第5話 ナノマシン建築で超快適なログハウスが完成
見渡す限りの広大な更地。足元には、ふかふかで豊かな命の匂いを放つ最高級の培養土が広がっている。
つい数分前まで「開拓不可能」と言われていた呪縛茨の森だった場所は、マチルダのお掃除モードとナノバインダーの応用によって、一瞬にして理想の農地へと変貌していた。
「……さて。邪魔な森もなくなったことだし、いよいよ拠点作りだな」
アルドはジョリッと無精髭を撫で、広大な敷地を見渡した。
『ただ吹き飛ばすだけじゃもったいない』というマチルダのオカン的配慮によって生み出された極上の土だが、アルドは家を建てる予定のスペースだけは、あえて培養土への変換を避けて強固な岩盤を剥き出しのまま残してもらっていた。農業を始めるにしても、まずは雨風を凌ぎ、安心して寝食ができる「家」が必要だ。昨夜は洞窟の中でマチルダにベッドを作ってもらったが、いつまでも薄暗い洞窟暮らしというわけにはいかない。
「とはいえ、建材用の木材は周りに全くない状態だからな……。少し離れた場所にある普通の森まで、手頃な木を伐採しに行く必要があるか」
アルドが手持ちの工具袋を探りながら独り言をこぼすと、背後に控えていた多脚戦車――マチルダのホログラムが、ふわりと目の前に現れた。
『あらアルドくん。木材なら心配いらないわよ。さっき呪縛茨の森を分解した時、地下深くに眠っていた数万年前の古代樹の化石データまでスキャンして、完璧な分子構造のバックアップを取ってあるもの。地下の炭素や土中のミネラルをナノバインダーで再構築すれば、最高級の天然木材と全く同じ、いえ、それ以上に優れた建材をいくらでも生成できるわ!』
「……またそのチート技術か。お前の前では『材料調達』という開拓の基本概念すら無意味なんだな」
呆れ半分、感心半分のアルドに、マチルダは「えっへん」と得意げに胸を張った。
『お家作りならお母さんに任せなさい! さあ、どんなお家がいいかしら? 王都の貴族が住むような、大理石のピカピカな立派なお屋敷にする? それとも、要塞みたいな堅牢なドーム型がいい?』
「いや、そんな大仰なものはいい。俺が欲しいのは……そうだな、木の温もりが感じられる、こぢんまりとしたログハウスがいい」
アルドは剥き出しの岩盤の上にしゃがみ込み、木の枝でサラサラと簡単な図面を描き始めた。
王都の石造りで冷たい工房に長年閉じ込められていたアルドにとって、自然の豊かな木肌に囲まれた風通しの良いログハウスは長年の憧れだったのだ。
「広すぎる家は掃除が行き届かなくて面倒だ。一階に広めのリビングと、料理がしやすい機能的なキッチン。俺の作業用デスクを置くスペースも少し欲しい。二階は寝室だけで十分だ。あとは、外の風を感じながらコーヒーが飲める、少し広めで頑丈なウッドデッキを作りたいな」
アルドが日当たりや風の通り道まで考慮しながら思い描く理想の家を語ると、マチルダの目がキラリと光った。
『なるほど、温かみのある木造住宅ね! 構造計算、気密性および断熱性の最適化、生活動線と日照条件のシミュレーション……完了。アルドくんの設計図をベースに、最高のログハウスを建てるわ。ちょっと危ないから、少し下がっていてちょうだい!』
マチルダの重厚な本体から、ウィィィン……という静かな駆動音と共に、6本の細長いマニピュレーターがシャキッと伸びた。
アームの先端には、精密なノズルやレーザー照射機のようなものが備わっている。
アルドが数歩下がると、いよいよ規格外の「建築」が始まった。
『ステップ1。基礎の構築を開始します』
マチルダのアームが剥き出しの岩盤に向けられ、淡いブルーの光線が照射された。
――スゥーッ……ピタッ。
なんとも心地よい、静かな風が吹き抜けるような音がした。
光を浴びた強固な岩盤が、まるで液状に溶けたように波打ち、瞬時に縦横10メートルほどの長方形に固まっていく。
