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第3話 「お腹空いてない? 寒くない?」古代兵器は世話焼きオカンだった

「……いや、ちょっと待ってくれ。マチルダ、と言ったか」


 呆然と立ち尽くしていたアルドは、なんとか思考を正常な状態へと引き戻し、目の前で微笑む割烹着姿のホログラムに向かって片手を上げた。

 このまま彼女のペースに巻き込まれては、自分の思い描いていた「気ままなサバイバル・スローライフ」が根底から崩れ去ってしまうという、本能的な危機感を覚えたからだ。


「晩飯の心配をしてくれるのはありがたいが、俺は今日の昼過ぎに、外で分厚い豚肉を腹いっぱい食ってきたばかりなんだ。栄養バランスはどうあれ、今の俺の胃袋に隙間はない」


 アルドがそう宣言すると、マチルダのホログラムはピタリと動きを止め、スッと目を細めた。優しげだったおばちゃんの表情が、反抗期の息子を咎める母親のそれに変わる。


『豚肉? この不衛生な荒野で? まさか、塩分の強い保存肉を、焦げるほど強い火で焼いただけのものじゃないでしょうね?』

「……スパイスとハーブはたっぷりかけたぞ」


 アルドが少しだけ胸を張って答えた瞬間だった。


『生体スキャン、実行』


 マチルダのホログラムの背後、多脚戦車の本体にあるセンサーターレットから、淡い緑色の光線が照射された。光線はアルドの全身を上下に数往復し、レントゲンや魔力探査よりもはるかに深いレベルで彼の肉体を走査していく。


『スキャン完了。血中ナトリウム濃度および過酸化脂質が急上昇中。慢性的なビタミン、ミネラル不足。胃壁に軽度の炎症。さらに、長期間にわたる極度の睡眠不足とストレスによる、細胞レベルの疲労蓄積を検知。……総合評価、レッドゾーンです!』

「なっ……」


 隠していた病状を名医に一瞬で見抜かれたような的確な診断結果に、アルドは言葉を失った。

 実際、王都でのこの10年間、アルドの食事といえば深夜の工房で齧る乾パンと、冷めきったスープばかりだった。昼間に食べた豚肉のステーキにしても、疲れた身体が塩分と脂質を異常に欲していたからこそ美味く感じただけで、健康に良いかと言われれば間違いなく最悪の部類だろう。


『ああもう、なんてことなの! 内臓が悲鳴を上げているじゃない! あなた、名前は?』

「……アルド・アークライトだ。今年で30になる」

『そう、アルドくんね。いいこと、アルドくん。人間の体は資本よ。そんな塩の塊みたいな油肉を食べて満足しているようじゃ、立派な開拓なんてできっこないわ!』


 ホログラムのマチルダが腰に手を当ててお小言を言っている間に、本体の多脚戦車からはウィィィンという静かな駆動音と共に、新たなマニピュレーターが伸びてきた。

 その先端には、どこから取り出したのか、真っ白な陶器のカップが握られている。中には、ほんのりと湯気を立てるエメラルドグリーンの液体が入っていた。


『さあ、これを飲みなさい。消化器官に負担をかけず、今のあなたに不足している栄養素を完璧に補う「高密度生体修復ポタージュ」よ。私が機内のプラントでたった今、分子レベルで合成した特製なんだから』

「分子レベルで合成……? いや、だから俺は腹が……」

『いいから、飲み・な・さ・い』


 マチルダのホログラムが、ニッコリと、しかし絶対に逆らえないド迫力の笑顔を向けた。

 巨大な殺戮兵器の砲身がこちらを向いているわけでもないのに、アルドはなぜか冷や汗をかき、大人しくそのカップを受け取った。


 漂ってくるのは、青臭い薬の匂いではなく、複数の野菜をじっくりと煮込んだような、驚くほど芳醇で甘い香りだった。

 アルドは恐る恐るカップに口をつける。


「……ん?」


 一口飲んだ瞬間、アルドの目が丸くなった。

 滑らかな舌触りとともに、滋味深い旨味が口いっぱいに広がる。濃厚なのに全く胃に重くなく、それどころか、喉を通って胃の腑に落ちた瞬間から、長年蓄積していた鉛のような疲労感がじんわりと溶け出していくのが分かった。

