第一話
緑と青は親の愛情を殆ど知らない姉弟だ。
実の親は健在だが、父も母も、緑が中学一年、青が小学六年の春以降三年間自宅に帰って来ない。しかし、姉弟が暮らすには十分すぎる金額を両親は毎月振り込んでくる。姉弟はそれを両親からの『手切れ金』だと思っていた。
姉弟は、両親が生きているのが分かればもうどうでもよかった。
生活費は十分すぎるほどあるから、中学生と小学生で二人暮らしを始めた。
周りは五月蠅かった。けど、「両親は忙しいがたまに帰ってきている」と噓をついたら納得してくれた。協力してくれる優しい大人もいた。
あれから三年が経ち、今日緑は高校生になる。
入学費云々は両親と相談した。一家のグループラインに入学についての相談をしたら、次の日には入学費以上のお金が振り込まれていた。
「ねぇ、青は高校どうすんの?」
「オレはねーちゃんと音楽がやりたい」
———ねーちゃんが歌ってる後ろでベース弾きたい。
緑は困ったように溜息を吐いた。青はしばらく前からこの調子だ。
三年前の春に、両親から『最後のプレゼント』として緑はギター、青はベースを買ってもらって以来、青はこの調子だった。
元々、両親の影響で音楽が好きだった二人は、お互い相棒を与えてもらってからもっともっと音楽が好きになった。青はそれが顕著だった。
青は学校から帰ると、相棒を毎日遅くまで愛でるようになった。
「いや、アタシがボーカルじゃなくてもいいじゃん」
「オレの歌姫はねーちゃんだけだから」
「いや、あんたさぁ……」
さらっとそんな恥ずかしい事を言う青のお姉ちゃん大好き具合に緑は呆れてしまった。
しかし、緑は青のそんなところを可愛いと思っていて、「自分も大概ブラコンだな」と思う。
「ねーちゃん、高校でバンド仲間探すならベース以外な」
「はいはい、わかってるよ」
緑は新調した制服のワンピースの上からジャケットを着て、相棒の入ったギターケースを背負いスクールバックを肩にかけた。
そして、三年目になる中学の制服に身を包み、リュックを背負った青と軽口を叩きながら自宅を出る。
青の通う中学で、緑の母校は二人の自宅から徒歩十分の所にあるが、緑が入学することになった高校は隣町にあるため、電車で二駅乗らなければならない。
中学の近くにある最寄り駅で二人は一旦別れることになる。
「ねーちゃん、痴漢に気をつけてな。ねーちゃん可愛いから」
「はいはい、じゃあね」
ねーちゃん大好き発言が止まらない青に呆れながらもやはりうちの弟可愛いと思いつつ青とは駅前で別れ、緑は駅の改札に定期を入れホームに向かった。
「(げ、前のカップルおんなじ学校じゃん)」
ホームの待機列で前に並んでいたのは、仲睦まじい男女だった。
同じ高校だとわかったのは、スクールバックがこの高校は指定だからだ。高校名がローマ字で書かれている。
そんな男の方は190センチは超えているだろう長身で、長めの黒髪を後ろでお団子にしていた。しかし、不潔さや野暮ったさはなくむしろ色気があるような男だった。
女の方も170センチはあるだろう女にしては長身で、高校の規則ギリギリにまで明るく染めた長い髪を深紅のベルベットのシュシュで纏めている。
「(美男美女、か。いいな)」
男の、隣に立つ女に対する愛おしいものを見るような視線に、ふぅ……と緑が溜息を吐くと同時に、目的地に向かって走る電車がホームに入ってきた。
青の心配も、杞憂に終わった。痴漢なんて湧いてこなかったが、ちょうど隣側に立っていた例のカップルが、ずっと鬱陶しかったくらいか。
「あれ? お前、電車で一緒じゃなかった?」
「げ」
「なんで、初対面でそんな反応なんだよ」
高校に到着すると、下駄箱で例のカップルの男の方と鉢合わせした。
まさかとは思っていた。男の制服が、緑の制服のようにまだ使い慣らされていなかったのだ。
「何組?」
「アタシ、一組」
「あ、一緒じゃん」
「げ」
「いや、なんでなん」
男は、豪快に笑ってから、緑に向かって手を差し出してきた。
「俺、井岡夏生。よろしく」
「荒井緑。握手はしない」
「なんで?」
「彼女に殺されたくない」
男はまた豪快に笑った。
緑は、「なんだこいつ?」と男を訝しげに睨んだ。
男こと、夏生は緑の後ろに笑いかけ、「お前、俺の彼女だってよ。俺たちいつから付き合ってたん?」とにやにやしている。
