恋情人魚姫 〜現代の場合〜
人魚。
人の上半身と、魚の下半身を持つ存在。
上半身は、しばしば美しい女性の姿をしているという。
健一「明日、話したいことがあるんだ」
みいな「わ、私も!けんいち君に伝えたいことがあるの!」
健一「じゃあ、また明日……!」
みいな「またね!」
人魚である私は、昨日けんいち君とそんな約束をした。
なにを言われるのだろう。
そして、私の告白に、どう反応されるのだろうか。
どきどきする心臓は、少女漫画で見た通り、全然収まる気配がないままだった。
けんいち君と出会ったのは、この夏の初め。
みいな「あーあ、お買い物とか行ってみたいなあ……」
みいな「このお菓子、美味しいのかな。このフルーツ、どんな味がするんだろ」
私、人魚のみいなは毎日岩場でスマホをいじっていた。
みいな「さくたろうおじいちゃん様々だなぁ」
さくたろうおじいちゃん。
ここらの土地の持ち主らしくて、私のことを受け入れてくれたとっても優しいおじいちゃん。
人間のことを知りたがって波打ち際にやってきた私の話を聞いて、なんとスマートフォンまで貸してくれたのだ。
みいな「最近来ないから、もう充電がやばいけど……大丈夫かな、おじいちゃん」
ちゃぷんと海に浸かったままのひれを動かして心配する。
みいな「まだ聴けるうちに、あの曲聴こうっと」
すぽっと私は耳にイヤホンをはめて、その場に寝そべった。
人間社会のことをなにも知らなかった私にも、今では大好きな女性シンガーまでいるのだ。
みいな「この人のラブソング、素敵なんだよな」
恋をする女の子の気持ちが、軽やかなリズムとともに流れてくる。
目を閉じて、小さく自分でも歌いながらリラックスしていた。
だから、気がつかなかったのだ。
健一「ここか? 岩場にモバイルバッテリーって、じいちゃんも変なこと頼むよなぁ」
健一「ん、歌声?」
足音が近づいてきて、彼がすぐそばまでやってくるまで。
健一「……人魚!?」
みいな「えっ、きゃああああ!!」
健一「うわあああっ!!!」
それはもうびっくりした。
ここには、おじいちゃん以外誰も今までやってこなかったから。
みいな「へ、変な者じゃありません!!」
健一「どう見ても変だけど! い、いやごめん!」
二人して慌てふためいて、ちょっぴりスマホの画面も割れちゃったけど、なんとか落ち着いて会話を試みることになった。
みいな「私の名前はみいな、悪い人魚じゃないんです!」
健一「わかっ、わかった、俺は健一。じいちゃんにこれ持っていってくれって頼まれて」
みいな「さくたろうおじいちゃんのこと?」
健一「そう、って知ってんのか」
みいな「うん! このスマホ貸してくれてるの」
健一「まじでか? だからじいちゃん持たせたスマホ持ってなかったのかー!」
初めて見る男の子は、すごく元気な子だった。
おじいちゃんは良くも悪くも穏やかで、のんびりしていたのに。
健一「みいなはここでなにをしてるんだ?」
みいな「あのね、人間のことについて知りたくっていつも来てるの。おじいちゃんにもお話聞いたり」
たとえば、亡くなったおばあちゃんとのなれそめだとか、おじいちゃんはいろんなことを話してくれた。
健一「へえ。じいちゃんはしばらく足痛めて来れねえんだよ」
みいな「そうなの!? お大事にって伝えて!」
健一「任せろ。みいなは、人間の話が聞きたいのか?」
みいな「うん! なんでも知りたいんだ」
健一「なら……俺が話してやろっか」
みいな「いいの!?」
健一「夏休みで暇だしな、いいぜ」
みいな「やったぁ!!」
すっごく、すっごく嬉しかった。
けんいち君は、その日から毎日岩場に来てくれた。
夜にはスマホを持ち帰って、充電までしてくれた。
健一「ほら! りんごジュース!買ってきてやったぞ」
みいな「ええっ! うわぁ、本物だ!」
健一「気になるって言ってただろ? こんなのも飲んだことないんだな」
みいな「ありがとうー! けんいち君!」
そんなふうに、なにかを買って持ってきてくれることもあった。
健一「これがチョコだよ。美味いんだぜ」
みいな「食べる食べる!」
健一「たいして高いものじゃないけどな、喜んでくれるなら俺も嬉しい」
溶けたアイスを手にバツが悪そうなけんいち君を見て、笑ってしまったこともあった。
楽しい毎日が続くうちに、私はけんいち君のことが、大好きになってしまった。
だから、約束をした。
健一「明日、話したいことがあるんだ」
みいな「わ、私も!けんいち君に伝えたいことがあるの!」
その約束の日が今日だ。
みいな「けんいち君、もう待ってる……!」
岩場に行くと、もう彼の姿があった。
きょろきょろと辺りを見回して、私を待っているようだった。
みいな「ごめんね!お待たせ、けんいち君!」
健一?「お……ああ、大丈夫。さっき来たところ」
