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第7話 【閑話】その頃の王都。噴水が逆流し始めたらしい

 王都は今日も平和で、どこまでも美しかった。


 魔法省の大臣を務めるジルクは、王城のバルコニーに設えられた優雅なテラス席で、一級品のダージリンティーの芳醇な香りを胸いっぱいに吸い込んでいた。

 眼下に広がるのは、白亜の石造りの建物が整然と立ち並ぶ美しい街並みと、王城の中庭で涼しげな水音を立てる巨大な「精霊の噴水」だ。魔法省の権力の象徴とも言えるその完璧な景色を眺めながら、ジルクは自慢の口髭を撫で、満足げに目を細めた。


「素晴らしい朝だ。全くもって清々しい。空気がこれほど美味く感じられるのは久方ぶりだな」


 彼がこれほどまでに上機嫌なのには、明確な理由がある。目障りで仕方なかった元・筆頭魔導工学師、アルド・アークライトを辺境のデッドランドへ追放してから、ちょうど8日が経過したのだ。


「あのような油臭い配管工崩れが、我が栄えある魔法省のトップに居座っていたこと自体が王国の恥であった。これからの時代は『圧倒的な火力』と『見た目の華やかさ』だ。見目麗しく、強力な攻撃魔法を操る若きエリートたちこそが、宮廷を鮮やかに彩るのだ」


 ジルクは純白の陶器のカップをソーサーに置き、傍らに恭しく控えていた新任の筆頭魔導工学師に視線を向けた。

 アルドの後任に抜擢されたのは、クロードという20代半ばの若手魔導師だ。金髪を綺麗に撫でつけ、無駄に宝石が散りばめられた派手なローブを纏っている。彼は爆炎魔法の天才と持て囃されており、見た目の華やかさと愛想の良さは、無骨で無愛想だったアルドとは雲泥の差だった。


「どうだクロード。筆頭の執務室の居心地は」

「最高です、ジルク大臣。前任者の残した油まみれの工具や、古臭い木の机は全て廃棄し、王室御用達の特注ソファーと、白大理石のデスクを運び込ませました。ようやく、筆頭という役職にふさわしい気品ある空間になりましたよ」

「うむ、それでいい。我が国の魔導工学は、もっと芸術的で高尚なものであるべきだからな。泥にまみれて地味な作業をするなど、下民のやることだ」


 二人が勝ち誇ったような笑みを交わし、優雅なティータイムを満喫していた、まさにその時だった。


「……ん? クロードよ、あの噴水の様子が少しおかしくはないか?」


 ジルクがふと眉をひそめ、中庭の「精霊の噴水」を指差した。

 何十体もの大理石の彫刻から、計算し尽くされた美しい放物線を描いて水が噴き出す、王城のシンボル。

 しかし今、その水勢が妙に弱々しくなり、時折「ゴボッ……ガコンッ」という、優雅さとは程遠い不気味な異音を立てていたのだ。水の色も、心なしか濁っているように見える。


「はて? 地下の魔導ポンプへの魔力充填が一時的に途切れたのでしょうか。大したことではありません、僕がすぐに調整させます」


 クロードは余裕の笑みを浮かべたまま一礼し、テラスから中庭の地下室へと降りていった。


★★★★★★★★★★★


 精霊の噴水の地下に設けられた、薄暗い魔導ポンプの制御室。

 そこに足を踏み入れたクロードは、鼻を突く下水と湿気の悪臭、そして壁一面に張り巡らされた複雑怪奇な魔力回路の幾何学模様を見て、露骨に顔をしかめ、香水を含ませた最高級の絹のハンカチを口元に当てた。


「なんだこの薄暗く陰気な空間は。あのアルドという男、毎日こんな場所に籠ってネズミのようにコソコソと作業をしていたのか。気持ち悪い」


 クロードは新品のローブの裾が汚れるのを嫌がりながら、つま先立ちで歩き、中央に鎮座する巨大な制御盤の前に立った。

 そこには、アルドが去り際に机に置いていった『完全メンテナンスマニュアル』が、分厚い束となって積み上げられていた。


「ふん。どうせ大したことは書いていないだろうが、一応見てやるか」


 クロードは一番上にあった『第1巻:基礎理論』を手に取り、パラパラとめくった。

 しかし、数ページ読んだところで彼の顔から余裕の笑みがスッと消え去り、代わりにじっとりとした脂汗がにじみ出た。


『……魔導ポンプ内のエーテル流動における、0.001ミリ単位の干渉波の相殺手順について。位相のズレが生じた場合、魔力回路の第7結節点と第12結節点に、それぞれ波長の異なる極小の魔力を同時に流し込み、共鳴を完全に安定させること……』


