1-3:地方集権都市 近江の生誕 東條保文の大転換
衣・食・住
人間が社会的な生活をするにおいて、最も重要視される要素。
三大生活基盤と呼ばれるこれは、過去当然重視され、国家もこれの供給を国民に約束するのが最低限の仕事であった。
だが、御柱黎明ほどこの言葉を重視した政治家はいないだろう。
彼はコロナの時代を乗り越えた先にある、新時代に視野を広げていたのだ。
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【ネットワークインフラの拡張・強化。および、ネット業務使用申請を提出することによる、ネット通信費の公費負担】
【各種ショッピングモールの誘致に、公園施設の拡張】
【今までの倍の規模で発注される、公営住宅の発注】
『県民に寄り添う政治家』『県民の暮らし向きを向上させる!』
そう宣言していたはずの東條保文の方針大転換に、滋賀県議会は荒れに荒れていた。
「先生は一体何を考えておられるのか!」
いの一番に、東條の事務所に怒鳴り込んできたのは、彼の腹心であり東條保文が所属する党「民生改革党」に所属する若手議員――西住重彦だった。
「西住議員。落ち着きたまえ。考えがあってのことだ」
「考え!? ただでさえ県民の給料は安く支援が必要なこの時期に、土建屋に金をばらまいて埋まるかもわからない公営住宅を乱立させるなどもってのほかです! ただでさえ日本人は、バブル崩壊の頃より国家の建築施設誘致に否定的だというのに、このようなことをしていては……党の信用はがた落ちだ!」
「いいや、今はこれでいい。立てている公営住宅だってすぐ埋まる。なんせ2LDKの賃貸住宅で、家賃は光熱費込みで月2万。ネット回線は仕事で使うならただときた。これで飛びつかない奴はいない」
「っ⁉ なんだお前は!」
だが、そんな彼の言葉を遮ったのは、見慣れぬ若造の秘書だった。
理知的に見える銀縁眼鏡に、小奇麗に整えられた髪型。
スーツは安物でも買ったのだろうか? その辺のサラリーマンが来ているような安っぽい布地が政治秘書らしからぬ貧相さを、その男から発していた。
そう……その男が、政治秘書として東條にやとわれ、多少身ぎれいになった御柱黎明その人だった。
「あ、どうも。先月から先生にやとわれました。御柱黎明っス。以後ヨロシク!」
ピッと、人差し指と中指で挟んで名刺をチャラチャラした態度で渡してくる黎明に、西住の怒りの堰は秒で決壊した。
「何なんですかこの男は!?」
「すまない……。行儀作法はいま教えているところでな……」
「なんだってこんな男を雇ったんです!?」
「そりゃ俺にそばに置くだけの価値があるからだろ」
黎明から告げられたあっけらかんとした言葉に、血走った目を向ける西住。
どうにも仲良くなれそうにない二人の様子に、胃がキリキリと痛む東條。
そんな雇い主の姿を見て、老年の政治秘書は「おいたわしや……」と目元をハンカチで拭っていた。
「お前にそばに置くだけの価値があるだと? 敬語の一つもできんような政治秘書など聞いたことがないぞ!」
「まぁ、そりゃ確かにちょっとばかしまずいとは思うけどもよ。それでも、俺の意見に一定の価値を認めてくれたんだよ東條先生は。まずはその事実を受け入れようぜ、西住先生」
「まさか……あのイカレタ政治方針は?」
「…………」
否定の言葉はない。東條は沈黙を選んだ。
それが言葉よりも雄弁に、肯定の意を西住に示した。
「貴様かぁ! 東條先生に妙な考えを吹き込んだのはぁ!」
「ぐぁああああ!? 待った待った待った!? 何この人!? 喧嘩っ早すぎない⁉」
問答無用で黎明の襟首をつかみ、宙づりにする西住。
喧嘩は苦手なのか黎明はそれに悲鳴を上げる。
さすがに事務所で乱闘沙汰は遠慮してほしかった東條は、ため息とともに老人秘書に指示を出した。
「浅間……。すまんが止めてやってくれ」
「承知いたしました」
そうして老年の秘書――浅間は音もなく西住の背後に近寄り、ポンと肩をたたく。
「西住先生。その位でご勘弁を」
「だが、浅間翁! この男は先生の理想を!」
「わかっています。何よりも苦渋の決断を強いられたのは東條先生です。ですが、彼は意見を述べただけ。それが正しいと認められたのは東條先生です。どうかその事実を認めてはいただけないでしょうか?」
「……くそっ!」
長年政治の世界を渡り歩き、東條の家に仕えてきた老年秘書の言葉には重みがあった。
西住はその言葉が事実であると認識できたのだろう。
忌々しげに吐き捨てつつ、黎明の襟首から手を放し、彼を地面に落下させたのだから。
「げほっ! ごほっ! いやぁ、確かりました。浅間さん。マジ感謝」
「あなたはもう少し言葉遣いに気を付けなさい。これから私と同じ秘書になるのであれば、そのような言動は許しませんよ」
「はーい。気を付けまーす」
あくまで軽くそういう黎明にため息をつきつつ、苛立たし気にコツコツと床を踏み鳴らす西住へと浅間は視線を向けた。
「では説明を」
「え? 俺がっすか?」
「東條先生の心変わりを誘発したのはあなただ。ならば、説明はあなたがしなくてはならない」
「あぁ、言われてみりゃそうっすね。わかりました」
そういうと、黎明はにやりと笑って西住を応接室のソファへと案内する。
「んじゃ西住先生。腹を割って話しましょうか?」
「何をだ?」
「俺の意見を聞いてくれた東條先生が、いったいこれから何をしようとしているのか。その答えを、俺が教えてあげましょう」
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『在宅勤務』
『コロナ禍によって本格的に実施されたこれは、日本の事務職に革命を起こしたといっても過言ではないでしょう』
『なにせ、会社が賄っていた『光熱費・電気代・通勤費』そういったものが半減したのですから』
『懸念事項であった「仕事をさぼる者がいるのでは?」という疑念も、コロナによる在宅勤務の強制によってそのほとんどが払拭されました。まぁ一定数サボる者はいたようですが、そういったものは切り捨てても代わりはいくらでも入ってきました』
『何せ住居によって求人をあきらめていた人物が、ネット経由でいくらでも募集できるようになったのですから』
『ネット環境さえあれば求人には困らない……。コロナは多くの災厄をもたらしましたが、同時に労働環境には大きな変革をもたらした』
『大企業や、ネットワーク関連企業であればあるほど、全従業員の在宅勤務化は必須となりつつある時代になっていたのです』
『御柱黎明はそのことを敏感に感じ取っていました』
『悪法と当時はののしられたこの『東條保文の大転換』は、公営住宅の乱立ばかり指摘されるものでしたが、この政策の肝はそこではない』
『【ネットワークインフラの拡張・強化。および、ネット業務使用申請を提出することによる、ネット通信費の公費負担】これこそが、御柱黎明が最も重要視し、そして最も宣伝した政策』
『つまり、今滋賀に移り住みさえすれば、今後一生職に困らない環境を用意すると、彼は大々的に日本全国に……いや、ひょっとすれば……世界全土にむけて発信したのです』
シリーズ動画アーカイブ「激動近代史 ──近代偉人伝──」 旧日本政治学者 ラインハルト・フォン・アルタイルの解説。