「え……、私、彼女じゃないんだけど……」
「わ!」
背後から例の女が現れ、緑は心底びっくりしてしまった。
しかし、このカップル? は、正面から見ると、タイプは違うがよく似た顔をしている。
「こいつ、俺の姉貴」
「あ……、井岡、秋菜です。夏くんのえっと……、お姉ちゃん、です」
「あ、えっと、荒井緑です。ごめんなさい、仲良さげに見えたから」
秋菜は、ふふ、と可憐に笑うと、小さく「大丈夫、」と言った。
弟の夏生は豪快で明るい男だが、姉の秋菜は大人しい控えめな女らしい。
三人で教室棟に向かうと、二年の秋菜は小さく手を振りながら二階の教室に消えていった。
一年は三階らしい。
秋菜と別れてから二人で階段を上っていると、夏生が興味津々という風に口を開いた。
「緑、それ、ギター?」
「うん。ってか、いきなり呼び捨てか」
「お前も呼び捨てでいいよ。俺、ドラムやってんだ。姉貴はキーボード」
「マジ? バンド組めるじゃん」
もしかして、もうバンド組んでるの? と緑が聞くと、夏生は、まだメンバー探してる途中、という。
「お前、いいベーシスト知らない?」
「いいのいるよ。弟だけど」
夏生は一瞬目をぱちくりして、わはは! と豪快に笑う。
「いいじゃんいいじゃん! 今日暇?」
「めっちゃ暇。弟にもラインしとくわ」
「おう! 俺も秋菜にラインしとくな!」
こうして緑と夏生は入学初日を殆ど二人で過ごした。
あまりの仲の良さに、クラスメイトや担任たちが誤解したくらいだった。
あるクラスメイトが、「二人は付き合ってるの?」と聞いてきたから、緑が悪戯に、「夏生には可愛い年上の彼女がいるから」と笑うと、夏生が「いや、あれ姉貴だから」とツッコんだりしてから一緒に帰宅していき、二人の仲の良さを表に出してくるから、余計にクラスメイトはモヤモヤした。
「秋菜迎えに行っていい?」
「うん、もちろん! アタシ、秋菜サンに懐いたから」
「なんでなん!」
正直に言うと、秋菜は緑がなりたい女像そのままだった。
緑は150センチほどしかないが、その癖胸だけが発育が良くてアンバランスな外見をしている。しかし、秋菜はスラっと身長が高く、モデルにでもなれそうな痩躯でとても憧れた。
内面的にも、可愛らしいな、と羨ましく思う。
そういう事を夏生に告げると、夏生は「まあ、お前はお前でいいんじゃね?」と言ってきた。豪快でちゃらんぽらんな感じのする男だが、こいつも意外といい奴なのか、と緑は感じた。
「夏くん、緑ちゃん。お待たせしてごめんね」
二階の踊り場で二人がふざけていると、秋菜が申し訳なさそうな顔をしてやってきた。
その間も、「井岡さんまたね」だとか、「秋菜、また明日!」などと、同級生(男女問わず)から挨拶されている。
「秋菜サン人気者~」
「え、そ、そうかな?」
「こいつ、何気にモンペ多いから」
「あ~、秋菜サン美人だもんな」
秋菜は自分は美人じゃないと言うが、その容姿は日本人離れしていて「彼女は俳優です」と言われても何も違和感は持たないくらいの美貌を持っている。
弟の夏生も言わずもがなだが。
ふと、緑は切なくなる。
「ボーカルさ、弟はアタシじゃないとヤダ、って言うんだけど、秋菜サンの方が映えない?」
ボーカルの件は夏生に話してあって、秋菜にも共有、了承済である。
しかし、平凡な容姿の自分がボーカルをやるより、日本人離れした美貌の秋菜の方が。バンドは人気商売。その中心ともいえるボーカルは映える人物でないと、と緑は考えるが、夏生は「それは無理だな」ときっぱり言い切った。
「なんで?」
「こいつ、二つの事一度にできないから」
秋菜は夏生の隣で気まずそうにしている。
「それに、私はボーカルより、キーボードがしたい、です」
「俺もボーカルには興味ねぇし、お前さえよかったらお前がボーカルやってよ」
緑は複雑だが、了解するしかなかった。
その後、三人は緑の案内で荒井家に向かった。
今日は顔合わせだけのつもりだが、騒いでも大丈夫な所がいいとの夏生の要望で、そういう事になったのだった。
最寄りの駅で、青が三人を待っていてくれていた。
「青~、ただいま!」
「姉ちゃん、おかえり。初めまして、弟の青です」
「しっかりした弟だなぁ。俺は井岡夏生」
「はじめまして、私は、井岡、秋菜です」