「は……? 何だこれは」


 クロードは目を疑い、何度もまばたきをした。

 そこに書かれていたのは、一般的な魔法陣の解説というよりは、もはや狂気的なまでの緻密さを持った「超精密魔力構築」の理論書だった。

 爆炎魔法で「とりあえず大量の魔力を一気に放出して爆発させる」という大雑把な力押ししか学んでこなかったクロードにとって、0.001ミリ単位で魔力の波長を調整するなどという技術は、神業を通り越して全く意味不明な古代の暗号にしか見えない。


「ふざけるな! なんだこの無駄に複雑で気取った術式は! 魔力なんてものは、術者の気合を入れて流し込めば大抵の魔導具は動くんだよ!」


 自分の理解が全く及ばない未知の技術に対する恐怖と、プライドをへし折られた屈辱から、クロードはマニュアルを床に投げ捨て、制御盤の中央にある大きな水晶球に強引に両手をかざした。


「要は水を引き上げるパワーが足りないから勢いが落ちているんだろう? ならば、僕の溢れんばかりの膨大な魔力をくれてやる!」


 クロードは自身の得意とする、荒々しく強大な魔力を、なんの計算も制御もなしに制御盤へと一気に流し込んだ。

 それが、王都のインフラ機能の終わりの始まりだった。


 バチバチッ! と、制御盤のあちこちから青白い火花が散った。

 直後、「ピィィィィィン!!」という、鼓膜をつんざくようなけたたましい警告音が地下室全体に鳴り響いた。


「な、なんだ!? まだ魔力が足りないのか!? ええい、もっとだ!」

「お待ちください、クロード様!!」


 その時、制御室の重い扉を開け放ち、一人の少女が駆け込んできた。

 ダークブラウンのウェーブヘアを揺らし、インクと油で汚れた作業着を着た小柄な少女。アルドの元助手であり、彼が追放されてからは魔法省の末端で下働きをさせられている下級貴族の令嬢、ララだった。


「それ以上、無闇に魔力を流し込んではいけません! アルド先輩が構築した王都の循環システムは、極めて繊細で複雑なバランスで成り立っているんです! 今の乱暴な魔力注入で、逆流防止のセーフティ回路が完全に焼き切れました!」

「うるさい下っ端が! 黙っていろ! そもそもこんな欠陥品を作った前任者のアルドが悪いんだ! こんなもの、僕の魔力で力技で押し通してやる!」

「欠陥品じゃない! 先輩は10年間、雨の日も雪の日も、徹夜でミリ単位の調整を続けて、一度の狂いもなくこの国のインフラを維持してきたんです! あなたたちみたいな、火力を出すしか能がないエリートに扱える代物じゃない!」


