星の砕石 〜兄〜
乳白色の平たい石がまっすぐに敷かれていた。両側には大きさも形も様々な同じ乳白色の石が無造作に転がり、道と共に霧の向こうへと続いている。
その石の道を、ひとりの青年が歩いていた。
霧に紛れるような銀髪に、銀の瞳。白一色の衣装を纏う。
立襟の上衣は膝までを覆い、首元から臍の辺りまで四つの飾紐の釦がついている。動きに合わせて翻る裾にはよく見れば銀糸の刺繍が施されていた。だぼつきはないが緩やかに体型を隠す上衣と同生地の下衣、柔らかそうな布製の靴。
靴底に至るまで全て白ずくめの青年が口ずさむのは、今はもう忘れられた唄。
ここは〈さいせきじょう〉―――星を砕き、拾う場所。
白い青年は、空を見上げて佇んでいた。暫し後、何かに気付いたように目線を戻す。
「わからないけど。何をそんなに気にしてるの?」
じっと中を見ていた青年は、一瞬瞠目した後それを逃がすように吐息を洩らした。
「……このまま……」
何かを言いかけてから、自嘲を浮かべ首を振る。
「なんでもないよ。さぁ、僕も準備しないとね」
声音に先程までの翳りはなかった。顔を上げた青年の髪と瞳、そして服が灰を経て黒く染まっていく。
一面の白の中にぽつりと浮かぶ漆黒の青年は、見えぬ霧の先を見て笑みを浮かべた。
「お客様ですね」
イラスト作 コロン様
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霧が揺れ、その奥に映る影が人の形を取る。徐々に大きくはっきりとしてくるそれは、平らな石が丸く敷かれた広場に辿り着く頃には若い女の姿になっていた。
一瞬足を止めかけた女は、広場に立つ黒衣の青年に気付いて重い足取りでそちらへ向かう。
「ようこそ、砕石場へ」
女とそう変わらぬ年齢の黒を纏う青年は、穏やかに微笑み女を迎えた。
「私はここの管理人です」
瞠目してから慌てたように辺りを見回した女は、ふっと力が抜けるようにその場に座り込んだ。
「……採石場……?」
「はい。砕石場です」
自分を見返しての即答に、女はまだ動揺の残る瞳で青年を見上げる。
「……まさか……ここに着くなんて……」
五年前に音信不通になった兄を探す為に旅立った。
兄が出稼ぎに出たのは十年前。五年の間仕送りと共に送られてきていた手紙の住所を訪ねてみたが、誰も兄を知るものはいなかった。
仕方なく村に帰る途中森で霧に巻かれて道に迷い、気付けばここに着いていたのだ。
古い詩に描かれている採石場。絆を示す星の石があるといわれている。
探しに行けたらと考えたこともあるが、まさかこんな風に辿り着けるとは思ってもみなかった。
「大丈夫ですか?」
掛けられた声に我に返って見上げると、黒衣の青年が手を差し出してくれていた。
「あ、ありがとうございます……」
躊躇いがちに手を借りて立ち上がる。
青年の手はその穏やかな表情に見合わぬ程硬く、苦労して働いてきたことを示すようだった。
覚えあるそれに落ち着きを得て、女は青年の手を放し、改めて辺りを見回す。
青年の背後には広場の敷石と同じ白い岩山が聳え、見上げてもその頂上は霧に隠れていた。左右に伸びる道はあるが、振り返ったうしろに自分が来たはずの道はない。
戸惑いを浮かべながら、女は青年へと向き直る。
「あの……ここには星の石があるんですよね……」
不安そうな女の声に、青年は微笑んだまま頷いた。
「ここから道沿いに歩いてください」
広場から左右に伸びる小道を目線で示し、青年が告げる。
道の先は霧に呑まれ、少し先までしか見えなかった。
「どちら周りでも構いません。山の周囲を回ってここへと戻ります」
見えぬ先を見据える女に、淡々と続ける青年。
「その途中に貴女の石がありましたら、どうぞお持ちください」
