第1話 地味な魔導工学師、辺境のデッドランドへ追放される
「宮廷魔導工学師、アルド・アークライト。貴様を本日付けで筆頭工学師の任から解任し、辺境の『デッドランド』への追放処分とする!」
王城の豪奢な謁見の間。
磨き上げられた大理石の床に響き渡ったのは、魔法省の大臣を務めるジルクの高圧的な声だった。
金糸の刺繍がこれでもかと施された分厚いローブを纏うジルク。その後ろには、無駄に派手な宝石の装飾が施された魔導杖を持った若い魔導師たちがずらりと並び、こちらを見て侮蔑の冷笑を浮かべている。
対するアルドは、無精髭を生やした顎を撫でながら、ぼんやりと頭上のきらびやかなシャンデリアを見上げていた。
年齢は30歳。身長190センチに迫る長身と、厚い胸板を持つがっしりとした体格。しかし、着込まれたレザージャケットと、どう洗っても落ちない油汚れが染み付いた作業用の前掛けという無骨な出で立ちは、この貴族趣味の極みのような空間においては明らかに浮いていた。
鋭い眼光を他人に悟られないよう、彼はわざとらしく気怠げなため息を一つこぼす。
「……解任、ですか。理由は?」
低く、落ち着き払った声でアルドが尋ねると、ジルク大臣は鼻を鳴らして大げさに吐き捨てた。
「理由だと? 己の胸に聞いてみるがいい。貴様がこの10年間、我が国で作ってきた魔導具とやらは、どれもこれも地味で、古臭く、全く華がない! 上下水道の魔導ポンプ? 自動温度調節式の魔導暖炉? そんな薄汚いものは、下働きの平民どもに使わせておけばいいのだ!」
ジルクは芝居がかった身振りで両手を広げ、己の権力を誇示するように声を張り上げる。
「これからの時代は『高火力』だ! 一撃で山を吹き飛ばす爆炎魔法、広範囲の敵を瞬時に殲滅する氷雪魔法。それら攻撃魔法の威力を底上げする魔導杖の開発こそが、我が国を他国が恐れおののく強国へと押し上げるのだ! 貴様のように、ちまちまと見えない場所でミリ単位の魔力回路を描いているだけの『配管工』は、もはや栄えある宮廷には不要である!」
その言葉に、周囲の若いエリート魔導師たちから同意の笑い声が漏れる。
彼らは皆、派手な攻撃魔法の高い適性を持つ者たちだった。彼らにとって、魔力操作の精密さだけに特化し、ド派手な攻撃魔法を一切使えないアルドは、長年「無能な筆頭」として見下し、陰口を叩くための格好の対象でしかなかったのだ。
(ちまちまと見えない場所で……ね)
アルドは内心で深く苦笑した。
彼らが今、当たり前のように使っている「蛇口を捻ればいつでも出る清潔な水」も、「真冬でも凍えることのない王城の完璧な暖房設備」も、「悪臭一つしない水洗式のトイレ」も、自然に存在しているわけではない。朝起きて顔を洗うための水から、夜の晩餐を彩る噴水まで、国家の血流たるインフラのすべてをアルドがたった一人で支えていたのだ。
すべてはアルドが徹夜に次ぐ徹夜で、ミクロ単位の超精密な魔力回路を構築し、文句一つ言わずに泥に塗れながら定期的なメンテナンスを行ってきたからこそ維持されているものだ。
大雑把に魔力を放つことしかできない彼らエリート魔導師たちには、アルドが構築したナノメートル単位の術式の複雑さも、それがいかに国家の基盤を支えているかという重要性も、意味すら理解できていない。
「……なるほど。私の技術はもう古い、と」
「いかにも! 辺境のデッドランドに、わずかばかりの領地を与えてやる。そこで貴様の好きな土いじりでもしながら、一生惨めに暮らすがいい! ほれ、これを持っていけ!」
ジルクはアルドが泣いて縋り付いてくるのを期待していたのだろう。口元を歪め、サディスティックな笑みを浮かべながら、丸めた古びた羊皮紙をアルドの足元へと投げつけた。
アルドは静かにそれを拾い上げる。どうやらデッドランドまでの簡素な地図と、申し訳程度の領地の権利書のようだ。
「承知いたしました。今までお世話になりました」
アルドは一切の感情を交えずに深く一礼した。
そして踵を返す直前、ジルクや若い魔導師たちの顔に視線を向ける。彼らは、アルドがあまりにもあっさりと追放を受け入れたことにあっけにとられ、ポカンと間抜けに口を開けていた。
その滑稽な顔を脳裏に焼き付けながら、アルドは広々とした謁見の間を後にした。
重い扉が背後で閉まり、誰もいない廊下に出た瞬間。
アルドの強面の顔が、ふっとほころんだ。
「……よっしゃあぁぁ!!」
誰にも聞こえないほどの小さな声で、しかし力の限り、アルドは力強くガッツポーズをした。
追放? 辺境送り?
