2-1:苦難の選挙 東條保文の出馬
県知事の任期満了。4年目の春が訪れようとしていた。
今年で東條保文は滋賀県知事を辞することになる。
本来ならば続投の意思を見せて、再び県知事を務めるのがセオリーなのだろう。
だが、東條保文はあまりに功績を積みすぎた。
滋賀県によって発生した爆発的な人口の増加に、AIを併用した農業ビル開発の成功。
そのほか、大小さまざまな改革の成功により、滋賀県はいま空前の好景気を迎えていた。
この力をぜひとも国政で……そういう声が党内外から出るのは当たり前だったし、県民たちからも「あなたは国の政治にかかわるべきだ」という声が高まっている。
すべて、御柱黎明の読み通り……いや、御柱黎明の目論見通りの流れとなっていた。
「……すべて君が言った通りか、黎明君」
「まぁ、そうっすね。ここまでうまくいくのは想定外でしたが」
農業ビルもうちょっとかかると思ったんだけどなぁ……。やっぱ予算の問題だったか。
なんて独り言を漏らす黎明にそっとため息をつきながら、東條保文は党本部から送られてきた手紙にそっと触れる。
ご丁寧な修飾語によって飾られた手紙だったが、要約するとこういうことだ。
『我が党が日本の国政を握れるまたとないチャンスである。君は次の衆議院選挙戦に出て、我が党の得票に貢献してほしい』
「でるしか、ないんだな」
「えぇ。まさかバックレるわけにもいきますまい」
「君はそれでもよさそうだが? 私がおじけづいたところで手段はいくらか用意しているだろう」
「そんなわけないでしょう先生! 俺は先生を国会議員にするためにここにいるんですよ! 忘れたんですか! 俺たちが出会ったときに交わしたあの熱い約束を」
「なんか知らない話が出ている気がするが……。まぁ一応は」
そうして、東條保文は覚悟を決める。
「では、始めるとしようか」
「くくくく、日本全国津々浦々に俺たちの名前をとどろかせてやりましょうぜ先生!」
「旅行番組かな?」
東條保文……滋賀県知事任期満了と同時に、衆議院選挙へ出馬を表明。
後に『日本崩壊の始まり』と呼称される、東條政権樹立に向けて動き出した。
■ ■ ■
「東條先生は快諾してくださいましたよ」
「それは何より……」
東京都千代田区――民生改革党本部。
その最上階にある部屋に置かれた豪奢な机。
そこに座った白髪の男に対し、眼鏡をかけた神経質そうな男が話をしていた。
「だが、同時に困ったことでもあるね」
「と、申しますと?」
「今の日本は安定している」
白髪の男は、ゆっくりと机から立ち上がり大通りが見える窓から下界を見下ろす。
「改革など本来必要ないのだよ」
「国民たちはずいぶんと問題意識を抱いているようですが」
「それは彼らの低い視点から見た光景だよ。少なくとも我々は……政治家はこの国に対し不満を抱いてはいない」
「……先生は昨日の会議で随分と日本民生党の議員方を罵っておられたように見えましたが」
「一応野党議員だからね。仕事をしているところは見せないと」
穏やかな笑みを浮かべて、蟻のように道を行く人々を見下ろしながら男は言う。
「国の運営は少なくともうまくいっている。多少経済的危機に国民はさらされているが、今のところ餓死者は出ていない。これは世界的に見てとてつもない偉業なのだよ。いったいどれほどの人間が血と肉をささげ、日本をここまでの形にしたのか……この場に立つ私でさえ真に理解しているわけじゃない」
ゆえに……だ。
そう言葉を切り、白髪の男――民生改革党党首 天津木 平治は語りだす。
「東條先生の人気は少々問題だな」
「ではどうされますか」
「なに……いつも通りさ」
まるで「ちょっと夕飯の食材が足りないから、今から買いに行く」という雰囲気で、
「東條先生にはここでご退場願うとしよう。彼は国政にかかわれる器ではなかったと……思い知ってもらってね」