 料理の味にうるさいアルドの基準から見ても、信じられないほどに「美味い」。


「なんだこれ……信じられないくらい美味いぞ。野菜の甘みと、出汁のような深いコクがある。だが、材料は一体……」

『ふふん、企業秘密よ。美味しいでしょう? 私のデータベースには、かつての星間文明における数億通りのレシピが完璧な栄養バランスとともにインプットされているの。これからは、私があなたの食事を毎日徹底的に管理してあげるから、安心しなさい』

「毎日……管理……」


 アルドはポタージュを飲み干しながら、遠い目をした。

 最高に美味い。体調も劇的に良くなった気がする。しかし、俺が求めていた「気ままな野宿飯」のロマンは、この過保護なオカンAIの手によって完全に粉砕されてしまったのではないだろうか。


「……あー、美味かった。ごちそうさん。それはそうと、マチルダ。お前はさっき、自分のことを『拠点防衛および開拓用汎用重機』と言っていたな」

『ええ、そうよ。形式番号X-77。通称「お母さん」でもいいわよ』

「マチルダと呼ばせてもらう」


 アルドは咳払いをして、話題を兵器としての本筋に戻すことにした。


「開拓用というのは、このホログラムや合成プラントを見ればなんとなく分かる。だが、防衛用というからには、当然それなりの武装をしているんだよな?」


 アルドが尋ねると、マチルダのホログラムは「あら」と頬に手を当てた。


『ええ、もちろんよ。野蛮な外部の脅威から、拠点と愛する我が子を守るのも私の重要な仕事だもの。標準装備として、主砲に「対消滅荷電粒子砲」が二門。近接防衛用に「可変出力式プラズマトーチ」、それに「多重ロックオン機能付きのマイクロ・スウォームミサイル」を搭載しているわ』

「たいしょうめつ……」


 アルドの顔からスッと血の気が引いた。

 魔法技術しかないこの世界でも、その言葉の響きが持つ絶望的な破壊力は理解できる。おそらく、アルドが長年仕えてきた王都そのものを、一撃で地図から消し飛ばせるレベルの火力だ。


「お前、そんな物騒なものを積んでいるのか……? もしそれが暴発でもしたら……」

『ふふっ、心配性ねアルドくん。安心して、私は平和主義なの。あんな大きな音が出て、辺り一面が砂埃だらけになるような泥臭い兵器、普段は絶対に使わないわ。居住空間にホコリが舞うなんて、衛生環境の敵でしかないもの!』


 マチルダはプンプンと怒ったように腕を組むと、背後の本体から伸びた細いアームの先端から、チリッ……という極小のレーザーを放った。

 レーザーは空を飛んでいた一匹の羽虫を、アルドの髪の毛の数ミリ横で、一切の焦げ臭さも残さずに完全に蒸発させた。


『私はね、清潔で、健康で、快適な生活空間を維持することが大好きなの。だから武装なんて、ただのおまけよ』

「……おまけの基準が狂ってるんだよな……」


 アルドは引きつった笑いを浮かべながら、こめかみを揉んだ。

 とてつもない代物を起動させてしまったらしい。王都の連中が血眼になって求めている「圧倒的な高火力兵器」は、こんな辺境の洞窟で、割烹着を着てホコリの心配をしていたのだ。


『現在の時刻は22時。あなたの生体リズムから計算すると、今すぐ就寝して、最低でも8時間の深い睡眠をとる必要があるわ。ほら、早く休む準備をしなさい』


 マチルダの言葉に、アルドはハッと我に返った。


「22時だと? 外はもうそんな時間なのか……」


 言われてみれば、洞窟に入ったのは昼過ぎの豪雨の時だった。だがアルドは、マチルダのシステムという「極上の知恵の輪」のハッキングに完全に没頭してしまっていたのだ。職人としての集中力が仇となり、ゆうに半日近い時間が経過していることに全く気付いていなかった。