 ララが必死に叫ぶが、クロードは激昂して聞く耳を持たない。

 そして次の瞬間、地下室の天井を這う太い魔導パイプから、「メキメキメキッ!」という、金属が限界を超えてひしゃげるような恐ろしい音が鳴り響いた。


「あっ……終わりましたね、これ」


 ララは冷ややかな目で天井を見上げ、冷静に状況を悟ると、すぐにクロードから距離を取って部屋の出口へと走った。


「何が終わったというんだ! ほら見ろ、魔力が満ちて……」


 クロードが水晶球から手を離そうとした、その瞬間。

 ドゴォォォォン!! という耳を塞ぎたくなるような爆発音とともに、頭上の巨大な魔導パイプが破裂した。


★★★★★★★★★★★


 王城のテラス席。

 ジルク大臣は、クロードが問題を解決してくれることを信じ疑わず、再び優雅に紅茶を口に運ぼうとしていた。


「遅いな、クロードの奴め。早く噴水を直さ……ん?」


 ジルクの視界の端で、中庭の精霊の噴水が異常な震動を始めた。大理石の彫刻がガタガタと揺れ、周囲の石畳に不気味なヒビが入る。

 直後、美しい放物線を描いていた澄んだ水が完全に止まり、代わりに噴水の彫刻の口から、どす黒く濁った泥水が、まるで激しい火山の噴火のように天高く噴き上がったのだ。


「な、なんだあれは!?」


 噴き上がった大量の泥水は、強烈な下水の悪臭とヘドロを伴って、雨のように中庭に降り注いだ。

 そして悲劇なことに、泥水の雨は風に乗って、バルコニーのテラス席で固まっているジルクの頭上にも容赦なく降りかかった。


「ぎゃああああッ!! く、臭い! なんだこの泥は、下水じゃないか! 私の上質なシルクのローブがぁぁ!!」


 ジルクは泥水とヘドロにまみれながら、悲鳴を上げて高価な絨毯の上を無様に転げ回った。

 優雅な朝のティータイムは完全に破壊され、王城中に貴族たちの阿鼻叫喚の悲鳴と怒号が響き渡る。


「だ、誰か! クロードを呼べ! いったい何が起きているのだ!! 早くこの汚物を止めろ!」


 顔面を泥で汚し、高貴な威厳など微塵もなくなったジルクが、悪臭の中で喚き散らしている頃。

 魔法省の薄暗い片隅にある小さな倉庫部屋で、一人の少女が手際よく、かつ迅速に荷造りを行っていた。


「あーあ、言わんこっちゃない。完全に逆流しちゃった」


 アルドの元助手、ララは、窓の外から聞こえてくる王城のパニックの音をBGMに、大きなボストンバッグに自分の全財産と、アルドが置いていった予備の精密工具を詰め込んでいた。


 ララは、腐敗した魔法省の中で唯一、アルドという男の真の恐ろしさと偉大さを理解している人間だった。

 王都のインフラ――上下水道、魔導浄水器、王城の空調システム。それらすべては、アルドが毎日睡眠時間を削り、ミクロ単位の魔力操作で地道なメンテナンスを行い続けていたからこそ、奇跡的なバランスで機能していたのだ。


 クロードのような「火力が高いだけ」のポンコツエリートたちが、アルドの残した超精密な回路を理解できるはずがない。ララはアルドが不当に追放されたあの日から、いずれこうなることを完全に予期し、着々と王都を出る準備を進めていたのだ。


「噴水が逆流したってことは、第三浄水システムも完全に死んだわね。となると、明日の朝には王城のトイレが全部逆流して、明後日には市街地の飲料水が泥水に変わる。……うん、この見栄っ張りな国はもう終わりね!」


 ララは明るい声でそう結論付けると、王都を見限ることに一切の躊躇を見せなかった。

 没落寸前の下級貴族である彼女にとって、権力闘争に明け暮れ、本当に必要な技術をないがしろにするこの国に未練など1ミリもない。彼女が狂信的に尊敬し、愛してやまないのは、真に人々の生活を豊かにする技術を持った「アルド先輩」だけなのだから。


「アルド先輩はデッドランドに向かったはず……。あんな強力な魔獣が徘徊する死の大地に一人で行かせるなんて、本当にバカな大臣」


 ララは重いボストンバッグをよいしょと肩に担ぎ上げた。

 すでに、辺境の近くまで向かう商人のキャラバンに紛れ込んで便乗する手はずは整えてある。そこから先は過酷な旅になるだろうが、彼女の瞳に恐れや迷いはなかった。


「死の大地だろうと魔境だろうと、先輩の隣なら絶対面白いに決まってる! 先輩の本当の凄さを知らない無能なバカどもは放っておいて、私は先輩についていくわ!」


 ララはくるりと振り返り、誰もいない魔法省の部屋に向かって満面の笑みでウインクをした。

 アルドの魔力痕跡を辿る特製の探知機を力強く握りしめ、彼女は混乱の極みにある王城を尻目に、軽やかな足取りで王都を後にした。


 一方、泥にまみれた王城のテラス席では、ジルク大臣が顔面蒼白になりながら絶叫を続けていた。


「い、急いで修理部隊を出せ! いや、駄目だ、あんな複雑なものクロードにも直せん! あ、あの配管工はどこだ! アルドを連れ戻せ!! 今すぐにだ!!」


 しかし、その悲痛で身勝手な叫びがアルドに届くことはない。

 ちょうどその頃、辺境のデッドランドにある快適なログハウスの中では、アルドが保護したばかりのエルフの少女に極上のスープ雑炊を振る舞い、過酷な流刑地とは思えないほど穏やかで充実した開拓ライフを大いにエンジョイしている真っ最中だったのだから。

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