長く伸ばしていた。

結衣は、自分の吐息が震えているのを自覚していた。昨夜から一睡もできず、脳裏を焼き尽くしたのは莉央の「過去」への執着と、香織の描く「未来」の輝き。そのどちらにも居場所のない自分を、彼女は許せなかった。


「……急に呼び出して、ごめん。湊くん」


隣に座る湊は、怒る風でもなく、ただ静かに夜の闇を見つめていた。その横顔があまりに完成された「大人」に見えて、結衣は焦燥感に駆られるように言葉を紡ぎ出す。


「バイトを始める前、莉央から時々あんたの話を聞いてた。その時は、ただの幼馴染の惚気だと思って、笑って流してたんだ。……でも、バイト先で初めてあんたと話して、その真面目さに触れて。学校の誰よりも真摯に夢と向き合うあんたを見て……気づいたら、目が離せなくなってた。この気持ち、莉央にも伝えてあるから」


結衣は、膝の上で拳を固める。

「私は、莉央みたいな『過去』の共有者じゃない。……でも、私はあんたの『現在』になりたい。今、隣で同じ汗を流して、同じ景色を見てる私を選んでほしい。……それが、どれだけ卑怯なことか分かってても」


湊が唇を開き、何かを答えようとした。その瞬間、結衣は弾かれたように叫んだ。

「待って! 言わないで!」


沈黙が、重く二人の間に横たわる。遠くで走る車の走行音だけが、世界の連続性を繋ぎ止めていた。

結衣の目から、一滴の涙が零れ落ちる。罪悪感。店長の娘・香織と対峙した時に感じた、あの圧倒的な敗北感と、それでも捨てきれない恋心。


「……香織さんと、話したんだ。あの人も、あんたのことが好きだって。あんたの『未来』になりたいって言ってた。……そして、あの人が言ってたの。あんたは、パティシエを目指す一番大事な『きっかけ』を忘れてるんじゃないかって」


結衣は声を震わせながら、これまで無意識に、そして意図的に目を背け続けてきた「真実」を口にした。自分の恋を終わらせないために、湊を「現在」に繋ぎ止めるために封印していた、あの瞬間の記憶。


湊の体が、目に見えて硬直した。

「……っ!」

彼の瞳が大きく見開かれる。脳裏に、激流のような勢いで何かが流れ込んでいく。

白く濁っていた視界が、パッと開けるような感覚。自分がなぜ、この道を選んだのか。誰のために、あの日、あんなにも強く願ったのか。


湊はしばらくの間、天を仰いで沈黙した。その横顔には、これまでの「穏やかな諦念」ではなく、もっと根源的で、熱を帯びた「意志」が宿り始めていた。

彼はゆっくりと立ち上がり、涙を流してうなだれる結衣の隣に歩み寄る。


そして、その震える肩に、そっと、けれど確かな温もりを持って手を置いた。


湊が、静かに唇を動かす。

その言葉は、結衣にとって、そして明日を待つ莉央や香織にとっても、すべての関係性を塗り替えてしまうほどの、絶対的な響きを持っていた。


結衣は、溢れ出る涙を手の甲で乱暴に拭った。

顔を上げた彼女の表情には、もう迷いも卑屈さもなかった。

彼女は湊を見つめ返し、この数日間で最も美しく、そして晴れやかな、最高の笑みを投げかけた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