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第2話 雨宿りの洞窟で「鉄の獣」を目覚めさせる

 外のバケツをひっくり返したような豪雨は、一向に収まる気配を見せなかった。


 洞窟の入り口付近で、アルドは自身の愛馬の首筋を優しく撫でていた。


「すまなかったな。急にこんな土砂降りになるとは思わなかった。ここで少し休もう」


 まずは雨宿りだ。アルドは荷馬車を、雨風が完全に凌げる洞窟の浅い広間まで引き入れた。退職金代わりのへそくりで買ったばかりの全財産を積んだ馬車を、いくらなんでも外の岩陰に放置しておくわけにはいかない。

 手早く馬の鞍を外し、持参していた乾いた布で濡れた馬体を丁寧に拭き上げてやる。冷えは馬にとって命取りだ。革袋から水を桶に移し、飼葉桶に少量の干し草と豆を入れてやると、馬は安心したように鼻を鳴らして食事を始めた。


「よし、いい子だ。ゆっくり休んでろ」


 馬の安全を確保したアルドは、ランタンを手に取った。

 先ほど洞窟に足を踏み入れた瞬間、靴底から伝わってきた異質な感触。そして、肌を撫でたマナとは全く異なる澄み切ったエネルギーの残滓。

 その出処を突き止めようと、アルドは吸い寄せられるように、鈍い銀色をした金属の回廊の奥へと足を踏み入れていった。


 ランタンの頼りない明かりが照らし出したのは、自然界には決して存在し得ない、狂気的なまでに直線的で滑らかな空間だった。


「これは……いったいどうやって建造したんだ……」


 アルドの口から、感嘆とも戸惑いともつかない呟きが漏れる。

 ゴツゴツとした岩肌はいつの間にか完全に姿を消し、寸分の狂いもないトンネルが形成されている。壁面には継ぎ目一つなく、まるで巨大な金属の塊をそのままくり抜いたかのようだ。

 王都の誇る最高のドワーフ鍛冶師を集め、何十年とかけたとしても、これほど巨大で精密な建造物を作ることは不可能だろう。


 アルドは壁にそっと触れてみた。金属特有の冷たさの中にも、どこか微かな鼓動のようなものを感じる。

 道なりに数分ほど進むと、突然視界が開けた。

 直径50メートルはあるだろうか。巨大なドーム状の空間だ。天井には、光を失ったガラス状のパネルが幾何学的な模様を描いて張り巡らされており、かつてはここが煌々と照らされていたことを物語っている。

 そして、その広大な空間の中央。

 一段高くなった円形の台座の上に、そいつは静かに鎮座していた。


「……信じられない」


 アルドは息を呑み、ランタンを高く掲げた。

 光の輪の中に浮かび上がったのは、巨大な「鉄の獣」だった。

 全長はおよそ5メートル。重厚な漆黒の装甲に覆われた本体から、太く逞しい6本の多関節脚が伸びている。昆虫の機能性と猛獣の力強さを掛け合わせたような、威圧的でありながらも機能美に溢れたフォルム。

 機体の上部には、用途の知れない巨大な砲身のようなものや、複雑なセンサーターレットらしき突起物が格納状態のまま沈黙している。


 アルドは無意識のうちに機体へと歩み寄り、その装甲に触れていた。

 滑らかな装甲の表面には、途方もない時間を越えて眠り続けていたことを証明するようにうっすらと埃が積もっているが、驚くべきことに錆び一つ浮いていない。

 魔法陣の刻印も、動力源となる魔力石をはめ込むソケットも見当たらない。王都の魔導具とは、設計思想の根本からして異なっていた。


「美しいな……。徹底的に無駄を削ぎ落とし、ただ『目的』を果たすためだけに造られた究極の形だ。お前は、一体何をするために生まれたんだ?」


 アルドは機体の側面を撫でながら、ぐるりと一周して観察を続ける。

 ふと、機体の後部、腰のあたりに相当する部分に、スリット状のわずかな隙間があるのを見つけた。そこだけ装甲の材質が異なり、微細な端子のようなものが密集している。

 外部からのメンテナンス、あるいは情報へのアクセスポートだろうか。


 アルドは迷うことなく、右手をそのスリットに押し当てた。

 そして目を閉じ、自身の体内に巡る魔力を練り上げる。

 王都のエリート魔導師たちが見下していた、アルドの真骨頂。一切の破壊力を持たない代わりに、顕微鏡の世界のさらに奥底まで届く「超精密魔力操作」だ。


 アルドは自身の魔力を極限まで細い糸に変換し、スリットの奥にある無数の端子へと流し込んだ。


 ――瞬間。


『……ッ!?』


 アルドの脳裏に、膨大な情報の奔流がなだれ込んでいった。

 それは、魔法陣というアナログな記号の羅列とは次元が違う。0と1が織りなす極小の論理回路の海。悠久の時を経て眠り続けていた、超高度なシステムの深淵だった。


(凄まじいな……王都の魔導浄水システムの、何百万倍の複雑さだ……!)


 普通の魔導師であれば、この情報量に触れた瞬間に脳を焼かれ、発狂していただろう。

 しかし、アルドの口元には歓喜の笑みが浮かんでいた。

 10年間、毎日毎日、腐りかけた王都の下水システムという「出来の悪いパズル」を一人で解き続けてきた男にとって、目の前にある古代のシステムは、神が作った「極上の知恵の輪」に他ならなかった。


 アルドは即座に魔力の糸を無数に分岐させ、システムの奥深くへと侵入を開始する。

 すぐさま強固な防衛機構が作動し、見えない壁がアルドのアクセスを阻んだ。だがアルドは、その壁の構造をナノ秒単位で解析し、パズルのピースを合わせるように魔力の鍵を生成して次々と突破していく。


(動力炉は……休眠状態だが、完全に死んではいないな。空間のエネルギーを変換して自給自足する永久機関か? 恐ろしい技術だ。メインシステム……よし、ここが中枢だ。強制再起動のコマンドを……これか!)