「基礎打ち」といえば、通常は大量の石を運び、セメントを練り、大勢の職人が汗水垂らして数日がかりで行う過酷な重労働だ。それが、わずか数秒で、大理石よりも滑らかで狂いのない一枚岩の基礎盤として完成してしまったのだ。
『ステップ2。建材の生成および組み立てに移行』
ここからが、マチルダの真骨頂だった。
6本のアームが、まるで熟練のオーケストラ指揮者のように、滑らかで一切の無駄がない動きで空間を舞い始める。
――シャリシャリシャリ……ッ。
アームの先端から、極小のナノマシンを含んだミスト状の物質が噴出される。
それが空中で螺旋を描くように寄り集まり、あっという間に飴色に輝く一本の太い「丸太」へと姿を変えていく。生成された丸太は、マチルダの別のアームによって優しく、かつ正確に運ばれ、基礎盤の上に寸分の狂いもなく設置されていく。
――トトトトトッ。スチャッ。
――コポォン、コポォン。
丸太と丸太が組み合わさる音は、重い木材がぶつかる暴力的な打撃音ではなく、精密なパズルのピースが吸い込まれるようにはまっていく、極めて軽快でリズミカルな音だった。
丸太の接合部には釘やカスガイなど一切使われていない。ナノレベルで木目同士が融合し、まるで最初から一つの巨大な木であったかのように完全に一体化しているのだ。
アルドはその光景から目が離せなくなった。
魔法の力で土や木を強引に捻じ曲げて建てる家とは全く違う。極限まで計算し尽くされた物理と化学の芸術だ。
壁がみるみるうちに組み上がり、窓枠が形成され、屋根の太い梁が架けられていく。
チリチリチリ……というナノマシンの微小な振動音と、シュォォォという素材の冷却音が、荒野の澄んだ空気に静かに響き渡る。
それは決して耳障りな騒音ではなく、聴いているだけで脳がとろけそうになるような、極上の癒やしをもたらす至福のサウンドだった。
『ステップ3。外装のコーティングと内装の仕上げ』
屋根の瓦がサラサラと波のような音を立てて葺かれていく。
同時に、窓には不純物の混じったガラスの代わりに、透明度100パーセントかつ絶対に割れない特殊なクリアパネルがスゥーッとはめ込まれた。
「……信じられないな。本当に、俺が地面に描いた大雑把な図面通りのログハウスだ」
アルドは呆然とため息をついた。
外観は、落ち着いた深い飴色の木材で組み上げられた、絵本に出てくるような温かみのある二階建てのログハウス。
正面には、希望通りに広々とした頑丈なウッドデッキが設けられている。
『完成よ、アルドくん! さあ、中に入ってみて!』
ホログラムのマチルダに促され、アルドはウッドデッキの階段を上り、重厚な木製のドアに手をかけた。
ドアノブを回すと、カチャリという小気味良い音とともに、重さを全く感じさせずに滑らかに扉が開く。
「……おお」
中に入った瞬間、アルドは感嘆の声を漏らした。
玄関を抜けると、そこには吹き抜けの開放的なリビングが広がっていた。
そして何より、鼻腔をくすぐる「木の香り」が素晴らしい。
ヒノキや杉を思わせる、深くリラックスできる森林の香りが空間全体に満ちており、深呼吸するだけで肺の奥まで清められるような感覚に陥る。
『木材の分子構造に、自律神経を整えるアロマ成分を練り込んでおいたわ。もちろん、有害な虫を寄せ付けない防虫効果も完璧よ』
「お前、本当に兵器なのか……? 気配りが王都の一流ホテルの支配人以上じゃないか」
壁や床を撫でてみると、天然の木材特有の温かみと適度な柔らかさがありながら、トゲ一つない完璧に滑らかな仕上がりだ。
壁の継ぎ目にはミリ単位の隙間すらなく、窓を閉めると外の風の音は完全に遮断された。驚異的な気密性と防音性である。
『断熱材の代わりに、壁の中に「真空の層」をナノバインダーで形成してあるの。だから、外が氷点下になろうと猛暑になろうと、家の中は常に適温に保たれるわ。冷暖房いらずのエコ住宅よ!』