冗談ではない。アルドにとって、それは「国公認の永年有給休暇」であり、何物にも代えがたい「完全な自由」への切符に他ならなかった。
この10年、来る日も来る日も王都のインフラ維持に忙殺され、自分の好きな研究をする時間は全く取れなかったのだ。夜中に呼び出されては下水道の悪臭の中で詰まりを直し、頭の悪い貴族からは「風呂の温度が1度高いだけで火傷する!」と理不尽な文句を言われる日々。
そんな地獄のような奉公が、今日、ついに終わったのだ。
「最高の気分だ。あのクソ生意気なガキ共の顔を見なくて済むと思うと、寿命が100年は延びそうだな」
足取りも軽く、アルドは自身の薄暗い工房へと戻った。
乱雑に散らかった設計図の山、長年使い込まれた工具たち。アルドは手際よく、しかし愛着を込めて荷造りを始める。
絶対に持っていくのは、ミクロ単位の魔力回路を刻むための特注の精密工具セットと、数着の丈夫な着替え。
そして何よりも重要なのが――。
「よし、愛用のスキレットと、スパイスの小瓶は全部持っていこう」
分厚い鉄製の調理器具を木箱に詰めながら、アルドは目を細めた。
アルドの唯一にして最大の趣味、それは「料理」だった。
この10年間、休日もおろかまともな睡眠時間すらない激務の中で、彼の唯一のストレス発散法。それは、真夜中の工房の裏庭でこっそりと火を焚き、野外料理の真似事をすることだった。
限られた食材をスキレットで豪快に焼き、独自に調合したスパイスを振る。その香りに包まれている時だけは、貴族の嫌味も、詰まった下水道の悪臭も忘れることができたのだ。
これからは、本物の大自然の中で、誰の目も気にせず毎日サバイバル料理が楽しめる。
机の上には、王都の魔導浄水システムと下水道の『完全メンテナンスマニュアル』を置いておく。
(まあ、あいつらじゃ基礎理論の1ページ目すら読めないだろうが……俺の知ったことじゃないな)
アルドが去れば、数週間から数ヶ月でインフラは確実に悲鳴を上げるだろう。だが、一方的に解任されたのだから責任を負う義理はない。
アルドは工房の鍵を机に放り投げた。
あらかじめ退職金代わりのへそくりで手配しておいた中古の荷馬車に荷物を積み込む。御者台に座り、馬の背に軽く手綱を当てると、馬車はゆっくりと動き出した。
背後に遠ざかっていく壮麗な王都の街並み。至る所に張り巡らされた魔導水路からは、涼しげな水音が聞こえてくる。自分が人生の三分の一を費やして守り抜いてきた美しい都市の光景だったが、アルドの胸にはもう未練の欠片もなかった。
晴れやかな顔で、アルドは荒野へと続く街道を進んでいった。
王都を出発して7日目。
アルドが乗る中古の荷馬車は、荒涼とした大地をゆっくりと進んでいた。馬車の幌が乾燥した風にバタバタと煽られる音だけが、単調に響き続けている。
「デッドランド」――文字通り、死の大地。
王都から遠く離れたこの辺境は、大気中のマナが極端に薄く、作物は育たず、強力な魔獣が徘徊する不毛の地として知られている。
流刑地としても使われないほどの過酷な環境だが、アルドにとっては「馬鹿な貴族が絶対に寄り付かない、最高のプライベート空間」だった。
「さて、そろそろ昼飯にするとするか」
太陽が真上に昇ったのを確認し、アルドは馬車を止めた。
街道と呼べるような道はとうの昔に途絶え、周囲には赤茶けた岩肌と、ひからびてねじ曲がった枯れ木が点在するのみだ。
アルドは手慣れた動作で手頃な石を組み、携帯用の着火魔導具で枯れ枝に火を点ける。
チリチリと炎が上がり、荒野の風の中で心地よい熱が広がる。
荷袋から取り出したのは、分厚く切った豚の塩漬け肉と、王都の市場で買っておいた固い黒パンだ。
愛用の黒光りする分厚い鉄製スキレットを火にかけ、まずは切り落とした脂身を溶かして全体になじませる。十分に熱したところで、本命の分厚い肉を惜しげもなく投入する。
――ジューーーーーッ!