「あ、そうだ。外の馬車! 入り口の広間に馬を繋いできたんだった!」


 アルドが思い出したように振り返ると、マチルダのホログラムが「ヒッ」と短い悲鳴を上げた。


『生き物を!? こんな急激に気温が下がっている夜に、入り口の吹きさらしに置いているの!? 信じられない、なんて虐待なの!』

「いや、雨風は完全に凌げる場所に避難させたし、体も拭いてやったぞ!?」

『暖房設備もない冷たい岩の上に寝かせることを、私の基準では吹きさらしと呼ぶのよ! 言い訳は・い・い・の! すぐに保護に行くわよ!』


 アルドの真っ当な抗弁も空しく、マチルダの「オカン基準」の前では虐待扱いだった。ズシン、ズシンと重い足音を立てて、5メートルの多脚戦車が洞窟の入り口へと向かっていく。

 アルドが慌てて追いかけると、入り口の広間では、マチルダが展開した青白い「熱音響シールド」の中で、アルドの愛馬が心地よさそうに横たわっていた。

 しかも馬の口元には、マチルダが機内で合成した「馬用・最高級ペレット」が山のように積まれており、馬はアルドが与えた干し草には目もくれず、AIの作った人工餌を狂ったように貪り食っていた。


『よしよし、いい子ねぇ。いっぱい食べて、ゆっくり休むのよ』

「……おい、俺の馬が完全に手懐けられてるじゃないか」

『あなたもよ、アルドくん』


 マチルダはクルリと振り返り、ビシッとアルドを指差した。


『さあ、あなたの寝床も作ってあげるわ。早くこっちにいらっしゃい』

「寝床って言ってもな、俺は寝袋しか……」

『寝袋? そんな床の硬さが直に伝わるような原始的な布で、細胞の修復ができると思っているの!?』


 マチルダが呆れ果てたようにため息をつくと、本体から再びマニピュレーターが伸びた。

 今度の先端には、複雑なノズルのようなものが付いている。

 ノズルが洞窟の岩盤に向けられると、チリチリチリ……という、耳に心地よい静かな微振動の音が響き始めた。


『ナノバインダー・プロセス、起動。岩盤のケイ素およびミネラル成分を抽出、再構築します』


 アルドは目を疑った。

 マチルダが照射する青い光を浴びた岩盤が、まるで細かな砂のようにサラサラと崩れ、それが水のように流れて形を変えていくのだ。

 再構築された素材は、純白で滑らかな材質に変化し、あっという間に縦2メートル、横幅も十分にある巨大な「ベッドの土台」を作り上げた。

 さらにその上には、マチルダが空気中の成分から一瞬で織り上げた、雲のように柔らかそうなマットレスと、肌触りの良い純白のシーツ、そして羽毛のような掛け布団がセットされた。


「……嘘だろ」


 王都の一流の職人が数ヶ月かけても作れないような極上のベッドセットが、わずか数十秒で完成してしまった。


『さあ、パジャマも出したから、着替えてすぐに寝なさい。歯磨きも忘れないようにね!』


 ホログラムのオカンに急かされるまま、アルドは着替えを済ませ、ふかふかのベッドに横たわった。

 体が沈み込むような極上のフィット感。適度に保たれたマットレスの温度。そして、防音バリアによって外の豪雨の音は完全に遮断され、洞窟の中は静寂と適度な暖かさに包まれている。


(なんだこの快適さは……。王城の貴族専用ベッドよりも、何倍も寝心地がいいぞ……)


 アルドは天井を見つめながら、これから始まる辺境生活に思いを馳せた。

 誰にも頼らず、過酷な自然の中で自分の腕と魔法だけを頼りに生き抜く。そんな泥臭くも自由なサバイバル生活を夢見ていたはずだった。


 しかし現実はどうだ。

 傍らには、圧倒的な科学力を駆使してアルドの健康状態を監視し、完璧な食事と寝床を用意してくれる、過保護すぎる超兵器のオカンがいる。

 ホログラムのマチルダは、アルドがベッドに入ったのを見届けると、安心したように微笑み、空中でホログラムの編み物をしながら待機モードに入っていた。


「……まあ、悪くないか」


 アルドはジョリッと顎を鳴らし、自嘲気味に小さく笑った。

 こんなにも安心して体を預けられる夜など、あの地獄のような宮廷奉公の日々の中で、一度だってあっただろうか。

 心地よいまどろみに抗うことなく、アルドは深く、静かな眠りへと落ちていった。

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