あれ、なんだかけんいち君、いつもと格好の雰囲気が違うような……。
健一?「伝えたいことがあるって、言ったよね」
みいな「う、うん」
そうだ、今日彼からなにかを言われるんだ。
もしかして、もしかして、そういうことを言われるのかな。
ラブソングで歌われるような、愛の告白をされるのかな。
健一?「ずっと言いたかったんだ」
胸が、すっごくどきどきする。
健一?「"俺"は、君のことが」
みいな「私の、ことが……?」
どき、どき。
苦しいくらい、胸が高鳴る。
健一?「大嫌いなんだ」
みいな「…………え…………?」
え。え。
今、なんて。
健一?「人魚なんて、そのひれも気持ち悪いし。わけわかんないよ」
健一?「仕方なく仲良くしてやってたけど、不本意だったわけ」
健一?「今日からここの岩場はもっと大切な人と使うから、二度と来ないでくれる?」
みいな「そんな、そんな、けんいち君! 嘘、だよね?」
健一?「ここまではっきり言われて嘘だと思うの?馬鹿なの?」
嘘、じゃないんだ。
私、なんでこんなに浮かれてたんだろう。
人間と人魚は、まったく違う種族で、受け入れられる方が奇跡なんだ。
有名な人魚姫の物語だって、結末は……。
みいな「……ごめんなさい……今まで、調子乗って」
健一?「わかってくれたらいいんだ。さっさとどこかに行ってくれる?」
すごすごと、海の底へ戻ろうとする。
そのときだった。
健一「…………げ、ん、じ〜〜〜!!!!」
みいな「えっ?」
源二「チッ、もう来たか」
健一「お前!!なにやってんだよ!!!」
そこには、けんいち君が二人並んでいた。
走ってきた片方のけんいち君は、手に花束を持って息を切らしている。
健一「お前っ、お前な!! いくらなんでも許さねえからな!?」
健一「みいなにひどいこと言ったんだろ!?」
みいな「な、なにが起きて……?」
こっちが本物のけんいち君?
源二「もう少しでうまく、兄さんから悪い虫を引きはがせるところだったのに」
健一「そういう兄想いなのはいいからっ!」
みいな「お、弟さん……?」
健一「そう! こいつは言ってなかったけど、俺の双子の弟の源二!!」
まさか、双子がいたなんて。
げんじ君がまた舌打ちをする。
健一「ごめん、みいな! 誰にも秘密にしてたんだけど、源二には昨日つい言っちゃって……!」
源二「女の子の喜ぶものはなにか、ってね。伝えたいことがある、とかなんとか」
健一「そうだ、俺は今日みいなに……!」
けんいち君が、私の方へひざまずく。
健一「みいな、聞いてくれるか?」
みいな「はっ、はい!」
健一「俺は、みいなのことが……」
私の、ことが。
さっきげんじ君に言われた言葉が頭をよぎる。
健一「みいなのことが、大好きなんだ!!」
真っ赤になったけんいち君が、花束を突き出した。
みいな「え、えっ」
きっと、今の私も同じくらい真っ赤な顔になっていそうだ。
健一「人魚だとか人間だとか、関係ない! みいなと話してて、いつもとても楽しくて、すごく惹かれて……」
源二「……関係ありありでしょ……」
健一「うっさい!俺は、種族の垣根なんて乗り越えんだよ!」
みいな「私のことが、好き……?」
健一「そうだ、みいな」
健一「だから、付き合って……くれないか」
スマホの中の、少女漫画でこんなシーンがあった気がする。
ラブソングでも、あったような。
ううん、ううん、こんなときめきはどこにもなかった。
これは、私だけの奇跡なんだ。
みいな「……私も、伝えたいことがあって」
健一「おう、そうだったよな」
健一「聞きたい。なんでも、みいなのこと聞きたいんだ」
みいな「あのね……」
だから、私も言葉にしよう。
みいな「人魚は、好きな人と、生涯添い遂げられるなら人の足を持てるの」
健一「へ?」
源二「は?」
テンションの異なる二つの声が上がる。
みいな「けんいち君。私も、あなたのことが、大好きです」
みいな「だから、生涯、おそばにおいてくれますか」
健一「え…………!!」
源二「ちょっと待て、そんなんただ付き合うどころの話じゃ……!」
健一「は、はい! 喜んで!!」
みいな「本当!?」
源二「兄さんー!?」
花束ごしにけんいち君に抱きつく。
みいな「嬉しいっ!」
健一「わっ、と、みいな足が!」
みいな「えっ、もう変わってる!」
源二「なにやってんだこの!! 上着でもかけとけ!!!」
気づいたら、私の足は人のものに変わっていた。
そこにはなにも身につけてなくて、弟さんのげんじ君が投げてくれた上着にほっとしてしまう。
みいな「ありがとう、げんじ君」
健一「さ、さんきゅな! 源二!」
源二「言っとくけど認めたわけじゃねえからな!?」
げんじ君とも、これから仲良くなれたらいいな。
私はけんいち君に抱きついたまま、初めての上陸を果たしたのだった。