「真空の層……? この厚さの壁にそれを仕込んだのか? 俺が寝る間も惜しんで開発した自動温度調節式の魔導暖炉の立場が全くないな……」
アルドは乾いた笑いを漏らしながら、室内を見回した。
リビングの奥には、広くて使い勝手の良さそうなシステムキッチン。大理石風の清潔なワークトップに、魔力を使わずに空間の熱エネルギーを抽出して調理する最新式のコンロが備わっている。
キッチンの隣には、ホコリ一つないシャワールームと、水洗式のトイレ。
「俺のこれまでの魔導工学の結晶が、ものの数分で作られた家に軽く凌駕されている気分だ……」
『あら、落ち込まないでアルドくん。アルドくんの素晴らしい設計図があってこそのこのお家よ? 私はただ、それをほんの少し「お手伝い」しただけだもの』
マチルダは優しいオカンの笑顔でフォローを入れた。
アルドは二階の寝室を確認し、最後にリビングの大きなガラス戸を開けて、ウッドデッキに出た。
爽やかな風が吹き抜けていく。
目の前には、最高の培養土が敷き詰められた広大な農地。その向こうには、デッドランドの荒々しくも美しい岩山がそびえている。
「……完璧だ。俺がずっと夢見ていた、最高の城だ」
アルドが手すりに寄りかかり、心地よい達成感に浸っていると、背後からスッと温かいマグカップが差し出された。
振り返ると、マチルダのホログラムが立っている。
『お疲れ様、アルドくん。機内のプラントで抽出した、特製のブレンドコーヒーよ』
「……ありがとう」
アルドはマグカップを受け取り、一口飲んだ。
深いコクと、すっきりとした苦味。そして鼻を抜ける芳醇な香り。これもまた、王都の高級店で飲むコーヒーより格段に美味かった。
静寂に包まれたウッドデッキで、淹れたてのコーヒーを味わいながら、真新しいログハウスの木の香りを胸いっぱいに吸い込む。
誰にも指図されない。理不尽な命令を下されることもない。
……いや、待てよ。
アルドはコーヒーを飲み込みながら、ふと我に返った。
「俺、地面に木の枝で大雑把な図面を描いただけじゃないか……?」
思い返せば、木材を切り出すこともなく、カンナをかけることもなく、ましてや重い丸太を担いで汗水流すことなど一切なかった。
泥臭くも自由なサバイバル生活、自分の手で少しずつ丸太を組み上げていく「DIYの手作りロマン」を夢見ていたはずなのに、現実はどうだ。過保護なオカンAIが、たった数分で一流の職人も裸足で逃げ出すレベルの完璧な豪邸を完成させてしまったのだ。
「純粋な創造の喜びというより、これじゃあ単なる現場監督の気分なんだが……」
アルドは極上のコーヒーの味を噛み締めながら、楽で快適すぎるがゆえの謎の敗北感に苛まれた。理想のスローライフの形が、どんどん斜め上の方向へかっ飛んでいくのを感じる。
「よし。家ができたんだから、次はいよいよ『畑』だな」
『ええ! 栄養満点の培養土が待っているわ! 野菜の種なら、私のデータベースから塩基配列を合成して作れるわよ!』
「いや、種くらいは天然のものを植えさせてくれ……。そういえば、王都を出る時にいくつか野菜の種を買ってきてあったはずだ」
せめて土いじりくらいは自分の手でやりたい。アルドが荷馬車の荷物を漁ろうと、ウッドデッキの階段を下りようとした時だった。
『……ん? マスター、拠点周辺の防衛レーダーに生体反応あり。結界のすぐ外側に、何者かが接近しています』
マチルダの声が、不意にオカンのそれから、無機質な「防衛システム」のトーンへと変わった。
「生体反応? 魔獣か?」
『いえ、解析中……これは、ヒューマノイドですね。単独。ひどく負傷し、衰弱している模様です』
アルドは小さく息を吐いた。
せっかくの静かなスローライフの始まりに、さっそくの珍客らしい。アルドはコーヒーの残りを飲み干すと、マグカップをウッドデッキの手すりに置き、気配のする方角へと歩き出した。