食欲をそそる派手な音と共に、豚肉から濃厚な脂が染み出し、香ばしい匂いが弾けた。
「たまらないな」
アルドはジョリッと無精髭の顎を撫でながら、目を細める。
肉の表面がカリッと黄金色に焼き上がったところで、数種類のドライハーブを指先で揉み込んで振りかける。熱せられた脂とハーブの爽やかな香りが混ざり合い、荒野の空気に極上のごちそうの匂いを漂わせた。
焼き上がった肉から出た旨味たっぷりの脂で黒パンの表面を軽く炙り、肉と一緒に豪快に齧り付く。
「……美味い」
カリッとしたパンの心地よい食感に続き、分厚い肉から溢れ出す熱い肉汁と塩気、そして鼻を抜けるハーブの香りが口いっぱいに広がる。
革袋に入った水でそれを流し込むと、胃袋からじんわりと温かさが広がっていくのを感じた。
宮廷の晩餐会で出される、見た目だけを気取った冷めた料理よりも、この荒野で食べる無骨な肉の方が100倍美味い。
誰の目も気にせず、自分のペースで飯を食い、自分のペースで生きる。
これこそが、アルドがずっと求めていたものだった。
「さて、腹も膨れたし、俺の『領地』とやらに向かおうかね」
火を始末し、再び馬車を走らせる。
ジルク大臣から押し付けられた地図によれば、あと半日も進めば目的の座標に到着するはずだ。
だが、空模様が急速に怪しくなってきた。
それまで乾いていた風が急に湿り気を帯び、分厚い黒い雨雲が瞬く間に空を覆っていく。
ポツリ、ポツリと大粒の雨が降り始めたかと思うと、それはすぐに視界を真っ白に遮るほどのバケツをひっくり返したような豪雨へと変わった。
「おいおい、歓迎のシャワーにしては激しすぎるな。どこかで雨宿りしないと、馬が参っちまう」
アルドは雨粒を拭いながら目を凝らし、雨風を凌げそうな場所を探した。
すると、前方の崩れかけた巨大な岩山の根本に、ぽっかりと開いた暗い穴を見つけた。洞窟だろうか。
馬車を穴の入り口付近の岩陰に停め、アルドはランタンに魔力の明かりを灯して、内部へと足を踏み入れた。
「……ん?」
洞窟に入って数歩進んだところで、アルドは違和感に足を止めた。
靴底から伝わる感触が、ゴツゴツとした自然の岩肌から、極めて滑らかで硬質なものへと変わったのだ。
ランタンの光を足元に向ける。
そこにあったのは、泥にまみれてはいるものの、明らかに人工的な――それも、現代の鍛冶技術では到底作り出せないような、継ぎ目の一切ない鈍色の金属の床だった。
「これは……遺跡か?」
アルドの瞳に、魔導工学師としての、いや、未知の技術を純粋に愛する一人の職人としての強い好奇心が宿った。
大気中のマナとは全く違う、静かで、しかし底知れないエネルギーの残滓を肌で感じる。それは、彼が普段扱っている魔法――自然界のマナを術式で編み上げる不確定な現象――とは根源から異なる、極めて精緻で論理的なシステムの息吹だった。
アルドは吸い寄せられるように、金属の回廊の奥へと進んでいく。
数万年の時を超えて眠り続ける、超高度星間文明の遺物。
まさかこの雨宿りの洞窟で、彼の人生を、そしてこの世界そのものを根底から覆す「オカン」との出会いが待っているとは、この時のアルドは知る由もなかった。




