本当に優しい人だから
「……え?ル、ルキウス様?」
今頃ミラフィーナや仲間たちと献杯でもしているのだろうと思っていたルキウスが帰ってきた。
ハリエットは驚きを隠せないままにルキウスに尋ねる。
「女王陛下のお側についていなくて良かったの……?」
「ん?なぜ?陛下の側には王配殿下がいる。もっとも、スタンリーは今夜は陛下のお側にいると言い張っていたけどね」
「……貴方もそうして良かったのよ……?」
「今日は……絶対にキミと一緒にいると決めていたんだ」
「え……」
「ご両親と兄上の命日じゃないか。国葬の日と重なってしまって、墓参りには行けなかったけど」
「知っていたの……?」
「そりゃあ一度も面識はないけど……いや、亡きお義父上には子ども時分から二度ほどあったかな。とにかく、義家族が亡くなった日なんだ……知っていて当然だよ」
「……っ、」
ハリエットは急に、身の内から迫り上がる何かを感じた。
それが喉元に支え、胸がいっぱいになって上手く声が出せない。
ルキウスは心痛な面持ちでハリエットに言う。
「……今日、国葬に参列して……喪主として毅然と葬儀を執り行う陛下を見て思ったんだ。三年前のキミも、きっとそうやって涙を流す暇もなく気丈に振る舞っていたんだろうなと……。その当時のキミの側に居て、支えてあげられていたらどれほど良かっただろうと思うと、なんだか堪らない気持ちになったんだ……」
「ル、キウス……さま、」
「ま、まぁね、僕が側に居ても大して役には立たなかっただろうけどねっ……それでも、こ、こうやって……涙を流すキミにハンカチくらいは差し出すことくらは出来たはずだよ……」
そう言ってルキウスはジャケットの内ポケットからハンカチを取り出し、ハリエットに差し出した。
「……え……?」
ハリエットは呆然としながらルキウスの手にあるハンカチを見つめる。
そしてふいに、自身の頬を濡らす温かなものを感じた。
白く細い指先で頬に触れる。
それが涙であると知り、ハリエットは震える声でつぶやいた。
「私……泣いて……?」
最後に涙を流したのはいつだっただろう。
急に伸し掛かった伯爵家当主という重責は、ハリエットに泣いている暇など与えてはくれなかった。
己の涙に唖然となるハリエットを見かねて、ルキウスが優しくハンカチで目元を拭ってくれる。
だけど拭いても拭いてもはらはらと静かに涙は流れ、ハリエットは困ってしまう。
「……っルキウス様……どうしましょう……涙が、涙が止まらないの……」
「……泣いたらいいよ。思う存分泣けばいい。キミのことだ、きっとこれまで泣くのを忘れて頑張ってきたんだろう……?」
「っ、……うっく……ひっく……」
とうとうハリエットから嗚咽が漏れ出す。
──いやだ、こんなのまるで子どもみたい。
でも止まらない。涙が止まらないっ……
この感情はなんだろう。
悲しみと喜びと安心感。
それがハリエットの中で綯い交ぜになり、とめどなく涙を溢れさせる。
そう思った瞬間、ルキウスに抱き寄せられていた。
しとどに濡れた頬が彼の広い胸に当たり、ハリエットの涙がジャケットの生地に吸い込まれていく。
「ぐすっ……涙で衣服を汚してしまうわ……」
「キミの涙なら綺麗なものさ……今は僕のことを大きなハンカチだと思えばいいよ……」
「ふふ……ぐすっ……ひっく」
いつもハリエットに対し遠慮の塊であるルキウスの軽口に吹き出したり泣けてきたりと忙しい。
──陛下のおっしゃる通りだわ……。この人は本当に優しい……そして何よりも温かい人。
その温かな体温に身も心も包まれて、ひどく心地良さを感じると同時にひどく困惑する自分もいた。
──今も女王陛下を想うくせに……まるで私が大切なものなように触れるのはやめて欲しい。
こんな時にだけ吃らずに自然体で話すのも。
──……もう自分を誤魔化せない……。
私は彼を、ルキウス様を愛してる……。
だけどこの想いは絶対に隠し通す。
もしハリエットが叶わぬ恋に身を窶しているとルキウスが知れば……。
それに応えられない彼はきっと苦しむだろう。
恋情を向けてくる妻を愛せない自分を責めるだろう。
──そんな思いはさせたくない……。
こんなに優しい人だから、彼は幸せになるべきだ。
女伯爵の伴侶だけで人生を終わらせるにはあまりにも忍びない。
ハリエットはルキウスの胸に顔を埋め、涙を流しながらそう思ったのだった。