第2ラウンド:女神は転生者にチートを与えるべきか?
あすか(司会)
「さて、第2ラウンドに入ります! 異世界転生モノでは、女神が転生者に特別な能力、いわゆる『チートスキル』を与えることがよくあります。これについて、皆さんはどう考えますか?」
プラトンの主張:不相応な力は魂の成長を妨げる
プラトン
「そもそも、力というものは、その持ち主にふさわしいものであるべきだ。たとえば、哲学者が真理を求めるのは、彼が知恵を備えているからこそ価値がある。しかし、もし愚か者が強大な力を得たとしたら、それは世界にとって災厄をもたらすだけだ。」
ヒルデガルト
「それはわかります。しかし、神は時に試練を乗り越えるために力を授けることもあります。もし転生者が特定の使命を果たすために必要な力を授かるのであれば、それは正しい行為ではないでしょうか?」
プラトン
「確かに、魂が試練を通じて成長するのであれば、その試練に適した力を持つことは理解できる。しかし、異世界転生モノに見られるような過剰な力、つまり『チート』と呼ばれるようなものは、魂の成長を阻害する可能性がある。」
あすか
「それはなぜですか?」
プラトン
「人間は困難を乗り越えることで自己を高めるものだ。だが、もし最初から万能の力を持っているとしたら、努力をする必要がなくなり、魂は成長しない。仮に魂がより高次の存在へと至るべき運命にあるのならば、そうした不相応な力は、むしろ魂を堕落させる原因となるだろう。」
ニーチェ
「まったくその通りだ、プラトン! だが、お前の考えにはまだ甘さがある。そもそも、力とは与えられるものではなく、自らの手で勝ち取るべきものなのだ!」
ニーチェの反論:チートは弱者の甘えである
ニーチェ
「この『チート能力』という概念そのものが、すでに欺瞞に満ちている。なぜなら、それは『強さ』を望むが、努力をしたくない者のための言い訳だからだ。」
ヒルデガルト
「しかし、試練を乗り越えるために力を与えることは、神の計画の一環として考えられるのでは?」
ニーチェ
「笑わせるな! 力は神からの贈り物などではない。力とは、自らの意志と鍛錬によって勝ち取るものだ。もし女神が転生者にチート能力を与えるというのなら、それは彼らを強くするのではなく、ただの怠惰な存在に変えてしまうだけだ。」
プラトン
「では、もしも転生者がもともと偉大な魂を持っている場合はどうだ? 彼が強い力を持つことが、彼自身の成長を妨げないのなら?」
ニーチェ
「それならば問題はない。強者が強い力を持つのは当然だ。しかし、問題は、弱者が努力せずに力を手に入れることにある。そんなものは、ただの幻想にすぎん!」
ヒルデガルト
「しかし、神がある者に使命を与える場合、その使命を果たすための力もまた授けられるのが道理です。」
ニーチェ
「使命? そんなものを求める時点で弱者なのだ! 真の超人は、使命などに縛られず、自らの意志で世界を切り拓く者だ。『使命』という言葉は、結局のところ、誰かに決められた運命に従うことを意味する。そんなものは、奴隷の理論にすぎない。」
ヒルデガルトの反論:神の与える力は試練と共にある
ヒルデガルト
「ですが、ニーチェ殿。神が与える力は、決して安易なものではありません。試練が伴わない力は、ただの怠惰を生みます。しかし、もしその力が試練と共に与えられるのならば、それは魂の成長を促すものではないでしょうか?」
ニーチェ
「ほう? ならば、なぜ神は最初から力を与えない? なぜ人間を不完全な状態で生み出した?」
ヒルデガルト
「それは、成長すること自体が、人間の存在の意義だからです。もし最初から完璧な力を持っているならば、何のために生きるのでしょう? 力は試練の中で真価を発揮し、己を鍛える道具として存在するのです。」
プラトン
「つまり、お前の言うことは、力そのものが試練の一部である、ということか?」
ヒルデガルト
「はい。神が与える力は、決して甘やかしではありません。それをどう使うかは、個々の魂の選択に委ねられるのです。」
第2ラウンドまとめ
プラトン:「不相応な力は魂の成長を妨げる。チートは慎重に扱われるべき。」
ニーチェ:「チートなど幻想にすぎず、力は自らの手で勝ち取るべきだ。」
ヒルデガルト:「神が与える力は試練と共にある。それをどう使うかは魂の選択次第。」
あすか(司会)
「皆さん、ありがとうございました! 非常に熱い議論になりましたね。それぞれの意見には一理ありますが、やはり『与えられる力』と『自ら獲得する力』の違いが議論のポイントでした。さて、次のラウンドに進みましょう!」