「私の石、ですか……?」
「はい。お解りになると思います」
そう言われてもなお怪訝そうな顔のまま、女はわかりましたと頷いた。
「途中で引き返したり道を大きく外れたりなさると、戻れなくなりますのでお気をつけください」
「戻れなく……」
「余程大きく逸れなければ大丈夫ですよ。うしろには私がついていますので」
青年の声音に宥めるような響きが混ざる。懐かしさと根拠のない安堵を覚えながら、女は再度頷いた。
左の道を進みながら、女は抱いた懐かしさを兄に重ねる。
貧しくはあっても穏やかな村に生まれ、両親と七つ年上の兄と一緒に幸せに暮らしていた。年の離れた兄はいつも優しく自分の相手をしてくれた。
十歳の時、村の外に仕事を求めて兄が出て行った。
兄からは定期的に手紙と金が送られてきた。十二歳の時に両親がなくなった際、兄からは忙しくて帰れず済まないと謝罪の手紙が来た。
兄が村を出てから一度も会わぬまま五年が過ぎた頃、それまで一度も遅れることのなかった兄からの手紙が途切れた。
そしてそのまま、なんの音沙汰もない―――。
ふぅと息をつき、己の石はないかと周囲へと注意を向ける。
広場と同じ白い敷石の道の両側には、形も大きさも様々の白い石が数え切れぬ程転がっていた。このひとつひとつが誰かの星の石なのかと思うと不思議な気持ちになる。
星の石は絆石。世にはこれだけの絆があるというのだろうか。
考え込みながら歩を進めていくと、やがて視界の端に白い光を捉えた。山側へと少し道を離れたところに、ほんのりと白い光が洩れている。
「あそこに光が……」
「貴女の絆なので私には解りませんが、貴女がそうだと感じるなら間違いないでしょう」
振り返って問うと、青年は頷いて静かに答えた。
息を呑み、女は道形に石に近付いた。真横まで来てから、道を逸れようと上げた足をまた元の位置へと戻す。
「ここにある星の石を踏んでしまっても大丈夫なのでしょうか……」
あの光る石が自分の星の石であるように、今足を下ろそうとした場所にある石も誰かの星の石なのだとしたら。
そう思うと、踏みつけてしまうのは躊躇われた。
青年は変わらぬ表情で女を見ていたが、すぐに大丈夫ですよと微笑む。
「絆は本人たちのもの。他者にはどうすることもできませんから」
言い切られた言葉に心から納得できたわけではないが、ほかにどうすることもできず。女は頷き返し、ゆっくりと石の中へと足を踏み入れた。
近付いてみると、光は重なる石の下から洩れていた。上にある石を慎重に横へよけ、淡い光を纏う石を取り出す。
拳程度の大きさの、膨らみを帯びた楕円の石。女の手に収まると、光は役目を終えたかのように霧と混ざり消えていった。
大事そうに両手で石を包み、道へと戻ってきた女。
「このまま進んでください」
青年の言葉に頷いて、先刻よりも深く濃くなった霧の中を歩いていく。
目を凝らしても見えぬ道の先。かろうじて見える足元の白い敷石を辿りながら、女は会えぬままの兄を思う。
このままでは先がないと、村の皆で金を出し合い新たな作物を栽培することにした。有識者に村の環境に合う作物を相談し、有名な産地から技能者を長期で雇い、三年経ちそれなりに軌道に乗った今では、村は見違える程になった。
その技能者と恋仲になり結婚した。兄には手紙を書いたが、やはり返事はなかった。
夫となった技術者の任期は終わり、近々元いた町に帰ることになっている。妻としてついていくつもりではあるが、もし兄が村に帰ってきたらと思うと不安になった。
様変わりした村に自分もいないとなれば、兄は落胆しないだろうか。
うしろ髪引かれる思いで新しい生活を始めるのもつらく。わがままを言って探しに来させてもらった。