あいさつの後、担当したい楽器について少し立ち話をして、荒井家に向かった。
「うっわ、デカ……」
「でも親帰って来んから、好き勝手出来るよ」
緑が家の鍵を開錠する。そして、荒井家の豪邸さに恐れをなしている井岡姉弟を招き入れるが、秋菜が疑問になったことをすぐに質問してきた。
「ご両親は? 帰って、来ないの?」
「もう三年くらいだよね、青」
「そうだね。両親はオレたちより仕事が好きみたいで」
リビングに入ってから、夏生が生活費は? と聞いてくる。
すると、緑は通帳見る? と今月の支給額をふざけながら井岡姉弟に見せてきた。
「いや、どんな高給取りだよ」
「まあ、なんか会社経営してるみたいだから」
「井岡さんたちもどんどん居座って下さい」
井岡姉弟は少しこの姉弟に関して不安になった。
何かを疑っているから不安、と言うわけではなく、こんなに大盤振る舞いで知り合ったばかりの自分たちを家に上げるという行為に至った姉弟に危うさを感じたのだ。
夏生と秋菜が顔を見合わせていると、緑はふ、と噴き出した。
「ごめん、初っ端から話すことじゃなかったかもね」
「いや、俺たちは構わんけどさ、お前ら、今までそういう振る舞いしててなんか盗まれたりしなかったん?」
「いんや?」
正直、荒井姉弟はこういう振る舞いをしたのは初めてだった。
両親は緑が中学入学してすぐに帰らなくなったのでその辺りから「捨てられた子」としていじめ的なものを二人は受けていた。
なので、この三年間『友人』を家に上げたことはなく、小学生時代に招いたときにも嫌味を言われたりと、あまり他人に対していいイメージは持っていなかったのだ。
ただ、元来人懐っこい緑は気の合う夏生とその姉、秋菜にすっかり懐いてしまい、今に至る。
「大人が必要なときは、どうしているの?」
「隣の小早川さん夫婦に頼んでる。気さくな人なんだよね」
「生活費は多すぎるくらい貰ってるし、いっそ気楽ですけどね」
井岡姉弟はこれ以上はおせっかいになると思って、口をつぐんだ。
そして、この姉弟のチカラになれるような友人になりたい、と思った。
「あ、何か飲む? オレンジと紅茶とコーヒーと麦茶ならあるけど」
「お菓子も出しますね」
夏生はアイスコーヒー、秋菜は紅茶が欲しいと言い、緑が自分たちのオレンジジュースを注いでいると、秋菜はす、っと立ち上がり、運ぶのを手伝ってくれた。
「よく出来たお姉さんですね」
「だろ?」
青に言われ自慢げにする夏生に秋菜は溜息を吐く。
「あのね、夏くん、こういうのは貴方が手伝うものでしょ?」
「いや、家に連絡してた」
「それは、ありがとう」
夏生は、家族の誰かとラインをしているのか、スマホをなにやらタップしている。
そして、緑に夕飯どうしてるのかと聞くので、彼女は、普段は自分が作るがお金があるなら四人でどこかに食べに行くかと提案した。
結局、今が四時頃なので六時半くらいに最寄り近くのハンバーガーショップに行くことになった。
最初からハンバーガーショップで顔合わせしたらよかったんじゃないか、という意見も出たが、長時間居座るのもよくないしと言う結論になった。
「うちさぁ、小さいスタジオあるんだよね」
「「え⁉」」
見るか、と問われ、離れにある防音のスタジオに入ると、井岡姉弟は感嘆した。その中には、今日の事を予測していたかのように、キーボードやドラム、マイクスタンドやその他機材が置かれていたのだ。
「これは、なんでここに?」
「両親が音楽好きでさ。たまに仲間とじゃかじゃかやってたんだよ」
「その仲間に小早川さん夫婦がいたんです」
「へぇ、叩いてもいい?」
緑と青は一瞬目を見開いたが、夏生のドラムを聴けるとのことで許可を出した。
「わ、私も弾いていい?」
「え、じゃあ、皆でなんかやろうよ!」
「即興で何かしますか?」
「「「賛成!」」」
目くばせして、最初はキーボードの秋菜の演奏から始まった。たらら~、と口ずさんだ秋菜はか細いように見えて力強い指で鍵盤を叩く。そのメロディに乗せて、ギターの緑がさらに旋律を深め、ベースの青、ドラムの夏生がリズムを付ける。
粗削りだが綺麗な旋律が、荒井家のスタジオ内に響いた。
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