 アルドは額に大粒の汗を浮かべながら、最後のロックに魔力の楔を打ち込んだ。


 ――カチリ。


 物理的な音はしなかったはずだが、アルドの脳内には確かにパズルが解けた爽快な音が響いた。

 直後、洞窟の空気が震えた。


「オォォォォン……」


 重低音の唸り声のような駆動音が、鉄の獣の内部から響き渡る。

 機体の各所に走っていたスリットから、眩い青白い光が漏れ出し、まるで血管に血が巡るように機体全体へと広がっていく。


『メインジェネレーター、再起動を確認。エーテル圧縮率、正常値まで回復。システムチェック……全機能、オンライン。自律思考AI、スリープモードから通常モードへ移行します』


 空気を震わせるような合成音声が、言語としてアルドの耳に届く。どうやら彼の魔力がシステムに干渉した際、言語の翻訳機能も自動で最適化されたらしい。


 ズシン、と。

 6本の脚が力強く金属の床を踏みしめ、5メートルの巨体がゆっくりと立ち上がった。

 装甲がスライドし、頭部と思われるセンサーターレットが赤い光を放ちながらアルドを捉える。


 圧倒的な威圧感。

 これこそが古代の殺戮兵器。この巨体がその気になれば、アルドなど一瞬でミンチにされるだろう。

 だがアルドは逃げなかった。恐怖よりも、自分が目覚めさせた「芸術品」への愛着と感動が勝っていたのだ。


「……おはよう。よく眠れたか?」


 アルドが気さくに声をかけると、機体のメインカメラが瞬きをするように明滅した。

 直後、機体の上部にある小型のプロジェクターから、青白い光の粒子が噴出する。

 光の粒子は空中で複雑に絡み合い、やがて等身大の「人間の姿」を形成した。


 そこに現れたのは――ふくよかな体つきに、優しげな目尻の下がった顔。そしてなぜか、真っ白な『割烹着』のような布を身に纏い、片手にはお玉を持った、中年の女性の立体映像だった。


 アルドは目を瞬いた。

 古代の殺戮兵器のインターフェースが、なぜ「おばちゃん」なのか。

 思考がフリーズするアルドに向かって、ホログラムの女性は腰に手を当て、開口一番、呆れたような声を上げた。


『ちょっとあなた! なんですかその格好は!』


「……は?」


『服は泥だらけ、靴はびしょ濡れじゃないの! 外は雨なんでしょ? そんな濡れた格好で突っ立ってたら、風邪引くに決まってるじゃない!』


 怒涛の勢いで捲し立てるホログラム。その声には、威圧感や機械的な冷たさは一切なく、ただただ純粋な「心配」と「お節介」が満ち溢れていた。


「あ、いや……雨宿りのために入ってきただけで……」

『言い訳はいいの! ほら、早く上着を脱ぎなさい! 今すぐドライ機能で乾かしてあげるから!』


 ウィィィン、という駆動音と共に、巨体の側面から細長いマニピュレーターが伸びてきて、アルドの濡れたレザージャケットを強引に脱がそうとしてくる。


「おいおい、待て待て! わかった、自分で脱ぐから!」

『まったく、世話の焼ける子ねぇ……。あ、いけない、スリープ明けで初期設定の挨拶モードが飛んでたわ』


 ホログラムの女性はポンと手を打つと、急に居住まいを正し、事務的な、だがどこか温かみのあるトーンで頭を下げた。


『コホン。申し遅れました。私は拠点防衛および開拓用汎用重機、形式番号X-77。パーソナルネームは「マチルダ」よ。以後、お見知りおきを』


 マチルダと名乗ったホログラムは、割烹着姿のままにっこりと微笑んで優雅にお辞儀をした。

 しかし次の瞬間には、また元のオカン口調に戻ってアルドの顔を覗き込んでくる。


『それで? 顔色も少し悪いわよ? ご飯、ちゃんと食べてるの!? 今日の晩御飯は何がいいかしら? 栄養バランスが偏ってるみたいだから、野菜たっぷりのスープなんてどう?』

「……」


(いや、さっきガッツリ豚肉を焼いて腹いっぱい食ったばかりなんだが!?)


 アルドは心の中で激しくツッコミを入れた。

 そもそも、彼はこれからのスローライフで「誰の目も気にせず、自分のペースで自炊した飯を食う」ことを何よりも楽しみにしていたのだ。

 それがなぜ、見知らぬ古代兵器に晩飯の栄養バランスを心配され、メニューまで勝手に決められようとしているのか。


 アルドは、自分のレザージャケットを器用に剥ぎ取って熱風で乾かし始めた多脚戦車を、ただ呆然と見上げるしかなかった。


 途方もない時間を経て目覚めた、未知のオーバーテクノロジー。

 それはどう見ても、世話焼きで過保護な「オカン」だった。

 辺境への追放から始まったアルドの自由なスローライフは、このお節介な鉄の獣との出会いによって、彼が想像していたものとは全く違う、とんでもなく騒がしい方向へ転がり始めるのだった。

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