ここへ来たのは本当に偶然。
しかし、もし兄との絆がまだあるのなら、村の皆に後を託し、新たな町で兄の帰りを待とうと思う。
もし絆がなければ―――恐らく兄にとって自分は重荷だったのだろう。
視界が利かない中に、不意に黒点が現れた。足元の石畳の幅が広がりをみせたことで、元の広場に戻ってきたのだと知る。
歩調を緩めた女を追い越して、青年が黒点に見えていた四角い敷石と並んだ。
「お疲れ様でした」
薄れゆく霧にやはりここは先程の広場だと解るが、それまではなかった黒い一枚板の敷石が広場中央にはめ込まれていた。
驚き見つめる女の視線の先にあるものを同じく見やってから、青年は落ち着いた声で続ける。
「これは砕石盤です」
「採石……盤……?」
「はい。ここで石を分けることができます」
繋がらぬ言葉を考える中、女は詩を思い出す。
ここは星を砕き、拾う場所だと―――。
女の目が手に持つ石へと向けられた。
「星の石を、割るのね……」
疑問形ではないその呟き。
ゆっくりと、青年が頷いた。
「相手がそれを望むなら」
「分け合いたい相手のことを考えながら、石を砕石盤に落としてください。相手はひとりでなくても構いません」
真四角の黒い石の前に立ち、女は青年の言葉を聞いていた。
夫の顔が脳裏を過ったが、彼との絆はまだ築き始めたばかりだからと思い直した。
心に浮かべる兄の姿。
いつも自身は二の次で、自分たち家族のことばかり気遣ってくれていた兄。
両親が亡くなり、柵から解放されたのだろうか。今は兄自身の為に、自由に生きているのだろうか。
―――それならそれでいい。生きてくれているのなら。
「今は、好きに生きられてる……?」
するりとその手から、白い石が零れ落ちた。
カン、と高く澄んだ音が辺りに響き。
星の石は、ふたつに割れた。
その場に屈み込んだ女は、そっとふたつの石を手に取る。
黒い石の上で、楕円の石は一部が薄く剥がれるように割れていた。
中を守る殻のように。三分の一程の大きさのそれは、石の丸みに沿う曲線を描いていた。
力を入れると崩れてしまいそうなそれを、女はそっとその手で包む。
―――ずっと兄に守られていた。
たとえ傍にいなくても、ずっと兄を頼っていた。
でもこれからは妻として、夫とともに家庭を守っていかねばならない。
いつの日にか、兄が戻ってきてくれた時に。
おかえりなさいと迎えられるような、温かな場所を―――。
伏せた瞳から零れた涙が、ぽたりと白い石に落ちた。
石と頬を伝うそれを拭うと、女はすっくと立ち上がる。
前を見据えるその眼差しにはもう迷いはなく、この先の希望が浮かんでいた。
何度も頭を下げながら、女は示された途を辿り戻っていった。
その姿が霧に紛れた頃、深々と頭を下げていた青年が半身を起こす。年の頃は変わらないが、先程までの包み込むような温かさは失われていた。
「お疲れ様でした」
青年の言葉と共に、その身から色が抜けていく。
広場からは砕石盤も消え、また一面白い世界へと戻っていた。
青年に霧を纏わせるように、広場を風が吹き抜けていく。
銀髪銀目に白い衣装の青年は、女の去った方を見つめてぽつりと呟いた。
「……ここへ来れるんだから、心のどこかでは死んだって認めてるんだね……」
少し笑い、青年は霧を連れて歩き出す。
「そうなんだ? なんだかもうその頃のことも曖昧なんだ……」
暫く歩いた青年だが、すぐに足を止めて空を見上げた。
その笑顔が僅かに翳る。
「……そうだね、ちゃんとわかってるよ」
しかしそれも刹那の間―――青年はにこりと笑ってありがとうと呟き、再び霧に沈む道を進んでいった。
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